「脳動静脈奇形」という病気を知っていますか? 脳動静脈奇形は、脳の中で、動脈と静脈が直接つながってしまう先天性の疾患です。話を聞いた木原向陽さんは、大学2年生のときにこの疾患と診断されたそうです。一人暮らしで心細い状況の中、どのようにこの疾患と向き合ってきたのか、詳しく話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年3月取材。

≫【イラスト解説】脳出血も含まれる「脳卒中」の前兆・5つの初期症状

体験者プロフィール:
木原 向陽

京都府在住。2003年生まれ。診断時は大学2年生。2023年12月に脳室内出血により病院へ救急搬送され、CTの結果、脳動静脈奇形が見つかる。塞栓術と開頭術の2度の手術による合併症で脳梗塞を患いながら、無症状で無事退院し4月から大学に復学している。

記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

なかなか消えない頭と首の痛み…… 思い切って救急車を要請した

編集部

まず初めに、木原さんが抱えている病気について教えていただけますか?

木原さん

脳の血管の奇形で、血管の本数が数本多く、動脈と静脈が毛細血管を介さず直接繋がってしまっている疾患です。脳出血やてんかん症状で発見されることが多いとされています。いまだに原因は解明されておらず、先天性の疾患だと考えられています。私は「ナイダス」と呼ばれる血管の塊が左側頭葉にあり、通常より脳血管が3本多く、それらがほかの脳血管に負担をかけることで出血したと告げられました。

編集部

病気が判明した経緯について教えてください。

木原さん

夜中に飲食店でアルバイトをしている途中で、急に後頭部から首の後ろにかけて痛みが襲いました。その後、帰宅してしばらく休んだものの、痛みが消えなかったので、救急車を呼びました。造影剤を使用したCT検査の結果、出血と脳動静脈奇形らしき異常血管が見つかりました。当時は救急車を呼ぶか迷いましたが、大学進学で九州から京都に来て一人暮らしをしていたため、自宅で1人倒れて助けを呼べなくなるのは危険だと感じ、救急車を呼ぶ判断をしました。

編集部

賢明な判断でしたね。自覚症状などはあったのでしょうか?

木原さん

救急車で運ばれた日の4日前に、お風呂場から脱衣所に出た瞬間に、先述と同じような痛みがありました。その時は5分ほどで痛みがなくなったため、特に病院を受診することはなかったのですが、おそらくその時も出血していたのだと思います。それ以前は、自覚症状はまったくありませんでした。

侵襲の大きい開頭手術、不安あったが確実な根治を選択

編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

木原さん

脳動静脈奇形の治療法は開頭手術、血管内治療、放射線治療、経過観察の4つと言われており、脳動静脈奇形のある場所やサイズ、脳血流の問題などから治療法が異なってきます。私の場合は、主治医の先生から、血管内治療と開頭手術を組み合わせた治療を行うと告げられました。開頭手術は侵襲の大きい手術のため、かなり抵抗がありましたが、成功すれば根本的な治療を目指せる可能性が高く、年齢を考慮すると手術の負担にも耐えることができるだろうということで、開頭手術を行うことになりました。まず初めに、カテーテルを使った血管内治療で異常な血管を塞栓物質で詰めるという手術を受けました。このときに、塞栓物質が正常な血管にも流れてしまい、合併症で脳幹に脳梗塞を発症しました。しかし、特にはっきりとした症状は現れなかったため、血管内治療を受けた5日後に開頭手術を受けることになりました。

編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

木原さん

病気が判明してから数日間はなかなか現実を受け入れられず、悪い夢をずっと見ているような感覚でした。まだ20歳という若い年齢で脳の病気になってしまったことが信じられませんでした。1月には地元の九州で成人式にも出席する予定だったため、行くことができないとわかったときはかなりショックでした。しかし、少しずつ冷静になって自分の病気について調べて状況を整理していく中で、脳出血でも後遺症などが出ずに、手術で完治する可能性もあることを知って、ポジティブに捉え、絶対治してみせると強い気持ちを持てるようになりました。

編集部

発症後、生活にどのような変化がありましたか?

