「俺の人生は精神病院に台無しにされたな。特に22歳で収容されたG病院では、一度も退院させられることなく、38年も病院の“固定資産”にされてきた。20年近くも外勤や内勤に精を出し、病も早くに寛解したというのに、だよ。もう外で暮らす自信はないけど、自分の人生を返してくれという憤りもどこかにある」
 かつて、『精神病棟の20年』(新潮社)なる本が話題になった。このたび刊行された『精神病棟40年』(宝島社)は、実に病棟生活44年にも及ぶ長期入院者による手記。『精神病棟の20年』以上に切実な内容で、日本の精神医療の暗部が容赦なく浮き彫りにされている。冒頭のコメントは、その著者・時東一郎さん(仮名)が吐露した心情の一端だ。

 時東さんは16歳で統合失調症を発症。昭和43年1月に都内のS精神病院に収容された。以後、何度か社会復帰を試みるも、症状の悪化や世間的偏見、社会支援の不備などによって入退院を繰り返す。同48年春、都内のM精神病院に転院。同年9月にF県のG病院に強制移送され、以後40年近くも同病院に隔離・収容されてきた。
 そのG病院が2011年春に事実上の廃院に追い込まれたため、今はX県のB精神病院に暮らす。現在61歳。

 ところで、このG病院の正体だが、福島原発近くにあった『双葉病院』であることは、本書の内容から容易に想像がつく。搬送途中や搬送後に約50人の寝たきり高齢者が死亡、4遺体の院内放置まで発覚した単科の精神病院である。
 同書の解説を務めたノンフィクション作家の織田淳太郎氏の労を借りて、著者の時東さんと接触した。

 −−G病院とは双葉病院のことなのか?
 「俺の口からは言えないよ。迷惑かけっかもしれないからな」

 −−本を出した理由は?
 「精神病院って“人間の捨て場所”なんだ。中でも俺たちのような長期入院者は、肉親に見離されて、行き場所を失った者ばかり。その救いようのない実態を読者に知ってほしかった。実際、精神病院では自殺者が後を絶たないよ。保護室で首を吊ったり、病院を脱走して電車に飛び込んでバラバラになったり…」

 −−時東さんも計2度の脱走を試みているが。
 「S病院では看護人に逆らったり、規則を破ったりすると、すぐに懲罰で電気ショックをかけられた。それで死んだ患者もいたなあ。俺が脱走したのはその電気ショックの恐怖から逃れるため、それと自由になりたかったから。脱走に失敗して病院に連れ戻されたときは、俺も電気ショックをかけられたよ。で、M病院で2度目の脱走に失敗した後、劇薬で眠らされて、G病院に連れてこられたんだ」