■線虫が「がん特有の匂い」を嗅ぎ分ける
「カンタンだから忙しい人こそ早く検査してください!」
可愛らしいアニメキャラクター「線虫くん」が検査を呼びかける広告を、一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
世界初という線虫がん検査の「N-NOSE(エヌ・ノーズ)」。発売当初から、俳優の東山紀之を起用したテレビCMを展開。さらに、音楽プロデューサー・つんく♂、俳優の山本耕史や仲間由紀恵など、著名人による積極的な宣伝によって、一気に知名度を高めた。
線虫がん検査は、尿に含まれる「がん特有の匂い」を、嗅覚に優れた線虫が嗅ぎ分ける性質を利用する。全身15種類のがんリスクを、A〜Eの5段階で判定可能だという。
検査キットを購入して、自分で尿を採取。指定の場所に提出するか、自宅で集荷してもらうと、4〜6週間後に判定結果が分かるという手軽さだ。
線虫がん検査の費用は1回検査コースで、1万6800円。がんリスク検査の中では、比較的安価な価格設定である。
■どのがんが「高リスク」なのか分からない
検査を提供しているHIROTSUバイオサイエンス社によると、線虫がん検査の利用者数は60万人以上。神奈川県藤沢市などで、ふるさと納税の返礼品に選ばれ、福利厚生として導入する企業が2000社を超えたという。
だが、多くの医師や専門家は、線虫がん検査の信頼性に対して疑問を呈している。
まず、線虫がん検査では、高リスクの「DまたはE」と判定されても、15種類のうちどのがんなのか、分からないのだ。(※発売後、判定基準は2度変更されている)
現実的に、15種類のがん検査を全て受けることは難しいので、全身をスキャンするPET-CT検査を選択する人が多い。その費用は10万円前後。
さらに、がんの種類を特定した次は、本当にがんなのか、確定診断の検査が必要になる。このように線虫がん検査で「高リスク」と判定されると、国が推奨する5つのがん検診と比べて、PET-CT検査などの費用が余計にかかってしまう可能性があるのだ。
■初の全国調査で判明した衝撃の結果とは…
がん検診は「スクリーニング」といわれ、健康な人=陰性と、がんの疑いがある人=陽性を検査で振り分ける。
線虫がん検査で「高リスク」と判定された人は、後者の「陽性」にあたる。だが、実際に「高リスク(陽性)」と判定された人のPET-CT検査を行っても、「がんが見つからない」という医師からの指摘が相次いだ。
そこで、福岡大学放射線科の長町茂樹教授らは、日本核医学会PET核医学分科会PETがん検診ワーキンググループと共同で、線虫がん検査の初となる全国調査を2023年10月に開始した。
対象期間は、線虫がん検査が発売開始された2020年10月から、2023年9月までの3年間。PET-CT検査を実施する、国内229施設にアンケートを送付して、102施設から回答を得た。
この調査結果は、研究論文として医学誌「臨床核医学」9月号に掲載された。
■「高リスク」から、がんが見つかった割合は0.95%
「高リスク」と判定されて、PET-CT検査を受診した1053例中、がん発見は22例、陽性適中率は2.09%だった。陽性適中率とは、「高リスク(陽性)」と判定された人のうち、実際に「がん」があった人の割合である。
さらに、本来の線虫がん検査で検出できる15種類のがんでは10例、陽性適中率は0.95%だった。
論文の考察には、次のように記されている。
「高リスク判定群」は、線虫がん検査で“がんの疑いがある”と絞られた集団である。だから、一般の人たちより、がんリスクが高いと想定されるのに、実際の調査結果は低い数値だった、と論文は指摘しているのだ。
この調査は線虫がん検査の精度を検証したものではない、と論文に断りを入れているが、医師らの疑問を裏付ける結果となった。
■HIROTSU社「真の陽性的中率が圧倒的に高い」
この調査結果についてHIROTSU社に見解を求めたところ、次の回答があった。
(9/25:HIROTSU社の回答より抜粋)
2日後、HIROTSU社はプレスリリースをウェブサイトに掲載した。上記の回答とほぼ同じ内容だが、次の言葉が加えられている。
(9/27:HIROTSU社プレスリリースから抜粋)
■学会は「高精度と結論出来る結果ではない」
不思議なことに、同社の主張は論文の内容と全く噛み合っていない。
「感度」とは、検査を受けた人のがんに反応する(見逃さない)能力。「ブラインド試験」は、データの収集や解析で起こる偏りを排除するため、検査対象やデータの解析者に情報を伏せる試験方法である。
