何かと話題になっているインドネシアサッカー界の帰化戦略。
かつてオランダの植民地であった彼らはここ数年、同国にルーツを持つオランダ生まれの選手を代表チームに多数招き入れており、その候補は150名を超えるとも伝えられる。
そんなインドネシアと対極的な位置にいるのがサッカー王国ブラジルだろう。
選手の輸出大国として知られ、他国の国籍を取得してその国の代表でデビューした選手の数は把握するのも困難なほどだ。
そこで今回は、他国に帰化をして代表入りしたブラジル人選手のベストイレブンを特集してみよう。
選考基準として、どちらかを選べる選手よりはより帰化に近い選手を優先したことはご了承いただきたい。
GK:ギリェルメ(ロシア)
ロシア代表:
19試合0得点(2016-2021)
出場したビッグトーナメント:
なし
アリソンやエデルソンなど近年非常に優秀なGKを輩出しているブラジルだが、20年ほど前までは唯一のウィークポイントとされていた。
そうした事情もあってか他国に帰化して代表入りしたキーパーは見当たらず。彼が一択といえるだろう。
ギリェルメはプロデビューしたアトレチコ・パラナエンセでそれほど出場していなかったが、ロシアの強豪ロコモティフ・モスクワが青田買い。同リーグ初のブラジル人GKになった。
その後ロシアリーグを代表する選手へと成長し、2015年11月には同国の市民権を取得。過去にU-20ブラジル代表へ招集された経験もあったが、2016年にロシア代表デビューを飾った。
DF:ペペ(ポルトガル)
ポルトガル代表:
141試合8得点(2007-2024)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2010.2014,2018,2022
EURO2008,2012,2016,2020,2024
レアル・マドリーと契約した当時、「無名選手」として冷ややかな目で見られた彼がこれほどまでの選手になると誰が予想しただろうか。
18歳の時にポルトガルへ渡り、クリスティアーノ・ロナウドの出身地でもあるマデイラ島のマリティモと契約。すぐに頭角を現し、数年でポルトガル有数の選手となった。
2007年8月にポルトガル国籍を取得して以降は代表の看板選手としてチームを牽引し、EURO2016では同国の悲願だった国際タイトル獲得の原動力となった。
41歳で迎えた今夏のEURO2024で5大会連続の出場を果たすと、大会後、長い現役生活に別れを告げた。
DF:田中マルクス闘莉王(日本)
日本代表:
43試合8得点(2006-2010)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2010
センターバックのもう一人は、日本代表の闘莉王を推したい。
日系3世で父方の祖父は広島出身、祖母は富山出身で、高校時代に留学生としてブラジルから遠い日本へやってきた。
そのまま日本でプロ入りし、水戸ホーリーホック時代の2003年に日本国籍を取得。U-23日本代表としてアテネ五輪に出場した。
母国の英雄ジーコの日本代表には呼ばれなかったが、イビチャ・オシム体制になって不動のDFに。2010年ワールドカップでは中澤佑二と鉄壁の守りを形成し、日本のラウンド16入りに貢献している。
他の候補:
エメルソン・パウミエリ(イタリア)
ラファエル・トロイ(イタリア)
マルコーネ(カタール)
など
DF:マリオ・フェルナンデス(ロシア)
ロシア代表:
33試合5得点(2017-2021)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2018
ロシアの強豪であるCSKAモスクワのレジェンド。もともとは大型のセンターバックだったが、右サイドバックとして大成した。
若手時代はブラジル国内でも有数の選手で、2011年にブラジル代表へ初招集され、2014年に行われた日本代表との親善試合でデビューしている。
ただその後招集されることはなく、2016年にロシア国籍を取得。2017年に代表デビューすると、ロシア開催となった2018年ワールドカップでは全5試合に出場した。
DF:ロジェール・ゲレイロ(ポーランド)
ポーランド代表:
25試合4得点(2008-2011)
出場したビッグトーナメント:
EURO2008
2008年のEUROには5人のブラジル出身者がいたが、その一人がポーランド代表のロジェール・ゲレイロだ。
ブラジル国内ではコリンチャンスやフラメンゴに在籍し、その後スペインのセルタでもプレー。2006年にレギア・ワルシャワと契約を結び、ポーランドへやってきた。
その2年後の2008年4月には、ポーランド国籍を取得している。短期間での国籍取得はEURO2008に向けた特別な措置であり、当時の大統領からは「あなたを歓迎する」とのメッセージを寄せられた。
この大会でポーランドは1分2敗のグループ最下位に終わったが、唯一ゴールを決めたのがロジェールであった。
他の候補:
右/シシーニョ(ブルガリア)
左/ルシオ・ヴァギネル(ブルガリア)
左/三都主アレサンドロ(日本)など
MF:マルコス・セナ(スペイン)
スペイン代表:
28試合1得点(2006-2010)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2006、EURO2008
いぶし銀で玄人好みのボランチだったが、このテーマを語る上では欠かせない選手だ。
ブラジル国内で地道に実績を重ね、26歳の夏にスペインのビジャレアルへ。2006年にスペインの市民権を得ると、同年のワールドカップに出場した。
ただ、彼のキャリアのハイライトは何といっても2008年のEUROであろう。
32歳で大会を迎えたMFは、シャビ・アロンソらを抑えて中盤底のポジションを獲得。そのMVP級の働きによって“勝てない無敵艦隊”を44年ぶりの優勝へと導いたのである。
MF:チアゴ・モッタ
イタリア代表:
30試合1得点(2011-2016)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2014、EURO2012,2016
昨シーズン指揮官としてボローニャにクラブ史上初のCL出場権をもたらし、今シーズンからユヴェントスを率いているチアゴ・モッタ監督。
彼はブラジル出身で、招待国として参加した2003年のCONCACAFゴールドカップにはカカ、ジエゴ、ロビーニョらとともにセレソンのユニフォームを着てプレーしている。
ただ、2011年には祖父の出身地だったイタリア代表に初招集されデビュー。上記のゴールドカップはU-23代表として派遣されていたため、鞍替えには支障がなかった。
左利きのセントラルMFで睨みが利く選手だったが、EURO2016では背番号10を与えられている。
他の候補:
チアゴ・アルカンタラ(スペイン)
ジョルジーニョ(イタリア)
マテウス・ヌネス(ポルトガル)
エジマール(ウクライナ)
ラモス瑠偉(日本)など
MF:デコ(ポルトガル)
ポルトガル代表:
75試合5得点(2003-2010)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2006,2010、EURO2004,2008
天才的なMFだったデコは、あのジョゼ・モウリーニョを指揮官として有名にした選手ともいえるだろう。
1997年にヨーロッパへと渡ってその能力を開花させ、1999年にポルトへと移籍。モウリーニョの申し子的な存在として2003年にUEFAカップ(現在のEL)、2004年にはUEFAチャンピオンズリーグを制覇した。
この頃にはポルトガル国籍を取得して代表入り。これは母国の重鎮で同代表の指揮官に就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督からの要請で実現したものだが、当時の中心選手からは反発も招いた。
それでも自国開催となったEURO2004でいきなり準優勝に貢献すると、こうしたムードは沈静化。以降2010年に代表を離れるまで中心的な存在であり続けた。
MF:メフメト・アウレリオ(トルコ)
トルコ代表:37試合2得点(2006-2011)
出場したビッグトーナメント:
EURO2008
メフメト・アウレリオは、帰化選手として初めてトルコ代表に招集されたダイナモMFだ。
ブラジル国内のフラメンゴでデビューし、その後トルコで大成。全盛期を迎えていたフェネルバフチェ時代にはジーコ監督のもとチャンピオンズリーグで旋風を巻き起こした。
2006年7月にトルコ国籍を取得して代表デビュー。 2008年EUROでは予選から中心選手として活躍し、本大会ではトルコ代表のベスト4入りに大きく貢献している。
なおもともとの登録名は「マルコ・アウレリオ」で、帰化した後にトルコ風の「メフメト・アウレリオ」となった。
他の候補:
マルロス(ウクライナ)
サミール(クロアチア)
ロドリゴ・タバタ(カタール)
ファビオ・セーザル(カタール)
リカルド・グラール(中国)など
FW:カカウ(ドイツ)
ドイツ代表:
23試合6得点(2009-2012)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2010
パウメイラスのユースに所属した経験をもつカカウだがブラジル時代は全くの無名。ドイツでも5部リーグからキャリアを始めたという変わり種だ。
しかし彼の真面目で献身的なプレーがドイツの水に合ったのかそこからとんとん拍子に出世。
11シーズン所属したシュトゥットガルトではブンデスリーガ制覇を成し遂げるなどリーグを代表するFWとなった。
ドイツ在住が8年を超えた2009年2月にドイツ国籍を取得。ヨアヒム・レーヴ監督によってドイツ代表への招集され、2010年ワールドカップに出場した。
2014、2015年にはセレッソ大阪にも所属している。晩年であまり結果は残せなかったものの、ファン感謝デーで黙々とたこ焼きを焼く姿には彼の人柄が表れていた。
FW:ジエゴ・コスタ(スペイン)
スペイン代表:24試合10得点(2014-2018)
出場したビッグトーナメント:
ワールドカップ2014,2018
ブラジル生まれながらスペインで頭角を現した悪童ジエゴ・コスタ。彼は両国の代表キャップを所有している珍しい選手だ。
アトレティコ・マドリーで得点を量産していた2013年に、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督から招集を受けブラジル代表デビュー。
しかしその後は声がかからなかったため、ビセンテ・デル・ボスケ監督の誘いを受けてスペイン代表へ鞍替え。2014年、2018年ワールドカップに連続出場した。
この鞍替えについてスコラーリ監督からは「裏切者」と批判され、ペレからは「ブラジルで正当な評価を受けなかったと思っていたなら、正しい判断だったのでは」と擁護されている。
ロマーリオ、ロナウド、アドリアーノと怪物的なストライカーを立て続けに輩出したブラジルだが、その後世界的な点取り屋を生み出せないでいる。
当時の代表チームもFWの駒不足に悩まされおり、そんな中でジエゴ・コスタを他国に奪われてしまったことについては少なからず論争を呼ぶことになった。
他の候補:
パウロ・リンク(ドイツ)
ケヴィン・クラニー(ドイツ)
リエジソン(ポルトガル)
オタヴィオ(ポルトガル)
ロドリゴ(スペイン)
カターニャ(スペイン)
エデル(イタリア)
アマウリ(イタリア)
ジョアン・ペドロ(イタリア)
アラン(中国)
エウケソン(中国)
アロイージオ(中国)
フェルナンジーニョ(中国)
呂比須ワグナー(日本)
エメルソン・シェイキ(カタール)
エドゥアルド・ダ・シウヴァ(クロアチア)
フランシレウド・ドス・サントス(チュニジア)など
世界でも類を見ないほどの数だが、そもそもブラジルには国籍を離脱するという考え方がない点については留意する必要がある。