バイクレースの大会に帯同することはもちろん、レーシングチームの主催イベントや撮影会、モデル活動などいろんな仕事をこなしながら生計を立てていましたね」

◆レースクイーン時代の思い出「自分の名前を覚えてもらえるのが嬉しかった」

加賀さんは19歳から27歳までレースクイーンを続け、月収で50万〜60万円稼ぐこともあったとか。

働いたら働いたぶんだけ稼げる。有名になればなるほど、ギャラも上がっていく。

芸能界を目指していたわけではなく、会社に縛られずに自分の実力一本でやっていけるレースクイーンの仕事に、加賀さんはやりがいを見出していたわけである。

「立ち仕事や体型維持の大変さはありましたが、レースクイーンを始めたのをきっかけにファンが増えて、自分の名前を覚えてもらえるようになったのは嬉しかったですね。私はゲームやアニメが好きだったので、コスプレキャラを演じながら、ファンと交流していたんですよ(笑)。

あとはフリーで動いていたので、スケジュールも自分自身でコントロールしやすく、レースクイーン時代の最後の頃は、自分でやりたい仕事を選べるようになったのも良かったなと思っています」

◆将来の不安から一般企業へ就職。最初の業務は…

こうしたなか、レースクイーンの先輩たちが20代後半に入ると、ネイルサロンやモデル事務所の経営者になったり、結婚して家庭に入ったりしていくのを見て、「将来に対する不安を漠然と抱えるようになった」と加賀さんは言う。

「レースクイーンはいつまでもできる仕事ではなく、アルバイトも社会人経験もなかった自分にとって、『この先どうなるんだろう?』という気持ちがあって。心機一転するためにも、レーシングチームの車両だった『Kawasaki』の本社がある兵庫に引っ越しを決めました。

関西では何の仕事のアテもなかったので、いろんな求人を探していくなかで三陽工業を知りまして。家から近かったこともあり、まずは応募してみることにしたんです」

当初は営業として採用されたそうだが、上司が和やかな雰囲気を作ろうと、TV番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の人気企画「絵心ない芸人」に関する話題を挙げ、加賀さんにキリンのイラストを描かせたという。

そうすると、思いのほか“絵が上手い”ことがわかり、入社初日の業務はタウンワークに載せる三陽工業の求人募集に使うイラスト制作を行うことになったそうだ。翌日からはパソコンとペンタブを用意して、本格的にイラストを作ることに。

「製造派遣事業を強化していく上で、『ホームページのデザインも刷新したい』ということだったため、コンテンツに載せるブログやSNSを始めたのに加え、社員のイラストや写真素材などを私の方で用意し、サイトを構築してもらう外注先とのやりとりも行いました。どの業務も未経験だったので、本当にイチから情報収集しながら取り組んでいましたね」

◆社会人の“ツラみ”を経験「入社4日目で辞めたくなった」

だが、「働き始めたときは“違和感”だらけだった」と加賀さんは吐露する。

「ずっとレースクイーンの仕事をしていたのもあって、どうしても固定給を時給計算してしまう自分がいました。そのほか、クライアントとのメールや電話対応など、本当に何もかもが初めてで、社会人の何が正解かもわからない状況でした。

実は入社4日目で『会社を辞めたい』と言っていたんですね。自分のスキルがそこまでないのに、40時間分の“みなし残業”が月給に含まれているのが納得できなくて。そんな自分に対して、みなし残業ではなく残業した分だけを給与に反映されるように柔軟な対応をしてもらったりと、会社側に融通を効かせてもらえたのは本当に感謝しています」