居原田さんのブログ(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より)

2024年1月、麗ビューティー皮フ科クリニックを経営する医師であり、4人の子どもの母親でもある1人の女性が子宮頸がんによって、この世を去った。

女性の名は、居原田麗(いはらだれい)さん。

定期的に人間ドックを受けるも…

居原田さんが初めて体調に異変を感じたのは、2019年秋のこと。

それまで定期的に人間ドックで検査をしていて何ら異常はなかった。しかし、急に不正出血が起こるようになったため、子宮頸がんを疑い、11月にかかりつけとは別の婦人科を受診し検査したところ、「がんではない」との診断だった。

担当した医師には「細胞の検査でがんではなくてびらんだから、閉経するまで度々出血はするものなので、どうしても気になるならレーザーで焼くこともできます」と言われた。

びらんというのは「子宮腟部びらん」のこと。子宮の入り口である子宮頸部の粘膜が外に広がって赤くなった状態をいう。性成熟期の女性の多くに見られるため、病的なものではないが、おりものが増えたり、不正出血が起こりやすくなったりする。そのため、経過を観察することになった。

しかし、2020年2月には風邪でもないのに高熱が出て、排尿の終わりに腹痛が起こるように。今度はかかりつけの婦人科と大学病院へ。診察と検査の結果、子宮頸がんの一種である「腺がん」、それも悪性だと断定できる「classV」と診断された。

泣きながら「ごめんね、ごめんね」

居原田さんの夫・河原さんは、こう振り返る。

「病院で子宮頸がんであることを宣告されたとき、やさしい彼女は自分が一番つらいに違いないのに、泣きながら『ごめんね、ごめんね』と私に謝っていました」

人間ドックやがん検診を受けていたにもかかわらず、見つからなかったのはどうしてだろうか。産婦人科医の宋美玄先生は「子宮頸がん検診を含め、あらゆる検査の精度は100%ではありません」と話す。

「また子宮頸がんには、子宮頸部の入り口にある粘膜組織の扁平上皮細胞から発生する『扁平上皮がん』と、子宮体部に近い腺組織の円柱上皮細胞から発生する『腺がん』があり、より奥にできる腺がんのほうが見つけづらいのです」

子宮頸がんと診断されたとき、居原田さんは38歳。お子さんの年齢は、11歳、6歳、5歳、1歳。別名「マザーキラー」とも呼ばれる子宮頸がんの、まさに好発年齢だった。


居原田さんと河原さん、子どもたち(写真:河原さん提供)

さらにショックな告知が続く。

当初は腺がんの早期だと言われていたのに、組織を採って調べる生検の結果、希少で予後の悪い「小細胞がん」であることが判明したのだ。医師からは、余命はおよそ1年ほどだろうとも伝えられた。

居原田さんは、この告知を受けた際のことをご自身のブログにこう書き残している。

「パパと一緒に、診察室出てから大泣きしました。

まだ末っ子なんて一歳なったとこで、ママっ子全開なのに、パパが4人育ててていくのとか想像して、

涙が止まらなかった」

(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より。原文ママ)

子どもたちの前では泣かない

それでも、もともと前向きで努力家の居原田さんはすぐに気を取り直し、子どもたちや夫、クリニックのためにも病と闘うことを決意する。その姿を見ていた河原さんは……。

「妻は最初こそ当然ショックを受けていましたし、それ以降もブログでは少し弱音を吐くことはあったようですが、私や子どもたちの前では泣くことさえなく、常に明るく前向きでした。本当に強い人だと思いましたし、今も心から尊敬しています」


スタッフの結婚式でハワイに行った際の写真。この後すぐに子宮頸がんと診断された(写真:河原さん提供)

居原田さんは3月に入院し、広汎子宮全摘出術(卵管、卵巣、腟および子宮周囲の組織を含めた広い範囲を摘出し、さらにリンパ節の切除を行う)を受けた。幸いにも目に見える範囲ではすべてを切除することができた。

しかし、2021年8月には肝臓とリンパ節への転移が見つかる。


2023年12月19日につづったブログ。これが最後の発信となった(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より※一部加工しています)

11月には転移した肝臓の一部とリンパ節を切除する手術を受けたものの、2022年1月には臓器から腹膜へとがん細胞が広がる「腹膜播種」、2023年には3カ所の骨転移があることがわかる。

度重なる手術や、抗がん剤や放射線などによる治療の苦痛に耐えながらも、仕事にも子育てにも前向きに取り組み続け、さらにはたくさんのブログを書き残した居原田さん。残念ながら、今年1月に帰らぬ人となった。

