[画像] 鈴木宗男「国益を損ねた外務官僚とは刺し違えてやります。今度は7年くらい覚悟して」

 1年間の獄中生活を経て、元衆議院議員・鈴木宗男が仮釈放された。嘘の証言で、鈴木と元外務省職員・佐藤優を政治の表舞台から追放した外務官僚たちにふたりはどう鉄槌(てっつい)を下すのか。そしてこの一年の日本の変化をどう見ているのか?胸中を聞き出した。

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――1年間の刑務所生活、お疲れさまでした。今日は、刑務所でどんなことをしていたのか、そして服役を経て、今考えていることを伺いたいと思います。鈴木さんは喜連川の刑務所に入っていたんですよね。とても寒かったのではないですか?

【鈴木】本当に寒かった。一番寒かったのが入ったばかりの2010年12月でした。身体に順応能力がないから、寒くなりかけが一番こたえます。喜連川は東京より5度低く、来た瞬間に、年を越してから来ればよかったと思いました(笑)。

【佐藤】大変でしたね。監獄法が改正されて「受刑者処遇法」により、今は刑務所内でカイロが買えるようになっているそうですが。

【鈴木】そう。これには助けられました。私は食道がんにかかっていたのですが、がんに一番良くないのが低体温なんです。カイロ以外には、毛布を1枚余分にもらったりもしました。でも、現場で意地の悪い刑務官がいて、手元に届くまでだいぶ時間がかかりました。60歳超えての寒さはつらいですね。

 でも、そんな嫌がらせに役立ったのが佐藤さんから送ってもらった本です。特に、刑務官をしていた鴨下守孝さんという人が書いた『受刑者処遇読本』。

【佐藤】『受刑者処遇読本』は、受刑者にどう対処するかの刑務官の側のマニュアル本です。こういう本を読んでいると、刑務官に、こいつ情報を知っているなと緊張させられます。塀の中の生活には便利ですね。

【鈴木】刑務官はプレッシャーだったでしょうね。それから、寒さの次にこたえたのが食べることです。基本的に3食とも、同じ仕事をしている者同士で食べなければならないのですが、皆は2、3分でかきこむようにして食べる。ところが、私は胃を手術で摘出してしまっているから、どうしても時間がかかり、いつも皆を10分以上待たせてしまう。

――現場の職員に言って改善してもらえないんですか?

【佐藤】望み薄でしょうね。

【鈴木】そこで、佐藤さんに教えてもらっていた方法を使いました。弁護士宛てに、「いつも急(せ)かされて食べなければならないから、胃のない私は大変なことになりそうだ」と手紙を書いたんです。手紙は刑務所の上層部がすべてチェックしています。これは大変だと、3食のうち朝と夜は部屋に戻って食べていいことになったんです。

【佐藤】これは、刑務所を少しでも快適に過ごすためには有効な技術です。私は検事に知らせたいことがある場合は、便箋(びんせん)ではなく原稿用紙を使って弁護士に手紙を書いていました。原稿用紙に書いたことは、そのまま活字になる可能性があるから特に重要だと、検事がすべてチェックするんです。

――インテリジェンスのテクが役に立ったわけですね。

■被災地の映像を見て元気をもらった

――テレビは見られるんですか?

【鈴木】リアルタイムで接することができるのはラジオです。私は夜7時のNHKニュースをいつも聴いていました。あと、日曜日はかなり長い時間ラジオをつけられるので、『爆笑問題の日曜サンデー』はよく聴いたと思います。

【佐藤】テレビはどうでした?

【鈴木】拘置所と違って、刑務所はテレビが見られるから退屈しないと聞いていたので楽しみにしていたんです。しかしなんのことはない、編集済みの録画したものでした。それも、ほとんどが歌謡番組かバラエティ、落語など。基本的に私が見ていたのは、一日遅れで月曜の夜に見られる『サンデーモーニング』。1週間のニュースがわかりますから情報源として貴重でした。ほかにニュース番組では、お昼ご飯のとき、その日の朝の『めざにゅ〜』を30分にまとめたものが流れていました。

【佐藤】朝4時からの番組ですね。つまり、朝の番組を昼までに編集するスタッフがいたわけだ。

――震災のときの報道はどうご覧になっていましたか?

【鈴木】助け合おうとか絆が必要だとか、上から目線の励ましの言葉がテレビを覆っていました。しかし、私は被災地の皆さんの雄々しく生きる姿を見て、勇気や元気をいただきました。私のほうがよっぽど恵まれていると。

【佐藤】あのときは、被災地に元気を与えるとか、そんな言葉ばかり流れましたね。でも、鈴木さんは自分が元気をもらったんだと言う。その感覚が正常なんだと僕は思いますよ。今の日本の問題は、自分たちが何かを与えてやろうという意識だと思います。被災地に学ぶという意識が希薄なんです。

 そればかりか、原発の危機の最中に原子力安全・保安院幹部の路上チューが発覚するとか、国家の何かが抜けている感じがします。あのとき、外務省の文化が保安院に感染したのかと思いました。

【鈴木】汚職の通産、不倫の外務、自殺の大蔵。かつてはそういわれていましたが、この3つを、今はほとんどの官僚が共有している。そこに日本の不幸があると思います。

――政治についてはどうですか。

【鈴木】大局的にものが見られる政治家が少なくなっています。政治に喝を入れないといけない。というのも、今、与党も野党もないはずなんです。震災復興が、TPPより、増税よりも最優先。野田さんは今年9月までの任期。その任期の間に震災復興の一点だけやれば歴史が評価する。ほかのことは考えなくていいんです。

 一方で野党は党利党略に終始している。言葉尻を捉えて問責やりました、増税だから公約違反だとか言っていてはダメです。そんなことは乗り越えて、全会一致で復興にいきましょうというメッセージを出さないといかんのですよ。

■嘘をつき国益を損ねた官僚は絶対に許さない!

――12月6日、鈴木さんの仮釈放を祝う会合が開かれて、100人以上の国会議員が集まりました。そのとき、佐藤さんは土下座して鈴木さんに「巻き込んでしまい申し訳ない」と謝っていました。

【鈴木】佐藤さんからいつも言われます。でも、それはまったく気にしないでほしい。

【佐藤】鈴木さんはそう言ってくださるけれども、やはり申し訳ないという気持ちは消えません。そもそも、僕が当初、鈴木さんと接近したのは外務省の命令でした。「鈴木さんは力がある。君は鈴木さんの懐に入ってくれ」と、外務省の幹部に命令されたんです。外務省は鈴木さんを利用した。

 しかし、あの会合の席に外務省の連中はひとりも来ていませんでした。唯一、会場にいたのはOBの東郷和彦さんだけ。もっと鈴木さんにお世話になった人がいたはずなんです。だから、僕はあの会合のとき、ちょっとカチンときてしまいました。

――「疑惑の総合商社」だと批判した辻元清美さんですら謝罪に来ていました。

【佐藤】外務官僚は、政策を進めるときは鈴木さんにバックアップしてもらい、田中眞紀子を外務省から追い出したいときは先頭に立たせ、自分の数百万円の飲み食いの領収書ももってもらった。そんなふうに利用してきたのに、鈴木さんがいざ検察に捕まると、自己保身のために嘘の証言で貶(おとし)めたんです。そんな人間がまだ外務省に居座っています。連中が、こそっと来て「すみませんでした」のひと言でも耳打ちしていたら、僕もそんなに腹立たしく思わなかったかもしれない。

――あの土下座は、そんな外務省の連中に見せつける意味もあったということですか? 物事の筋を通せ、と。

【佐藤】僕は、本来、田舎の浪曲師がやる土下座みたいな仰々しいことは好きではないんですよ。

――鈴木さん、外務省のそんな連中をこれからどうやって締め上げていきますか?

【鈴木】外務省でも真面目にやってる人はいる。そういう人は評価します。しかし、嘘をついた者や、それ以上に佐藤さんを貶めた者は絶対に許せませんね。10年前、外務省と検察は佐藤さんという優秀な人を潰した。その結果、日本の対ロシア外交は明らかに後退しました。そうやって国益を損ねたのに、今もポストに就いてぬくぬくとやっている官僚が大勢います。彼らは許せません。私は、彼らに出くわしたら刺し違えてもいいというくらい思っていますよ。

――刺し違える!?鈴木さん、仮釈中ですよ(笑)。

【鈴木】そんなこと関係ありません。また7年くらい入ることを覚悟すればいい。それくらいの思いでないと日本をなんとかすることはできない、今はそんな気持ちでいるんです。

(構成/小峯隆生 撮影/山形健司)

■鈴木宗男(すずき・むねお)
1948年生まれ、北海道出身。83年に衆議院議員に初当選。内閣官房副長官、自由民主党副幹事長、同総務局長などを歴任。2002年、あっせん収賄の容疑で逮捕される。2005年の衆議院選で「新党大地」を旗揚げ、再び議員に当選したが、2010年12月から1年間、収監された。

■佐藤優(さとう・まさる)
1960年生まれ、東京都出身。専門職で外務省入省、国際情報局で主任分析官として活躍。2002年、背任と偽計業務妨害の容疑で起訴され、2005年、執行猶予付き有罪判決を受ける。

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