※本稿は、石村友見『Life is Wellness 「健康な生き方」の科学』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■32日間の断食後、食事を再開したら…
タングルウッドはボストンから車で2時間ほど西に行った、マサチューセッツ州とコネチカット州にまたがる南北158kmに渡る丘陵地帯だ。毎年夏になるとタングルウッド音楽祭が開かれ、ボストン交響楽団の活動拠点にもなっている音楽の街としても知られる。事件は、この美しい緑に囲まれた土地で起きた。
所長の男性が「断食」による心身の治療を唱えた健康センターを作ったのは2000年代に入ってから。医師に見放された末期の患者から、病気、肥満の改善を強く求める人まで、過去14年間におよそ2000人がこの健康センターに泊まり込みで「水だけ断食」を行った。
「断食すれば治らない病気などありません」
所長はそう言い放つが、この健康センターに医師はひとりもおらず、ここで実践されている数十日に及ぶ断食療法は多くの危険を孕(はら)んでいた。
断食を終えたある男性はやせ細り、体重は40kg台の前半になっていた。もともと病を抱えていたこの男性はすがる思いでセンターに入所し、30日間以上の断食を終えたところだった。
センターで食事を再開した彼は、突然服をすべて脱ぎ捨て外に出ようとしたそうだ。妻によれば「控えめで目立つのが嫌いな彼からすると考えられない行動」だった。
■「食事再開とは無関係」というが…
断食の危険さは「食事再開時」にあると言われる。強烈な飢餓状態から急に食事を再開すると、体の電解質レベルに異常が起き、うつや不安障害を引き起こすことがある。最悪の場合は意識を失ったり、心不全を起こしたりして死に至ることもある。本来は、医師の管理のもと細心の注意が払われなければならないプロセスだ。
ところがセンターはそうはしなかった。その夜、センターは彼を近くのホテルにひとりで宿泊させたのだ。翌朝、彼が階段下で倒れているのが発見される。妻が病院に駆けつけたとき、彼は生命維持装置につながれていたそうだ。やせ細り、傷ついた夫の姿を見た彼女はどんな思いだっただろう。それからしばらくして夫は息を引き取った。
責任を追及された所長は、メディアのインタビューに淡々とこう答えている。
「彼の件は、断食や食事再開とは無関係です。死因は頭を打ったこと。誰にでも起きうる事故ですよ」
■無計画な「断食ダイエット」の深刻なリスク
私が住むニューヨークでも、断食はとても人気のあるダイエット法だ。16時間断食を時折行う人や、週に1日だけ断食をする経営者などもいる。やせることを目的にしている人もいれば、胃腸への負担を軽くして体調を良くする目的の人もいる。素晴らしい効果を実感している人もいるし、逆に効果が出ないどころかリバウンドで断食前より太る人もいる。
問題は、これらが「衝動的に」行われるケース。
私の知人に、まるでジェットコースターに乗っているように生活リズムを衝動的に作ってしまう女性がいる。彼女は食への執着がとても強く、四六時中「次は何を食べよう⁉」と考えている。一瞬の快感のために過食をし、その直後に罪悪感を覚え、丸一日何も食べずに我慢し、結局また過食に走ってしまう。
彼女は健康法に関心があり、次々と取り入れては、そのたびにリバウンドして「自己嫌悪」に陥る。
こんなアップダウンを繰り返しながら体と心のダメージを積み重ねてしまう。彼女の肌はボロボロだし、体重は年々増えていくし、背中も丸くなってきた。以前より声が小さくなったのは、自信のなさの表れだろう。何より、自分のことを好きじゃなさそうだ。
■なぜ私たちは衝動的に選んでしまうのか
ある日、彼女がある断食センターに宿泊していると知った。私は断食センターそのものをまったく否定していない。あくまで安全なセンターと危険なセンターがあるという認識だが、彼女のそれまでの衝動的な生活リズムを見てきたため心配になり、「会いに行ってもいい?」とメッセージを送った。
既読になってからちょうど2日が経った頃、彼女から長文の返信があった。そこには、
「TOMOMIが来て私に何を言うつもりかわかっているから来なくていい」
「断食を始めて五感がとぎすまされた。以前はわからなかった花や木や建物の匂いがわかる。これがわからないあなたたちはかわいそうだ」
といった趣旨が書かれていた。「あなたたち」という言葉に、こちら側とあちら側の断絶が感じられ、彼女がつながりをハサミでプツンと切った音がした。
私は「元気そうでよかった」とだけ返した。
減量をした人の95〜98%が元の体重に戻る。断食は短期的にはやせることも多いが、長期的にはリスクも抱える。とはいえ、繰り返しになるが断食の良し悪しを問いたいわけではない。世界中の健康法の多くには、つねにリスクとリターンが同居している。問題は、彼女のようにそれらを衝動的に選んでしまうことだ。
食べ物について、運動について、睡眠について、メンタルヘルスについて、あらゆるヘルス産業が画期的な方法を提供している。健康サプリメント、ヘルスフード、ヘルスセンター、ヘルスグッズ、出版、SNS、動画ビジネス。
■「なりたくない。やりたくない」に訴えるものばかり
溢れる健康情報の中から、人々は「次はこれ。その次はこれ」と選択して、いや、“選択させられて”自らの生活に取り入れていく。
健康法の提供者たちは、じつに巧妙だ。彼らのアプローチはこれに尽きる。
「なりたくない。やりたくない」
これは一体どういうことだろう?
