名誉と金を手にしたG?ジョッキーがウイナーズサークルで両手をあげ、歓声を浴びる─。競馬の世界にはもちろん、そんな光景だけが存在するわけではない。一般社会同様、騎手にも貧富の格差が生まれている現実があり、それが自殺にまで追い込むこともあるのだ。「負け組」たちの過酷な生き残り競争の現実に迫る。

 昨年の有馬記念の売り上げが前年比88%と大不振を極めた競馬界。その翌日には青木芳之騎手(35)が自宅で自殺を図るというショッキングなニュースが流れた。美浦トレセンは重苦しい空気に包まれたという。スポーツ紙レース部記者が話す。

「一説にはうつ状態だったとも言われていますが、デビュー時の師匠だった藤沢和雄調教師でさえ、『細かいことはよくわからないんだ』と困惑してました。何しろ、青木騎手は数年前から美浦トレセンのそばに住まず、神奈川県横浜市に自宅を構えていた。朝の調教に姿を現すこともめったになく、昨年4月15日の騎乗が最後で、その後は休業していましたからね」

 95年に藤沢和雄厩舎でデビュー。通算1831戦で106勝の成績だった。あまりにも突然の訃報に、かつての担当トラックマンも言葉を選ぶようにこう語るのだ。

「デビュー2年目に32勝しフェアプレー賞を受賞するなど、将来を嘱望されていました。上昇志向が強く、01年にフリーになり、海外に武者修行に行く一方で、国内の営業力(騎乗馬の確保)はイマイチだった。7年ほど前から、出走馬の優先順位(前走着順や出走間隔など)が見直され、リーディング上位の騎手が安定して手綱を取れるシステムになった。馬主サイドは大歓迎でしたが、営業下手の青木騎手のようなタイプは騎乗機会が減っていきました」

 さらに、外国人騎手の短期免許取得や地方の一流ジョッキーの参戦も、中堅以下クラスの生活を脅かした。トラックマンが続ける。

「青木騎手は4年ほど前から海外行きも視野に入れ、現役続行か、あるいは調教助手に転身するか悩んでいました。08年には藤沢厩舎の有力馬カジノドライブのスタッフとして米国遠征し、調教を任されたりもしていたんです。一方で、09年には韓国のソウル競馬場へ遠征。JRA所属騎手が韓国で短期免許を取得して騎乗するのは初めてでした」

 現役か調教助手か─。この二択の間で葛藤を続けていた「負け組騎手」は、何も青木騎手だけではない。昨年引退したJRA騎手の数からも明らかだ。スポーツ紙デスクが話す。

「青木騎手の自殺と前後して、鈴来直人(30)、池崎祐介(24)、小林慎一郎(31)、野元昭嘉(36)らが駆け込むように引退を表明するなど、2012年の引退騎手は23人にも上った。大半の理由は昨年からローカル開催が減ったことと、今年から厩舎の運営制度上、給与面で大きな改革が行われるからです」