受験勉強を始めたのは高3の夏からで、全国での偏差値は33でした。女子学院のなかに限定すれば偏差値17です。勉強ができないとかいうレベルではないですよね。人権がなかったのは当時の私なんですよね(笑)。

◆「中学受験の勉強」はやり遂げたものの…

――そこからは、少なくとも履歴書上は立派な経歴ですよね。大学も現役で卒業し、大企業へ入社している。

ゆいにゃ:はい。しかし心が折れていくのは自分でもわかっていました。大学3年生のころ、それまでもメンタルが不調なことがあったけれども行かずにいた心療内科を受診しました。そこで、抑うつ傾向を指摘されました。そうした病気とは、今もなお付き合っています。

 結局新卒で入社した会社は2ヶ月で退職し、そのあとに入社したベンチャー企業も1週間でリタイアしました。もともと飽きっぽいところはあるんですよね。やり遂げたといえるものは中学受験の勉強くらいなもので、部活動も習い事も、もちろん就職しても続いた経験がありません。そういうキャラクターを演じているのではなく、「自分は何がしたいんだろう」といつも心のどこかで自問しているんです。

◆「生きづらさを感じている人」の能力を活かせる場所を作りたい

――今現在、ゆいにゃさんのやりたいことは何でしょうか?

ゆいにゃ:ゆくゆくは、教育事業を興したいという思いがあります。私は計画性に乏しい人間で、学習計画を立てるのにとても時間がかかりました。短時間で学習内容を身につけるノウハウは培ってきたので、そういう得手不得手が激しい子であっても、サポートすることで学びやすいようなアプリケーションの開発をすることにも関心があります。将来的に、名前を言ったときに「知ってる」と多くの人に言われるような企業に育てられたらと思います。

 また、採用する人材についても、能力の凸凹がある人たちを極力活用できるようにしたいとは考えています。いま、社会に生きづらさを感じている人は少なくないはずで、その億劫さが挑戦のハードルを高くしている側面があると思うんです。もっと誰もが自分らしく能力を活かせる場所があったら、企業側にとってもプラスになると思うので、自分のように「不適合」な人間ものびのびと突き進める道を示せたらとは思います。

◆「自分だけは自分の味方でいたいな」と思う

――最後に、ゆいにゃさんの目を通して見える社会、そこから描く将来像について教えてください。

ゆいにゃ:たとえば大企業を2ヶ月で退職するとき、現在のようなSNSでの発信をメインに活動すると決めたとき、さまざまなことを自由にやらせてくれた親ですら眉をひそめて私に忠告をしました。あのとき、親に「黙って!」と言ったのを覚えています(笑)。

 確かに、世の中には「◯◯すべき」「◯◯であらねばならない」という不文律が多く、そこから外れた生き方をするのは不安が伴います。「あいつ失敗してるよ」という知人からの嘲笑に耐えないといけない場面もあるでしょう。でもだからこそ、自分だけは自分の味方でいたいなと思っています。同調圧力に身を任せて刹那的な安心が得られたとしても、納得のできない人生を生きるのは結果的に辛いと思うんです。

 とはいえ、22年間押し殺してきた自分の心の声に向き合えるようになったのは私もここ最近で、「これからどうしたいのか」は未だ模索中です。でも1つだけ言えるのは、生きがいを探して生きているほうが生きている実感があるということです。そして不思議と、そういう目で見たら、自分に興味を持ってくれる人、応援してくれる人を何とか楽しませたいなと思えるんです。

 世間的には至極真っ当な忠告をして、「黙って!」と私に言われた親も、今では「あなたがしたいことをしなさい」と応援してくれています。そんなとき、自分がいかに恵まれているか、その幸運に心から感謝します。

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 もがき、爪痕を残しながら進む姿はあまりに生々しくて、逆にコミカルにさえ思える瞬間がある。ある種の切迫感がなぜか笑いを誘うように、生きることの根源に立ち返らせてくれるからかもしれない。

 ゆいにゃ氏は決して強くない。挫折のたびに心は折れる。不吉な予言をすれば、これから幾度も折れるだろう。だが折れながら進む方法を知っている。「このままでは終われない」という身体の底から湧き上がる念が、よくいるエリートのひ弱なプライドでは説明がつかないほどの熱を帯びる。

 どんなに転んでもいい。転がりながらでも目的地を目指す。炎上すら足がかりにして自分の存在を証明するうら若き乙女に、そんな不屈を見た。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki