育成選手制度の「いま」を考える(後編)
2005年、近鉄がオリックスと合併し、楽天が仙台に居を構えて以来、イースタンとウエスタンは7球団と5球団という歪(いびつ)な状態が続いている。ただでさえファームの試合が空く日があるというのに、さらに第2二軍の試合も組むとなれば、相手はアマチュアにならざるを得ない。今シーズン、巨人の第2二軍は、2月から9月 までの間に32試合を戦った。8カ月でわずか32試合である。育成選手はイースタンリーグの試合に出られるといっても、ただでさえ選手数の多い二軍の試合に出るのは容易なことではない。その32試合の結果は、14勝15敗3分。内訳は対独立リーグのプロが2試合、社会人が17試合、大学が13試合。独立リーグには2敗、社会人に9勝7敗1分、大学生に5勝6敗2分。この他に、フューチャーズ(若手中心で編成されたイースタン混成チーム)が、試合のないイースタンのチームと対戦する“イースタン・チャレンジマッチ”が年間に27試合組まれ、その一員として巨人の育成選手は毎試合、7、8名が出場していたのだが、戦績は2勝23敗2分。こうなると、育成選手のレベルがプロ未満であることは火を見るより明らかで、アマチュアから見て彼らが本当にプロに見えるのかというあたりも甚(はなは)だ疑問になってくる。
元巨人のある育成選手が続けた。
「育成が弱すぎるせいなのか、“第2二軍”の試合も、えっ、そんなところとやるの? みたいなチームが相手で……でも、そんなところにも勝てない(苦笑)。東大とか、首都大学リーグ2部の選抜チームとか、学生の中でもトップレベルにない相手にもやっと勝つようなチーム状況で、育成の質も落ちてきてるんじゃないかという話にもなっていました。正直、こんなところにいて意味があるのかなと思うこともありましたね。試合がなければ朝から練習。二軍が遠征に出ていれば9時半から夕方まで、少ない人数で、ダラダラとノックを受けたり、緊張感がないんです。みんな、『来年、育成ってあるのか』『第2二軍って存在するのか』なんて噂にビクビクしている。このままここにいても、先が見えないって思っちゃうんです」
大立も、こう話していた。
「支配下にいる二軍の選手は実戦経験を積んで、結果を残せば一軍も経験できるかもしれないし、いろんな可能性が広がる。でも、育成だとジャイアンツ球場からなかなか出られず、練習ばかりで、たまに試合があれば相手は大学生か社会人。何を目標にしたらいいのか、正直わからなくなることもありました」
この春のキャンプで一軍に帯同した大立は、オープン戦で2度、阪神を相手に投げている。2月19日の那覇では1−0とリードした8回に4番手として登板。俊介、上本博紀、大和の3人を三者凡退に斬って取った。さらに3月11日の甲子園では5回裏、ツーアウト2塁、バッターは3番の鳥谷敬というシビれる場面でマウンドに上がっている。
「阿部(慎之助)さんが、『真ん中でもいいから来い』って感じで引っ張ってくれて、ストレートでファウル、ファウルを打たせて追い込んだんです。でも、カウントが2−2となって、スライダーは拾われそうな気がして、ストレートもレフト方向にパーンと弾かれそうな気がした。ストライクゾーンに投げることができませんでした。で、結局はフォアボール。どこに投げても打たれるイメージを持たされたのは、鳥谷さんが初めてです。ただ、あのオープン戦で投げさせてもらって、すごくいろんなことを経験できたし、いろんなことを覚えました。一軍の選手はオーラも違いましたし、自分の気持ちも全然、違った。プロである以上、一軍を経験してこそ成長するんだと改めて思いました。とにかく、1球投げるのが怖かったなぁ(笑)。最初はどんな感じなのか、わからないじゃないですか。鳥谷さんだけじゃなく、ブラゼルもそうだし、広島の丸(佳浩)さんにしても構えた迫力が違う。ストライクゾーンがきっちりあるはずなのにそのゾーンがドーナツみたいに見えて、ちょっとでも甘くなるといかれるんじゃないかと思っちゃって……でも、そうした緊張感の中でやっていると、自分でも成長しているなと感じることができるんです。杉内(俊哉)さんにもいろいろとアドバイスをもらいました。チェンジアップも教えていただきましたし、『真ん中でもいいから、思いっきり指にかけて、ファウルを打たすんだという気持ちで投げれば大丈夫だよ』って言って頂いて、いい意味で開き直ることができました。打たれても、楽しくてしょうが ない。ずっと、ワクワクしていました」
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