かつて交際していた女性を脅して復縁を迫ったなどとして、強要未遂などの疑いで逮捕されたのち、起訴猶予処分となって釈放されたロック歌手の内田裕也氏が2011年6月3日、東京・銀座にある博品館劇場で記者会見を開いた。内田氏は『マイ・ウェイ』の楽曲とともに登場。娘婿で俳優の本木雅弘氏に対し「好事魔多し(物事がうまくいっているときほど意外な落とし穴がある)というから気をつけて」と言っていた矢先の事件であったと語った。また、被害女性に対する事件当時の思いを聞かれると、「ロックンロールに免じて、ひとつ勘弁してください」と返答を避けた。

 以下、会見での内田氏の発言と質疑応答とを全文書き起こして紹介する。

金子稔弁護士: 弁護士の金子です。会見に先立ち2点ほどお願いがある。まず被害者についてはご本人のプライバシー保護の観点からすでに一部で報道されている事柄が事実であるかどうか、本当であるかどうかも含めてお答えはできない。あらかじめご了承ください。それから示談に関して。被害者の方と示談が成立したこと、これは事実だが、その具体的内容についてもやはりお答えできない。その点もあらかじめご了承いただきたい。

(会場に『マイ・ウェイ』が流れ、内田裕也氏がステージに)

内田裕也氏(以下、内田氏): 本日はありがとうございます。東日本大震災、死者1万5000人以上、行方不明が8000人以上。避難して生活している方は約10万人という。また福島第1原発が依然として燃え続けている。日本にとって最大の危機のこの時に、プライベートの問題で世間をお騒がせし、こういう事態になり、本当に申しわけございません。

(内田氏、ステージ上で立てひざの状態になる)

 まず、相手の方そのご家族に多大なるご迷惑をおかけして、心から反省しております。どうかこれからもがんばってください。続いて、結婚情報誌『ゼクシィ』のCM、僕の生涯で4本目のコマーシャルに推薦していただいた箭内(道彦)監督をはじめカンバニーの皆さん、またスタッフの皆さんに対して心からおわびします。素晴らしいアーティスティックなコマーシャルで、本当にそういうことを冷静に考えていれば、こういうことにならなかった。本当にスタッフの皆さん、勘弁してください。よろしく。

 続いて(記者会見場である)この銀座博品館劇場、伊藤(義文)社長のご厚意によりお借りしたが、ここで38年間続けている「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」。今年は東京、上海、ソウル、ニューオリンズ、そして初めて大西洋を越えてロンドン、5ヶ所でやりました。このコンサートをずっと応援していただいている関係者の皆さん、もういろんな方、本当に...皆さんのご厚意を裏切ることになり、申しわけございません。この場を借りておわびします。また、5ヶ国を3時間にまとめて毎年放送していただいているフジテレビの方々は僕を信用してやってくださっていたので、世界でも前例のない3時間のコンサートを(続けたいと)ここだけは僕も検事さんに深く頭を下げて、なんとか起訴猶予で「コンサートができるように」と心からお願いした。本当に幸いなことに、「起訴猶予」ということを聞いたときには本当に自分も男泣きするような感情に襲われた。いろいろ支えてくださった皆さんに心から謝りたいと思う。

 もうひとつ家族についてだが、コマーシャルでは(妻の)樹木希林さんと初共演ということになったが、娘・也哉子、そして(娘婿の)本木雅弘に大きな大きな迷惑をかけて、娘もいまのところ口をきいてくれない状態で、(原宿署を)出てすぐ謝りに行こうと思っていったが、記者の方も数人いらして、玄関で手を合わせて帰ってきた。娘もいまだにまだ口をきかないという、親子断絶のような状態になり、こういうクレイジーなことをやって、その代償は社会的にも想像以上の大きなもんだと、深く反省している。それではご質問を受けたいと思う。よろしくお願いします。

■「まさか俺がこういうことをしでかすとは思わなかった」

テレビ朝日「モーニングバード!」リポーター(以下、モーニングバード): 逮捕されたその瞬間にはどんなことを思ったか。

 夢のなかにいるようななかで家宅捜査を受け、そのあと「こういう罪状で内田裕也こと(本名)内田雄也を逮捕します」という刑事さんから罪状を示され、ただあ然としたというのが本当の感情。そのときは気が動転しており、なんと言っていいかというのは表現できないが、ことの重大さにその頃は気づいていなかったと反省しています。

モーニングバード: 勾留中はどんなことを考えていたか。

内田氏: 独房に入っており、孤独感と自己嫌悪。そして6時半起床の9時就寝という自分のライフスタイルを大きく変えるような(日々の)なかでの取調べ、そして検察庁へ。手錠は100回以上かけられたり、はずされたりという環境で、前半1週間はほとんど寝られなかった。徐々に気持も落ち着いてきて、男らしく責任をとろうと決心をした次第だ。

モーニングバード: (原宿署を)出て最初に希林さんの自宅で手を合わせていたが、あのときは何をどういう風に思い、手を合わせたのか。

内田氏: 実は、僕だけが内田家の問題児でありまして、希林さんも娘を立派に育ててくれて。また本木雅弘も日本を代表する俳優になって、本当に後半の人生としてはほかの映画人や演劇人、俳優さんにはない素晴らしい家族だという風に考えている。「俺だけは気をつけなければいけないな」というので、本木君には「『好事魔多し』だから気をつけてね」と言っていた。まさか俺がこういうことをしでかすとは思わなかった。(手を合わせたときは)心からおわびしたつもり。

テレビ朝日「スーパーJチャンネル」リポーター(以下、スーパーJチャンネル): 事実経緯、被害女性についてはお話できないという説明があったが、相手の女性についてというよりも、なぜここまでもつれてしまったのか内田さんの女性に対する思いというのはどういうものだったのか。

