渋谷駅で待ち合わせ場所の定番といえばハチ公前広場。

忠犬ハチ公の銅像があり、東急5000系アオガエルの保存車を見つめている。

そのハチ公のエピソードを映画化した作品が1987年に公開された『ハチ公物語』だ。

原作と脚本は、『大いなる旅路』の新藤兼人氏。

監督は『ひめゆりの塔』『大河の一滴』の神山征二郎氏。

本作は1987年の邦画配給収入1位となり、同年の日本アカデミー賞の優秀作品賞に選ばれている。

東京帝国大学の農学博士、上野秀次郎(仲代達矢)の家に、秋田県大館から秋田犬の子犬が送られてきた。

秀次郎の教え子が、愛犬の死を悲しむ恩師のために手配したのだ。

秀次郎の娘・千鶴子(石野真子)は喜んだが、妻の静子(八千草薫)は反対する。

秀次郎も当初は乗り気ではなかった。

犬を欲しがっていた娘の結婚が決まり、犬を誰かに譲ろうともするが、末広がりの「ハチ」と名付けた犬に情がわき、ハチを手放さないと決めてしまう。

娘を嫁がせた寂しさもあり、ハチをかわいがる秀次郎。

散歩に連れていき、風呂に入れ、書斎でともに眠る。

やがて、ハチは秀次郎の出勤時に自宅から渋谷駅まで見送り、帰宅時は渋谷駅まで迎えに行くようになる。

ところがある日、秀次郎は大学で急死してしまう。

静子は娘の嫁ぎ先へ移り、家は処分。

ハチは浅草の親戚の家に預けられる。

だが、ハチは渋谷まで脱走を繰り返し、やむをえず上野家に出入りしていた植木職人の菊さん(長門裕之)に引き取られた。

不自由のない暮らしをしていたハチ。

それでも飼い主だった秀次郎を思ってか、長年の習慣だった駅までの送り迎えを続けていた。

渋谷駅の国鉄職員や交番の警官、屋台の店主たちが、ハチの姿に感心し、温かく見守っていた。

その後、菊さんも急死してしまい、とうとうハチは野良犬になってしまう……。

子犬のハチの姿に癒され、たくましく生きる姿に感心しつつ、晩年に弱っていく様子にせつなくなる。

一方で人間たちのわがままぶりには疑問がつのる。

犬を飼っている人なら納得できない行動の数々。

ラストシーンを観て、「ハチ公は幸せだったのか?」と考えさせられる作品だ。

ペットを買う前に親子で観て、話し合ってもいいかもしれない。

同作品は大正時代から昭和初期にかけてのエピソードを、昭和末期に制作している。

だから渋谷駅を含めた建物や街の映像はすべてセット。

鉄道の風景も資料的な価値はあまりない。

冒頭の雪景色で登場する蒸気機関車はC58形に見えるけれど、制作当時は雪のある地域を本線走行できる同型車はなかったと記憶している。

秩父鉄道のC58は本作と同じ1987年から走り始めているとはいえ、映画の製作期間には間に合わない。

映像では無蓋貨車も連結しているので、別の映画用に撮ったフィルムを流用したようだ。

興味深いところとして、生まれたばかりのハチが「チッキ便」で輸送されている。

「チッキ便」とは鉄道による小口荷物輸送制度。

駅で荷物を預けて、届いた荷物も駅に取りに行くというもので、現在は廃止されている。

現代風に言うと、コンビニで宅配便を預け、最寄りのコンビニで受け取るといったところか。

貨物列車は1つの貨車、または1個のコンテナ単位の契約になる。

「チッキ便」は旅行者のカバンや荷物を1個から預かる制度から始まっており、飛行機の預かり荷物のようなものだ。

積み込む車両は貨車ではなく、客車の一区画や荷物車だった。

これが後に、「駅で荷物用きっぷを買えば、荷物だけ送れる」ようになり、その荷札がチッキと呼ばれた。

本作でもチッキが登場し、「山手線渋谷駅行」「秋田犬一頭」「私製木箱にて運送」などと書かれてある。