Netflixオリジナルシリーズ『極悪女王』で半生を描かれ話題の女子プロレスラー・ダンプ松本(63)。ABEMAエンタメは、悪役レスラーとして女子プロレス界で活躍し社会現象を巻き起こした彼女に独占インタビュー。そこで明かしたのは、最後まで許すことができなかった父の存在と、母への思い。「日本中から嫌われたレスラー」と、その家族に迫る。

【映像】「4畳半一間のアパートで暮らしていた」ダンプ松本の家族写真や現役時代の写真(複数カット)

父への憎しみ、母への愛がプロレスラーを目指させた「お金持ちになりたい、強くなりたい」

 1980年、19歳の時に本名の松本香で全日本女子プロレスのレスラーとしてデビュー。戦いの世界に飛び込んだ理由は、家庭環境が大きく影響していた。

 風呂無し、共同トイレの 4畳半一間のアパートに両親と妹の4人で住んでいたダンプ松本は、父についてこう語る。

ダンプ松本:(父は)ほとんど家にいなかったからあまり記憶にないんだけど、帰ってくるとお酒を飲んでいて。お酒が入ると威勢が入るっていうか。だから仕事もしないで、仕事をしないからお金がないわけで。お母さんが1人で働いているってことでしょ?何しているんだろうこの人はっていう感じだった。
レンジでご飯を温めたときに茶碗が熱くなるじゃないですか。お母さんが手で持たずに置いて食べていたら、「茶碗は手で持って食べろ!」って怒っていたのが記憶にあるのと、お父さんの親戚の方のお葬式で、バットを持ってお母さんを追いかけ回している姿を窓から見たことが印象に残っている。

 幼少期から、酒に溺れ、愛人宅に通っていた父を見て、ダンプ松本はある感情を抱くようになる。

ダンプ松本:お母さんが疲れた顔をしたりとか、風邪をひいたとか具合が悪くなったりすると、これもイコールお父さんが働かないでお金を入れないからこうなるんだって、子どもながらに思うので、憎しみはお父さんにガンって。いつか殺してやるって思っていました。
お父さんも「俺が強いんだ」って勢いでガッとくるでしょ?子どもだから、それに向かって「うるせぇこの野郎!」っていけるくらい強くなりたい、絶対ぶっ倒してやると思っていた。お金持ちになってお母さんにご飯食べさせてあげたいと。あんまり食べている記憶がないので。だから余計プロレスラーになりたかった。お金持ちになりたいのと、強くなりたいのが、両方当てはまるのが女子プロレスラーだった。

「色紙を持って家まで来るんじゃねぇ!」リングを降りても「ヒール・ダンプ松本」を意識

 1984年、ヒール軍団・極悪同盟を結成してダンプ松本に改名。同期の長与千種・ライオネス飛鳥によるタッグチーム「クラッシュギャルズ」の敵役として激しい抗争を繰り広げ、空前の「女子プロレスブーム」を巻き起こした。

ダンプ松本:「この世で1番殺したい、憎たらしいというのはダンプ松本」って言われていた。そういう風になるために自分は頑張っていたから、「やったー」ってうれしかったですけどね。どうやったら嫌われるんだろう。どうやったら嫌がられるんだろう。それしか考えていなかったので。

 「絶対的な悪」でいるために、リングを降りても「ダンプ松本」でいつづけたという。

ダンプ松本:「実家に帰ってくると優しいんだよ」とか、「リングを降りたら優しいんだよ」って思われるのが1番嫌でだから、家に帰ったときとか、道を歩いているときとか、リングを降りたときのが怖くしてた。
近所の人とかが、「今日、香ちゃん帰ってきているでしょ?サインしてくれる?」ってサイン色紙を持ってくる。お母さんが出ていってサイン色紙を受け取ろうとすると、それを自分が行って「色紙を持って家まで来るんじゃねぇ!」って色紙を投げ飛ばすのよ。そうすると、お母さんと近所の人が色紙を拾って。お母さんから「次の日に日本酒を持って謝りに行かなくちゃならないから、家になるべく帰ってこないで」って言われた。