英語で健康を表す「health(ヘルス)」の対義語は「illness(イルネス)」。「病気」という意味だ。
health(健康) illness(病気)
誰しも病気に「なりたくない」。多くの人は健康でいたいというより、病気になりたくないのだ。他にも「なりたくないもの」はたくさんある。
老いたくない。
太りたくない。
シワが増えたくない。
禿げたくない。
ボケたくない。
嫌われたくない。
恥をかきたくない。
ビジネスの世界では「コンプレックスが商売になる」とよく言われる通り、人が「なりたくない」「受け入れたくない」ものをテーマにして、その解決法を提案していく手法がよくとられる。
なかでも「病気になりたくない」は人類最大の願いだ。受け入れたくないもの、つまりウェルカムではない「アンウェルカム」の代表こそがillnessなのだ。
■刺激的な方法で短期的な効果を求めていく
それらアンウェルカムなものを回避するための解決法についても、健康法の提供者たちは巧みに提案してくる。
「健康」とは本来、安定的に、長期的に享受したいものであるはずだが、「健康法」となると人々は途端に別の選択をするようになる。その選択には、主に2種類ある。
ひとつは「刺激的」な選択。人はときとして「水だけの数十日間断食」のような過激な手段を選んでしまうことがある。病気になりたくない、これ以上悪化させたくない、という恐怖感によって、それまで経験したことのない過度な方法論で困難を打開しようとするのだ。
多くの人が挫折する方法だからこそ、自分がそれをやり切れば良い結果が待っているに違いない。本当は「やりたくない」けれど、その困難に打ち勝つことに意味がある。
こう考えて刺激的な方法を選び、短期的な効果を求めていく。
こうなると、周囲の人の声は耳に入らない。どんなに家族が止めようと、我が道を進む。それによって短期的な効果をもたらすケースはあるが、大抵はリバウンドや副作用が起きるし、かえって健康を害するという長期的なリスクを抱えることもある。
じつは、サービスを提供する側はこれらの人間心理を熟知している。目的を達成するまでにあえて高いハードルを設けることで、目的達成に意欲的な一部の人々を作りあげるのだ。心理学で「ロミオとジュリエット効果」などと呼ばれるものだ。
■「○○を食べるだけでいい」の罠
健康法のもうひとつの選択は、「ズボラのままでいい」というもの。あらゆるシーンで見かける「○○だけでいいですよ」という誘いだ。人は誰しも病気になりたくない。だからといって、食事法や運動法を継続的に実践したいわけではない。できることなら、最低限のエネルギーでそれを得たい。
そこで、健康法の提供者たちは、あらゆる手段を使って「ズボラ合戦」を行う。
○○を食べるだけでいいです。
1日たった1分でいいです。
あなたは変わらなくて構いません。
つまり、「やりたくない」気持ちに寄り添った“甘い誘惑”をしてくる。これらは誰に対しても当てはまる内容にもかかわらず、オファーを受けた人はまるで「ズボラな私のためにあるサービスだ」と自分特有のものであるように錯覚する。心理学で「バーナム効果」と言われるものだ。
しかし、みんな心のどこかで本当はわかっているはずなのだ。「そんなうまい話はない」と。
ところが、どうしてもそれらを衝動的に選択してしまう。
「なりたくない」と「やりたくない」。どちらもアンウェルカムなもの。
病気になりたくないから、やりたくない健康法を“しかたなく”やる。老けたくないから、やりたくない美容法を“しかたなく”やる。
■負の連鎖から抜け出さないと幸せは訪れない
とはいえ、やりたくないものが続くはずがない。続かないから、また別のやりたくない方法を選び直す。しかし、それも続かない。その結果、行き着くのは「自己嫌悪」だ。何をしても続かない自分への嫌悪や惨めさが湧き出してくる。これではhealthどころか、illnessになってしまう。
私は、この負のループを「アンウェルカム・ループ」と呼んでいる。
世の中に溢れる疾病(しっぺい)産業(病気に関連する産業)を中心とした「ヘルスケア」の情報やサービスは、意図して行っているわけではないとしても、結果的に、人々をアンウェルカム・ループに誘い込んでしまう。回し車をひたすら走り続けるハムスターと同じで、行き着く先には疲労感と自己嫌悪が待っている。
いつも自分に「足りない」ものを探し、「なりたくない」ものに怯え、「やりたくない」ものを衝動的に選び、「続けられない」ことで自分を責める。このアンウェルカム・ループから抜け出さない限り、幸せで穏やかな日々は訪れない。
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石村 友見(いしむら・ともみ)
Life is Wellness代表/ヨガ講師
ハーバード大学医学部「Health and Wellness講義」講義修了。劇団四季で『ライオンキング』に出演後、単身ニューヨークに渡り、ブロードウェイ・ミュージカル『ミス・サイゴン』に出演。その後ヨガスタジオを設立し、レッスンからヨガ講師の育成まで尽力。2018年に発表した著書『ゼロトレ』はシリーズ120万部の記録的ヒットとなり、『金スマ』『世界一受けたい授業』など多くのテレビ番組に出演。その後、ハーバード大学医学部「Health and Wellness」講義にて、ウェルネスの観点から世界最先端の栄養学をはじめ運動、コミュニケーションについて学ぶ。企業研修や企業とのコラボ、商品開発プロデュースなど多数。現在は、ニューヨークと東京を行き来する生活。1児の母。
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(Life is Wellness代表/ヨガ講師 石村 友見)