学会が論文で指摘したのは、陽性適中率であって「感度」ではない。また、今回は過去3年間の検査結果を調べたので、「ブラインド試験」に該当するはずもない。
このように矛盾をはらんだHIROTSU社の主張に対して、学会は真っ向から反論する見解を公表した。
(※今回の調査は)「ブラインド試験」ではなく、「感度が非常に高いこと」の根拠もありません。従って、「N-NOSEの陽性的中率が既存検査よりも圧倒的に高く、N-NOSEは世の中で使っても高精度である」と結論出来るような調査結果ではありません。
N-NOSEで高リスクと判定され、他の検診を受診される際に、過剰な心配は、必要でない場合が多いことをご承知おきください。また、逆に低リスクと判定されても安心せず、5大がん検診や人間ドック、その他がん検診を定期的に受けられることをお勧めします。
(10/3:PET核医学分科会Informationから抜粋)
今回の取材では、HIROTSU社の回答に不可解な点があったため、合計3回にわたって質問を行った。
同社からは「科学は一部抜粋ではなく丁寧に説明しないと読者の皆様には、ご理解頂けない場合もある」という指摘があったので、本記事の最後に、同社から9月27日付で届いた回答全文を掲載する。
(注)「陽性適中率」は厚生労働省の表記に準じた。ただし、プレスリリースなどの引用では、原文の「的中率」で表記している。
■研究論文の「評価」は玉石混交
同社は、線虫がん検査について著名な大学病院などと共同研究を行い、多くの研究論文をウェブサイトで紹介している。これを見た一般の人は、「信頼性の高いがん検査」だと思うのは当然だろう。
今年7月、同社は39本目となる研究論文を公表した。
国立病院機構・四国がんセンターのがん患者1664人から尿検体を採取して行った研究で、「がんの検出感度は全体として60〜90%」。「従来の15種類のがんに加え、歯肉がん、舌がん、耳下腺がん、甲状腺がんなど、新たに12種類のがんにも線虫が反応すると判明した」という内容である。
この研究論文について、臨床研究に詳しい日本医科大学武蔵小杉病院・腫瘍内科の勝俣範之教授は、次のように指摘する。
「本来、線虫がん検査を受けるのは、がんに罹患しているか分からない一般の人ですが、この研究では、がんと診断された患者の検体(尿)を使っています。それで60〜90%という感度は、非常に悪いと言えるでしょう。
また、この論文が掲載された医学誌のインパクトファクター(※注)は、『2.3』と極めて低い。医学界では研究論文として評価されないランクです」
※インパクトファクター:掲載された論文の引用頻度によって、医学誌の影響力や重要性を示す指標のこと。一般的に評価されるのは、インパクトファクターが5前後以上の医学誌に掲載された研究論文と言われている
■乱立する「がんリスク検査」は未承認だった
現在、国内で線虫がん検査と同様の「がんリスク検査」を行なっているのは、確認できるだけで12社ある。
「血液中のアミノ酸濃度バランスから、さまざまな疾病リスクを1回の採血で評価(アミノインデックス)」
「血中に漏れ出したがん細胞そのものを捕捉し、全身のがんのリスクを明示できる(マイクロCTC検査)」
「がんで異常値を示す唾液中の代謝物を測定して(中略)AIで評価。がんの種類ごとにそれぞれのリスクを調べる(サリバチェッカー)」
それぞれが独自理論に基づいた、さまざまな検査システムを展開しており、1回の検査費用は、1万円台から約20万円まで幅広い。
通常の検査薬は、PMDA(医薬品医療機器総合機構)の厳正な審査と承認が必要になる。しかし、「がんリスク検査」は、新しい概念のために、薬機法(※)の枠組みに該当しないとされている。PMDAの承認審査を受けていないということは、「がんリスク検査」の精度や信頼性は“自己申告のスペック”でしかない。
※薬機法:「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」
■「高リスク」でも検査費用は保険適用外
物理化学者でニセ科学問題に取り組む小波秀雄氏(京都女子大学名誉教授)は、未承認の「がんリスク検査」の広がりに強い懸念を抱いている。
「未承認の『がんリスク検査』は、がん検診と同じような機能を装っていますが、検査の信頼性は不明確です。こうした検査ビジネスが広がると、がん検診を受ける機会を逃して命を失う人も出てくるでしょう。社会的な影響は深刻です」
ちなみに、未承認の「がんリスク検査」は、自由診療と同じ扱いになる。「高リスク」と判定されて精密検査を受ける際は、原則的に保険は適用されないので、高額な検査費用は、全額自己負担だ。
