そんな飛ばし屋の中原を手取り足取り教えていたのが、あの「怪童」中西太だった。飛ばない粗製ボールの1950年代に通算本塁打244本、本塁打王5回。日本プロ野球史に燦然(さんぜん)と輝くスラッガーだ。入団2年目に推定飛距離160メートルの場外弾を放った稀代のホームランバッターが、まだ二軍の公式戦すら出場していない19歳の育成選手を指導している。
右足に体重がかかったまま力任せに振り回そうとする中原を、なんとか左足に体重を移動させて振れるように、何度も何度も教え諭(さと)す。うまくバランスがとれたスイングができるとポンと頭をたたいて祝福する。御年78歳。この熱血指導ぶりに心から頭が下がる思いだ。
ブルペンに移動すると、5人が並んで投げていた。真ん中で投げるオーバーハンドが、さっきから盛んにミットの中に轟音(ごうおん)を響かせている。なかば「インドア」のブルペンは捕球音が響きやすい構造なのだが、それを割り引いても破壊力抜群の音だ。
柔らかく腕の振れるオーバーハンド。剛腕・新垣渚復活かなと思ったら、背番号128だったから驚いた。育成2年目・千賀滉大(せんが・こうだい/18歳/愛知・蒲郡高)。ルーキーイヤーだった昨季、すでに150キロに達したと小川史三軍監督が教えてくれた。
あまりいいボールが続くから、一緒に投げている左右の4人が自分のピッチングに集中できない。「ドッカーン」と聞こえるほどの捕球音が轟(とどろ)くたび、千賀の姿に彼らの視線がチラッと走るのは、若者らしい羨望、嫉妬、それとも闘志。
翌日、その千賀が紅白戦に抜擢された。
紅白どちらも一軍選手ばかり。口から胃袋が出てきそうな、あの緊張感をきっと味わっているだろうな……なんて思っていたのだが、とんでもなかった。
小久保裕紀、松田宣浩、城所龍磨といったバリバリの一軍相手にストレートは149キロに達し、スライダーは「一軍のバット」をことごとくかいくぐった。
「試合をやるから、みんな伸びます。去年も『三軍』だけで100試合近くやっていますから。まだみんなキャリアの浅い選手たちですから、大学や独立リーグや、社会人のチームに胸を貸してもらって。去年から『三軍』を立ち上げて、春なんか、大学にも勝てなくてどうしようかと思いましたよ(笑)。でも、考えてみたら、ほとんどが高校出て1、2年の選手たち。大学4年がズラリのチームに負けるのもわかりますけどね。でもね、秋には独立リーグにも負けなくなった。やっぱり野球でも、なんでも勝負は『実戦』です。実戦の場に出さなきゃ、若いヤツは伸びない。出せば、こっちがピックリするぐらい伸びますよ」(小川三軍監督)。
3ケタ背番号の育成選手が総勢22人。それに二軍からの調整組を数人加えて、27、8人の選手たちが「三軍」を構成して、ソフトバンクの次期主力を目指す。
「育成選手」という制度から派生した「三軍」というシステム。本来、この両者はペアでなくてはならない。各球団が育成ドラフトで「育成選手」を何人も採用しておきながら、正直、プロの二軍選手と同じくくりで野球をさせるには少々きびしい彼らを、漠然と二軍でプレイさせているのが現状だろう。
体力、力量で劣るために、なかなかファームの公式戦では出場機会を与えられず、ファールの練習の「お手伝いさん」的な存在で、徐々に能力を退化させていく。こんな、じつにもったいない現実が、育成選手を採用している多くの球団に見られる現象だ。
「育成選手」とは、選手たちがプロを望むから獲ってやる、10人のうちひとりかふたりモノになればもうけものというような「消耗品」では、断じてない。人的資源も乏しいこの国の野球界にとって、彼らはかけがえのない「人材」である。
ソフトバンクのように、はっきり「三軍」という組織を作って、選手たちの「今」に合わせたレベルでの活動を行ない、選手たちを育てていく。他の球団も見習うべきだし、こうしたシステムを明確に持たないかぎり、育成選手という人材を獲得する資格そのものが問われるのではないだろうか。
■関連記事
【プロ野球】ソフトバンク、川崎宗則なきあとの「新1・2番コンビ」は? [02月06日]
【プロ野球】菊池雄星、筒香嘉智、今宮健太……今季のキーワードは『高卒3年目』[01月20日]
【プロ野球】大物選手が続々と流出したパ・リーグ。新戦力の台頭はあるか?[01月13日]
- 前へ
- 2/2