 ヒールに徹し、世間から嫌われ続けたダンプ松本。当時、心安らぐ唯一の場所だったのはパチンコ屋だった。

ダンプ松本:パチンコ屋さんに行くと、自分が座っていても あっ!ダンプだ!って言われるくらいで、あとは自分が出るのが夢中だから、あんまり自分のことを気にされないし、喋りかけられなくて済むのね。騒がれなくて済むし…居場所、安心できるっていうかホッとできる場所だったの」

母のために家を建てるも、父も一緒に住むことに…

 悪役レスラーの孤独を感じつつも、プロレスの世界に飛び込んだ理由の1つだった「母への親孝行」という夢は叶えることができた。

ダンプ松本:(年収)4000万から6000万ぐらいはあったと思う。お母さんに家建ててあげたし、仕送りもしてあげてたから、それはすごく助かったと思う。助けてあげてたかなって感じ。

ーーお父さんも住んでいたんですか?

ダンプ松本:住んでんのよ。お父さんも住んでたのよ。そしたら『男が1人いた方がいいから』っていうんで、しょうがない。

 一方、父との関係は変わらず冷え切ったままだったという。

ダンプ松本:ほとんど喋ったことがなかったの。ダンプ松本になったときに、怖いと思ってたみたい。テレビとか見て流血させたりとかしてるからね。1度だけ。一緒にお酒飲んだときに、文句言われて「てめぇ殺すぞ」って言ったら、小さくなって隣の部屋に行っちゃった。話したくなかった。嫌いだったからね本当に。

45年会話しなかった父が認知症に…最期の会話を懐古

 高校生の時から、45年近く父とまともに会話をしなかったというダンプ松本。そんな親子関係に変化が訪れる。

ダンプ松本:(2019年に)ちょっとボケちゃってからは話すようになった。ボケ始めてからは、もう短いんだな(と思った)。ちょっとそういうの(憎い気持ち)はなくなった。かわいそうだと思った。

ーー認知症になったのはいつごろですか?

ダンプ松本:4年前ぐらいかな。話すことはなかったね。会話をあまりしたことがないっていうか、話したくなかった。嫌いだったからね。似た者同士なんだよって言われて、向こうも話しかけてこなかったし。ちょっとボケちゃったときに、写真を撮るためにだけなんだけど、カレーパン食べさせてあげたのが最後かな。

 2019年8月に亡くなった父に対し、現在ダンプ松本はどのような思いを抱いているのか。

ダンプ松本:かわいそうだなと思うよね。許したわけではないね。許せないから。番組でもいろいろ許してあげてって、そういう番組を作られて、それに出たりとかするんだけど、そのときはそういう風にしていたけど、心から許したことはなかった。

ーーダンプさん自身が家族を持とうって思ったことは?

ダンプ松本:ないんだよね。お父さんみたいなのに引っかかっちゃったら嫌じゃん。だから別に結婚したいとは思わないね。好きになった人はいるよ。一緒にご飯食べたり、一緒に遊んだりするけど、こいつと結婚しようと思ったことがない。どんなに好きになっても。結婚したらこいつ変わるかもしれないとかって思うでしょう。変な人と結婚しちゃったらさ、騙されちゃうでしょう。だから一度も結婚したいと思ったことがない。

 「父を倒し、母に楽をさせたい。」そんな思いからプロレスをはじめたダンプ松本。いまも現役でレスラーを続ける中、願うことはとは…。

ダンプ松本:お母さんが幸せだったら幸せかな。妹からは「そんなに嫌なら2人で死ねばいいでしょ」って言われる。先に死にたい。普通だったら自分の娘が親より先に死ぬのは嫌がるでしょ。でも、(母は)「香が先に死んで欲しい」って言うんだよ。「私(母)が死んだあと心配だから」って。だから先に死にたいか、一緒に死にたいな。

(『ABEMA NEWS』より)