内田氏: それがわかってれば、冷静でいられたと思う。僕も酒を飲むと、昔からあれで...まぁ(今回の事件を)アルコールのせいには絶対にしませんが、たびたび飲酒のうえそういう、空想や妄想が働いて(ということがあった)。本当に相手の方には悪いことをしたと心から思っています。「武士の情け」でこれ以上、相手の方のご職業やお名前、住所とか、ロックンロールに免じて、ひとつ勘弁してください。よろしくお願いします。

スーパーJチャンネル: 奥さん(樹木希林さん)は会見のときに「(内田裕也氏は)常々、『俺を立派に死なせろ』と言ってきた。今回のことで死ぬのは立派ではないかも知れないけれど、うまくいけば社会的に死ねるんじゃないか」と辛らつな言葉があった。それを釈放されたのちに聞かれたかどうかわからないが、いまその言葉をどういう風に受け止めるか。

内田氏: マネージャーも弁護士も気を遣ってくれて、21日の勾留のなかで(事件に関係する記事は)真っ黒に塗りつぶしてある新聞や週刊誌(ばかりで)、もちろんテレビは見ることはできませんが、一切そういう外の情報がなかった。出てきても僕が動揺してはいけないというので、あまりはっきりとは見せてもらえなかった。なかにはちょっと屈辱的なタイトルの記事とか(もあった)。もうひとつ僕は、こういう立場なんで反論はできないが、悔しかったのは、なんという週刊誌か忘れたが「内田(裕也)はヒット曲もなくて、ロックシンガーとしてはたいしたことのない奴だ。ロックじゃなくてフォークになっちゃった」という風に書いてあった。ただ自分としては最後の誇りとして、タイガースやフラワーズ、フラワー・トラベリン・バンド、クリエイション、PARIS-TEXAS、大勢の若い人たちを世に出してきたつもりだ。また映画においても崔洋一監督、そして滝田洋二郎監督。29歳の彼(滝田監督)を抜擢して映画『コミック雑誌なんかいらない!』なんかを作ってきた。僕のなかでは、カンヌ映画祭もニューヨークで1ヶ月(映画が)上映されたこと、そしてもっとも生涯の誇りに思っているのが、ニューヨーク近代美術館での上映であるとか、『The New York Times』で3回も取り上げてくれたこと。あまりにも僕がキレやすくて粗野な行動をとるので、自分のアーティストとしての部分を評価していただけなかったのが、とても悔しい。

スーパーJチャンネル: 内田さんは政治に対して関心を高く持ってきたが、内田さんがバタバタしているなか、まさに釈放されたすぐあとで政界もバタバタした。昨日(2日)は、(内閣不信任決議案が提出されるという)大変なことが起きたが、ご自身の状況をかんがみながら、政治の状況をどう見ていたか。

内田氏: 釈放されてから(新聞を)拝見して。(勾留中は)一紙だけ新聞を(読んでいた)。自分の(事件に関係する)ところは真っ黒に消されていたが、いったいどうなっているんだろうなといつも関心をもっていた。自分が政治家を目指し立候補した東京都知事選(1991年)では54,654票(を集めた)。本当に皆が「(内田は)たいしたことねえ、泡沫候補だ」というなかで頑張ってきたつもり。(事業)仕分けやいろんなところに行ったのは、自分もジョン・レノンの影響がすごくあった。彼の本を読んだらすごくショックを受けて。ヴァチカンであったり、アイルランドの人たちとか(について書いてある)。本気で彼は闘っていたんだなと。僕はジョン・レノンにはなれないが、同じ年なんで、2人でニューヨークの街で呑んだり...よく話をした。大きな影響を受けた。後半の人生に。ほんの足元ぐらいには追いつきたいなという風に思っている。

 日本のロッカーの方は、あまり政治に関心がないようだが、政治というのはとても大切な、もっとも大事なことのひとつだと思っていた。そういう意味で...、仕分けはまあ僕が顔を出してどう(なる)ということでもなかったと思うが、2年間で4回すべての仕分けを見学に行った。本当は、僕の理想はいろんなミュージシャンが集まって、新しい「ロックンロール党」みたいな感じのパーティ(党)ができればと思っている。まだ俺だけがドン・キホーテのような、ひとりでピエロで走っているような感じだが。(とにかくそうしている間に)東国原(英夫)氏も宮崎県知事になり、そして橋下(徹)大阪府知事も誕生した。(自分は)10年早かったと思うが、そういう人たちがいろんなジャンルから政治に参入して新しい血を注いでもらいたい。

 もうひとつ悔しかったのは、私も4月6日に先ほどの(会見前に説明をしたアーティスト)HIROや三原(康可)君、BILLY君らと一緒にピザとミカン690個、バナナ690本を届けに(被災地の)石巻市へ行った。3時間のコンサートをやりながら、ピザを皆に配ってきた。そういうことも今回の(事件の)件で一挙に吹っ飛んでしまったというのもとても残念。政治では...さっきのHIRO君は震災の次の次の日には相馬市とかいろんなところに行っている。三原君も奥さんと6日間寝袋に入って瓦礫のなかでボランティアをしている。僕の周りは本当に悪そうな感じの奴が多いけれども、人間としてはとても尊敬できる連中が多い。さっきその話を聞いて、誇りに思っている次第だ。「早くなんとか現地を助けてあげてほしい」、「いったい何をやっているんだ」というのが、ロックンローラーとしての一番の怒りと抗議の気持ちだ。

「結婚というのは一度きりだと決めている」 内田裕也氏謝罪会見全文(2)

(土井大輔)