――カリフォルニアといっても、南カリフォルニアは柔術、MMAともに凄く盛んなイメージがありました。なぜ、南カリフォルニアでなくベイエリアのアメリカン・キックボクシング・アカデミー(AKA)を選択したのでしょうか。

フィッチ なんでだろう? ただ、僕は北カリフォルニアが南カリフォルニアより劣っているとは全く思っていなかったよ。こっちのほうが良いトレーナーがいるし。ハビエル・メンデス(AKAのオーナー。元キックボクサー)は、とても有名な存在だったしね。クレイジー・ボブ・クックも素晴らしいトレーナーだ。それにデイヴィッド・カマリロもAKAにはいるからね。2003年の5月にこっちにやってきて、もう4年になるよ。

――こちらに来た当初、まだUFCブームはありませんでした。どのように生活の糧を得ていたのですか。

フィッチ バーのドアマンをやっていた。週に4日か5日、一晩で50ドルを稼ぐと、アパート代や食事代ぐらいは捻出できたよ。ツナ缶や卵を使った料理を自分でやってね。月に800ドルほど稼ぎ、500ドルをアパート代に、残りを食費にしていたんだ。ファイトのある月は、もう少しお金が入ったし、UFCで闘うようになってからは口座の額は目に見えて違ってきたよ。

――日本でフィッチ選手の名前が、初めて知られたのは、ショニー・カーター選手と闘った試合からだと思います。

フィッチ 修斗のラスベガス大会だね。

――カーター選手が、当時、無名のあなたに敗れ、非常に驚いたことを覚ええています。ただ、カーター選手が通常体重より重い体重で闘ったから負けたという見方も多かったです。

フィッチ 僕は、もともとライトヘビー級でMMAを闘っていたけど、ティト・オーティズとか見ると、全く体格が違ったんだ。ナチュラルの体重で闘っていたから、ウェルター級までは体重を落とせるだろうと思った。ショニーとやったとき、元々はウェルター級だったんだけど、彼が体重を落とせそうにないということで175パウンドで闘うことになったんだ。結局、UFCの前にジェフ・ジョスリンと闘った試合が、初めてのウェルター級のファイトになった。ハイスクールに入った年以来、久しく経験していない体重だったけど、まぁ、問題はなかったね。

――計量のときなど、随分とやつれて見えるのですが、減量に問題はないのですか?

フィッチ 大学でそういう研究をしていたから、問題はないんだ。確かに食事や水分も摂っていないから、そんな風に見えるかもしれないけど、実際は減量でなく、計量前の契約に関するやりとりで疲れちゃうんだよ。コミッションが、いろいろ言ってくるからね。だから計量のときって、凄く雰囲気が悪いんだ(笑)。

――フィッチ選手が、日本でも注目されるようになったのは、やはり昨年の10月に弘中邦佳選手と闘ってからです。無名で強い選手がいると。

フィッチ 多くの選手、マネージャー、プロモーターが自分のことを知らなかった。しょうがないよね。僕はたくさん試合がしたかったけど、闘ってくれない選手やマネージャーも多かったんだ。凄い接戦をしても、負けは負けで、誰からも認められないという現実があるからね。米国では、特にそうだよ。日本は違うよね。必死で戦った人間に対しては、何かを感じてくれる。でも、こっちは違うんだ。ちょっと、厳しいね。敗北は敗北でしかない。そのうえ、勝利を目指し安全策をとると、すぐにブーイングだから。でも、ヒロナカは思った以上に強かったよ。テイクダウンも取れたし、打撃でも自分が上だと思っていたんだけど、とにかく打ち返してきた。三角絞めも速かったよ。デイブ・カマリロに柔術の指導を受けていたから、反応できた。あとはフェンスを使って攻めることができたんだ。僕がAKAに来た当時、テイクダウンを狙うと、すぐにギロチンやトライアングルでやられていた。1日に何回も。その経験があって、僕のディフェンス能力は上がったんだ。もう、極めさせることはないよ。

――一番、最近の試合はホアン・ジュカォン選手から一本勝ちをしました。

フィッチ KOしたかったけど、チョークになったね。彼はグラウドでは凄く良い動きを見せたけど、バックを取れ、アッパーを当てることができたことが、結果に結びついたんだと思う。

――「これでタイトルを!」と普通ならなるのですが、UFCウェルター級は層が厚すぎて、なかなかタイトル挑戦権が回ってきません。

フィッチ 凄く良い選手がいるよね。まぁ、焦らないよ。UFCで活躍することが大切だし、試合もコンスタントにあり、お金も入ってくる。現状に不満はないよ。だからタイトルが欲しいから他のプロモーションで闘いたいなんてことはないし、世界のベストと闘うならUFCが最適だよ。ベストファイターと闘い、勝つ。そうやっていると、タイトルマッチに辿り着くだろう。

――同じチームに、ジョシュ・コスチェックというウェルター級コンテンダーが存在します。8月25日にはジョルジ・サンピエールと闘うということは、その試合に勝つとタイトル挑戦も見えてきます。同じチームの選手が王者になると、目標を変える必要も出てくるのではないでしょうか。

フィッチ 厳しいよね。ただ、チームメートと闘うつもりはない。ジョシュがチャンピオンになればミドル級に上げることを考慮しないといけないけど、僕はウェルター級で闘うことが、一番自分に合っていると思う。

――UFCは王者を任命していますが、ランキングは存在しません。もし、あなたがランキングを作るとすれば、ジョン・フィッチはウェルター級の何位にいると思いますか?

フィッチ 僕は自分がワールド・ベストだと信じている。ただ、そのことを証明する機会がまだ訪れていないだけで。そう、だからは僕がランキングを作るとすれば、ジョン・フィッチはナンバーワン・ファイターだよ。

――まさに無冠の帝王ということですね。

フィッチ アンクラウン・キング……、クラウンを手にできるチャンスが欲しいね(笑)。もう、ダーク・マッチに出ることもないだろうし、UFCも僕をプッシュしてくれるはずさ。だから、トップとされる選手なら、誰でも闘うよ。ディエゴ・サンチェスでも、カーロ・パリジアンでもね。マット・ヒューズとマット・セラ、コスチェックとGSPが闘うという前提があるなら、ディエゴかカーロと闘いたいね。だから、日本のMMAファンも僕の試合に注意を払ってほしい。そして、僕のホームページ、フィッチ・ファイター・コムhttp://www.fitchfighter.com/を覗いてください。

ジョン・フィッチ:1978年2月24日、インディアナ州フォートウェイン出身

UFC FIGHT NIGHT 10 “裏王者”ジョン・フィッチいよいよ台頭!