国内で「がんリスク検査」を提供する会社は、研究開発型のベンチャー企業が多い。急成長が見込める、新しいビジネスとして参入しているのだ。
「がんリスク検査」の開発は、医師ではない基礎研究者が担っているケースも目立つ。線虫がん検査を開発した広津崇亮社長は、東京大学大学院の出身で理学博士である。
■専門家が抱く「がんリスク検査」への違和感
国立がん研究センター・検診研究部の中山富雄部長は、基礎研究者が主体で開発していることが、「がんリスク検査」をめぐる問題点の本質ではないかと指摘する。
「開発段階で、1000人前後を対象に実験的な条件下で研究を行なうと、画期的な成果が得られることはよくありますが、これはリアルワールド(実際の治療や検査など)の設定とは異なります。そのため医学の臨床研究は、リアルワールドに等しい条件下で、第三者が評価できるように厳正な手法や手順が定められています。しかし、『がんリスク検査』の大半は、医学の臨床研究の手法から大きく外れていることが問題なのです」
「がんリスク検査」各社のウェブサイトは、高い精度で全身のがんを検出できると宣伝している。だが、中山部長が検証すると、研究手法に問題があるというのだ。
「例えば、がん患者の検体と健常者の検体の割合が、リアルワールドで『1:1000』なのに、『がんリスク検査』では『1:1』で分析している症例対照研究が多い。
実験的な条件や設定が異なる臨床研究で“精度が高い”と主張されても、医療現場では“使えない”と判断するしかありません。『がんリスク検査』の基礎研究者は、リアルワールドのエビデンスを理解できていない、と思うケースが散見されます」
現在、厚生労働省は薬機法の改正に向けて、関係者のヒヤリングを行っているが、日本臨床検査薬協会などが次の要望を行った。
「線虫検査などの郵送検査サービスの提供が安易に行われているが、薬機法の対象外のため、品質、有効性、安全性について担保されていない。規制を検討していただきたい」(2024年5月16日 厚生科学審議会)
将来的には、「がんリスク検査」で確実に早期発見できる時代が来るかもしれないが、現時点では“未完成”と理解したほうがいいだろう。
■HIROTSU社に対する質問と回答
【筆者の質問】(9月26日送付、一部要約)
(※学会の)論文には、全国アンケート調査の結果に関する見解が示されており、貴社の見解とは大きく異なると感じました。昨日いただいた、貴社の見解のままでよろしいでしょうか?
【HIROTSU社の回答】(9月28日返信、全文)
「『N-NOSE』は新時代へ―実社会データで有効性を証明、誤解に終止符―」
今回の報告を通じて、「N-NOSE」の真の陽性的中率が従来の検査と比べて非常に高精度であることが、100以上の第三者病院のデータより証明されました。専門家であれば誰が解析してもこの精度となる試算によるものです。尽力して下さった医師の方々に深く感謝します。
この実社会データの公表により、「N-NOSE」の有効性が揺るぎないものとなり、過去の偏った報道や誤解に終止符が打たれました。実社会データは、採尿から輸送、検査まで全工程を経て得られるブラインドでの結果であり、技術評価の最終的な結論となるからです。
科学の真実は一つであり、両論ではありません。また根拠に基づかない非科学的な推測や感情的な感想は全く意味がありません。
「N-NOSE」は弊社既報論文により対応するがん種が大幅に増え、15種はもはや過去のものです。今後も未来を見据えて進化を続けていきます。皆さまには過去の情報に惑わされず、最新の結果に注目していただきたく存じます。
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岩澤 倫彦(いわさわ・みちひこ)
ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家
1966年生まれ。フジテレビの報道番組ディレクターとして「血液製剤のC型肝炎ウイルス混入」スクープで新聞協会賞、米・ピーボディ賞。著書に『やってはいけない がん治療』(世界文化社)、『バリウム検査は危ない』(小学館)、『やってはいけない歯科治療』(小学館)など。
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(ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家 岩澤 倫彦)
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