「ずっと近くで彼女が病と闘う姿を見てきて、クリニックのスタッフや家族を愛する姿を見てきて、1日1日を一生懸命生きることを教えられた思いです。彼女を亡くしてまだ8カ月。日々つらい思いはありますが、周囲の人や子どもたちに支えられています」と河原さん。

こうして子宮頸がんという病と闘い続けた居原田さんが、2021年1月21日のブログに綴ったのは、HPVワクチンのこと。

「HPVワクチン」について書きたい

そのブログは「先生のような人が呼びかけないといけない、と主治医に言われた、子宮頸がんワクチンについて、今日は書きたいと思います」という一文から始まる。


HPVワクチンについて(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より※一部加工しています)

子宮頸がんのほとんどは、ヒトパピローマウイルス(HPV)感染によるものです。

子宮頸がんは日本では毎年15000人ほどが罹患し、そのうち3500人が死亡しています。

最近では若年化し、20代や30代での罹患も増えており、命を落とさずでも、若くして子供をもたずに子宮や卵巣を失わざるを得ない人が増えています。(悲)

若い方が罹患するので、小さな子供を残してこの世を去らないといけないお母さんも増えています。(涙)

初めての性交渉の前にワクチン摂取をすることによって、HPVの感染を予防することができます。

世界では90%以上の子宮頸がんを予防できるようになってきています。

予防できるんです!

最も予防できる癌なんです。

日本では、2013年に定期予防接種となり当初子宮頸がんワクチンの接種率は70%以上でしたが、

メディアによってその副作用の様子(多様な症状、慢性な痛みや運動機能の障害など)が報道され、『積極的勧奨の中止』となり現在は接種率1%未満となっています。

あの報道の印象が衝撃的すぎたので、不安になる気持ちも十分に理解はできますが、

ワクチンとの因果関係は否定されているし、

世界では安全に普及しているので、不安になりすぎる必要はないと思います。(後略)

(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より。原文ママ)

「2023年秋、妻は母校である滋賀医大の学園祭でも、HPVワクチンの重要性について話しました」と河原さん。

「本当にたくさんの人たちが聞きに来てくださって、講演後には妻と写真を撮ろうと長蛇の列ができたほど。妻の話やブログ、この記事によって、1人でも多くの女性がHPVワクチンを正しく知り、ご自身の命を守ることができるといいなと思います」


滋賀医大で話す居原田さん(写真:河原さん提供)


講演後に学生と写真を撮る居原田さん(写真:河原さん提供)

9月中に接種しないと間に合わない

子宮頸がんの原因であるHPVへの感染を防ぐことができるHPVワクチンが日本で定期接種になったのは、2013年4月。ところが、不正確な報道などにより、2013年6月から2022年3月まで積極的勧奨が差し控えられ、多くの女性たちがHPVワクチンを接種する機会を失った。

そのため、厚生労働省は2025年3月まで、無償での「キャッチアップ接種」を行っている。

対象者は、1997年度〜2007年度生まれ(誕生日が1997年4月2日〜2008年4月1日)で、まだHPVワクチンを接種していない女性。HPVワクチンは間隔を空けて3回の接種が必要なため、9月中に1回目を接種しないと、今年度中に完了できない計算になる。

また、通常の定期接種対象者である高校1年生の女性も、期限は今年度中なので、まだ接種していない場合は9月中に1回目を接種する必要がある。

キャッチアップの期間、または定期接種の期間を過ぎると、HPVワクチンの接種は自費となり、医療機関によって違うが10万円前後がかかるので注意が必要だ。

HPVワクチン接種率の高い他国では、子宮頸がんによる死をなくせる日が近づいているが、残念ながら日本の接種率はいまだ低いまま。宋先生はこう話す。

「子宮頸がん検診は早期発見のためには大切ですが、残念ながらがんのタイプによっては早期に発見できない場合もありますし、がんそのものを予防することはできません。予防できるのはHPVワクチンだけですから、ぜひ接種を検討していただけたらと思います」

大切な娘の幸せな未来のために

自身が接種対象年齢のときは、まだHPVワクチンの定期接種がなかった居原田さん。

前出のブログには「女の子を持つ親が、判断して娘のために接種させなければなりません。知るきっかけになり、私のような思い、私のがん仲間たちのような思いをする人が、少しでも減りますように。娘がその時期になれば、必ず受けさせようと思っています。大切な娘の幸せな未来のために。」と綴られている。


居原田さんの願い(居原田麗オフィシャルブログ『女医R〜そんな女の独り言〜』より)

(大西 まお : 編集者・ライター)