木原さん

脳の外科手術を受けた影響で、てんかんが起こる可能性があるので車の運転は控えています。また、定期的にCTやMRIの検査を受けています。退院後は体力をもとに戻すために、無理のない範囲で運動を行っています。

編集部

脳動静脈奇形に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。

木原さん

家族や友人です。父と母は深夜に入院となった次の日に、九州から新幹線で病院まで駆けつけてくれました。妹の大学受験が控えていて大変な中で来てくれて、本当に感謝しています。また、親戚が関西にいないため、病院での必需品は友人に頼んでいました。家族と離れた地での入院となり、とても心細い中で連絡をくれたり病院に駆けつけてくれたりした友人の存在はとても心強かったです。そんな周りの人達に支えられて、無事に治療をすることができました。手術の影響で、リハビリ中に歩くことができなかったり食事が取れなかったりと、なかなか体調が改善しない自分を嫌になる時もありましたが、そのときも看護師さんやリハビリの先生、友人に励まされて頑張ることができました。

編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

木原さん

先天性の疾患なので脳出血から逃れることはできないと思うので、自分がいつどんな病気で倒れても後悔しないような選択をしてほしいと伝えたいです。脳出血で死ぬかもしれないと思った時に、こうしておけばよかったという後悔の気持ちはありましたが、そのほとんどが「やった後悔」ではなく「やらない後悔」だったので、とにかくいろいろなチャレンジをしてほしいと伝えると思います。

いつ病気になるかわからない、だからこそ後悔のないような毎日を送ってほしい

編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

木原さん

手術から3カ月たった現在(取材時)は、特に服用している薬もなく定期的に病院で検査を受けています。今のところてんかん症状は出ていませんが、もっと様子を見ていくと伝えられました。大学にも4月から復学することができ、休学することなく大学に通うことができています。

編集部

あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。

木原さん

この病気はおよそ年間10万人に1人くらいの確率で新規に発見されており、非常に稀な病気ですが、出血していなければ検査を受けてもなかなか発見されない病気です。だからこそ自分は大丈夫だと過信するのではなく、定期的に健康診断を受けて健康的な生活を心がけることが大切だと思います。

編集部

医療従事者に望むことはありますか?

木原さん

医療従事者の方々の対応には本当に感謝しています。その中で望むこととしては、医療行為の肉体的苦痛についての説明がもう少し欲しいと思う時がありました。例えば、救急車で運ばれて出血が確認されたあとに排尿のために尿カテーテルをつける工程があったのですが、どのくらい痛いのかを聞いても答えられない方が多く、非常に不安だったことがありました。想像通り非常に痛かったです(笑)。

編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

木原さん

どんなに若くて健康に気を遣っていても、いつ自分がどんな病気になるかは誰にもわかりません。昨日当たり前にできていたことが、次の日には病気でできなくなってしまうこともあります。そのような状況に置かれたときに思い出すのは、過去の「やらずに逃げた自分」でした。だからこそ、後悔のないような毎日をみなさんに送って欲しいと思います。また、その生活をするには「健康であること」が欠かせません。日々健康でいることは自分の体の異常をいち早く発見する鍵になると思うので、健康的な生活を送り定期的に健康診断に行くことも心がけて欲しいと思います。

編集部まとめ

若くして大病を患い大きな手術を2回も受けられた木原さんですが、無事この4月から大学へ復学されたとのことで、命が繋がったことを嬉しく思います。木原さんの闘病体験を聞いて、病気は年齢に関係なく発症することを痛感しました。そして、「やらなかった後悔」ではなく、「やった後悔」ができるよう、毎日を大切にすることも学ばせてもらいました。

なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

治療体験を募集しています