「自分の傷を認めるって、なんだか負けた気になるじゃないですか。ずっと何かと闘っていたし、『負けたくない』という思いが強かったから。でも書いていくうちに傷ついている自分を認めて、ひとつずつ乗り越えられたように思えます。

 やっぱり最終的に自分を救えるのは自分しかいないと思うんです。それを誰かに求めてしまった瞬間にその関係性っていびつになってしまうから。特に私の場合、他の人があまり経験していないことで悩んでいるので、それを他人に丸投げして考えてもらっても、なんの解決にもならないし」

 傷つきを認めた神野の言葉は、迷いがなかった。

◆出演作品を「消したい」と考える本当の理由

 神野が「渡辺まお」だったのは、およそ2年間。2年という時間は、長い人生でみればごくわずかな期間だが、そこで残した映像記録は半永久的に出回ることになる。

 現役時代の作品について神野は「削除することを考えている」と明かす。アダルト業界には販売から5年経った出演作品は、女優本人が申請すれば販売や配信の使用を停止できる、“5年ルール”があるからだ。

「今っていろんな性犯罪のニュースが取り沙汰されていますけど、加害者が犯罪行為に至るまでの間に、なんらかの“きっかけ”が絶対にあると思うんです。もしも自分の作品がそのきっかけのひとつになってしまったら。それによって深く傷つく被害者がいたとしたら。そう考えると、とてつもない嫌悪感があるんです」

 性犯罪に至らなくても、「潮吹きは快感の証」などの“演出”を真に受ける一部の男性たちもいる。その結果的に女性の体を傷つけてしまうことに神野は苦慮し、SNSで苦言を呈したことを過去のインタビューで語っていた。

「自分が生み出した作品になんの責任も取らないのはイヤなんですよね。もちろん削除依頼をしたら、そこで私の責任がなくなるわけではありません。けれどせめて自分ができることはしておこうと思うんです。自分の裸が消費され続けないためにも、自分の人生をもっと広げるためにも、 過去の自分を守るためにも」

 アダルトコンテンツが性犯罪の抑制になるか、引き金になるか。これについては今もなお議論が尽きない。一方で性犯罪を連想させる性表現をしない、出演者を不当に搾取しない「エシカルポルノ(倫理的ポルノ)」という概念が、欧米では広まりを見せている。要は「フィクションならなんでもあり」ではないのだ。

 演者みずからの責務を果たすために「消す」ことを選ぶ--神野の選択が問いかける意義は深い。

◆傷と向き合い、自分を「ほどく」ために書き続ける

「これからも書くことを続けていきたいですね。連載していたエッセイは近々、本にまとめる予定です」

 すっかり冷めた唐揚げを頬ばり、朗らかな表情で神野は語る。取材場所のカラオケボックスには、利用時間終了10分前を告げるアラーム音が静かに鳴っていた。

「こうやって書いていけるのも、現役時代から何もいわずに隣にいてくれる友達や周囲の人たちのおかげ。私、本当に人には恵まれているんです。

 仕事柄、どうしても家にこもりがちになってしまうけど、最近はなるべく外に出かけようと思って運転にも挑戦しています。大学時代はコロナで旅行もできなかったから、いずれ海外にも行ってみたいですね。

 最近は友達に勧められた恋愛リアリティーショーにもハマってるんですよ。でも私自身、恋愛はダメなんですよね〜(苦笑)。これは今後の課題かな!」

 自分をほどき、過去を許し、手放す──そのためにも神野は書き続ける。

<取材・文/アケミン、撮影/藤井厚年>

―[神野藍]―

【アケミン】
週刊SPA!をはじめエンタメからビジネスまで執筆。Twitter :@AkeMin_desu