日本一の美麗俳優である岡田将生のキスシーンにしては、えらくぎこちない瞬間だった。『虎に翼』(NHK総合)第19週第95回を見た視聴者のほとんどが思わず感じたはずである。
いやいや、でもこのぎこちなさには、それなりの理由と周到な描写力があるのだ。そう考えると、このキスシーンが、ぐっと感慨深いものになるのではないか。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本作のぎこちないキスシーンについて解説する。
◆寅子と航一の距離がゼロになるまで
『虎に翼』第19週第95回のラストで、主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)と星航一(岡田将生)がキスをした。これは、新潟の地で誕生した判事カップルによる単なるキスシーンではもちろんない。
第14週第66回で最高裁判所長官室の前で二人が出会った頃を考えると、まさかその後両思いになってキスをすることになるとは思わなかった。寅子に対して常にやりづらさばかり感じさせていた航一は、絶望的な相手ですらあったからだ。
新潟篇で再会すると、寅子の開心術によって航一の心は次第に開かれていく。寅子にとっても航一が「拠り所」になる。第93回では、ひとつ屋根の下、襖を隔てて無言のうちに同じ時間、同じ空気を静かに温かく共有するまでになった(火鉢の上で沸騰するやかんの音が有機的な情感を演出)。あとは二人の関係性がより具体的に可視化されるのを待つだけ。つまり、その距離がゼロになるまで。
◆キスまでの周到な段取り
心や心理、あるいは関係性そのものというのは、目には見えない(当然愛なども)。それらを映像内で目に見えるかたちにする一例として、人と人の物理的距離がゼロになるキスシーンが必要になる。
しかもこのキスシーン、本作では大庭光三郎(本田響矢)以来2度目であり、寅子のキスとしては初めて描かれる。
それだけに周到な段取りを要する。第18週第90回から第91回にかけて、喫茶・ライトハウスで航一が総力戦研究所の研究生だった過去を涙ながらに告白し、思わず飛び出した店外で寅子と向かい合う場面がある。繊細な演出が行き届いた美しい雪景色の中、心が通じ、慈しみ合う男女がそこにはいた。
「馬鹿の一つ覚えですが、寄り添って一緒にもがきたい。少しでも楽になるなら」と言う寅子が航一の背中をさする。心の近さが確かに可視化されている場面だが、でもまだ足りない。
航一が不意に聞く。「佐田さん、今度の休日は何を?」。虎子が「特に予定は」と答えると、「ではお会いしに行っても?」と航一が再度たずねる。寅子はあろうことか、「えっ、何をしに?」と野暮に聞き返してしまう。
こりゃ先が思いやられる。雪景色という絶好のシチュエーションを得てもキスまでには他にも段取りが必要なのだ。
◆つるつるすべる廊下というシチュエーション
段取りというより、お膳立てといった方が正確かな。寅子は戦病死した夫・佐田優三(仲野太賀)以外の相手を愛してはいけないと思っている。この切実な気持ちに対して航一も切実にアプローチするしかない。
判事の執務室。「すべてに蓋をして生きてきました」と語る航一は、「でもあなたといると、つい蓋が外れてしまう」と寅子に伝える。寅子のほうだって、航一に「胸が高鳴る」し、会いたいと思っている。すでに二人は強く結び付いているわけだが、もっと踏み込むためのきっかけはどう作ったらいいのか?
キスシーンとは、いつでも偶発的な出来事として描かれる。変に予定調和であってはいけない。ならば、執務室からの帰り、咄嗟にどちらかを思いきり廊下で転ばせたらいい。それくらいの突拍子のなさをきっかにしてこそ、二人の物理的距離はぐっと近づくはず。
このつるつるすべる廊下というシチュエーションを設定することで、お膳立ては完璧である。航一はこの廊下をどてんとかなり大胆にスッ転ぶ。寅子が手を貸し、そのままお互いの手を握り合う。十分近付いた。射程距離内。さぁ、航一、行けぇ(!)。
少し気恥ずかしそうにそれぞれ下を見ながらも、一応向き合う姿勢になっている。一度手を離してから抱き合う。ツーショットになると身長差が強調される。ここはひとまず航一がリード。膝をきゅっきゅっと曲げて高さを調節する。寅子の唇に狙いを定めようとするが、彼女は笑いをこらえている。唇と唇が重なる。あぁ、これでやっと距離がゼロ。
笑ってしまうくらいぎこちない動きと運びだが、寅子がぶぶっと吹き出し、航一も微笑む。唐突なつるつる廊下作戦とはいえ、何をふざけてるんだ。
でも寅子と航一が折り合いをつけた「永遠を誓わない、だらしがない愛」の視覚的な表明としては、ほほえましく及第点といったところだろうか。
◆GHQの指導による日本映画初のキスシーン
ところで、この二人のキスは、「接吻」と日本風に表現したほうがいいのかしら。キスとカタカナ英語でいうのはシャレ過ぎてる気もするというか、何せ「世界初の接吻の試み」みたいなぎこちなさだったのだから。
21世紀の令和を生きるぼくらからしたら、20世紀の戦後すぐを生き抜く男女の関係性が古風に写るのは当然である。だからやっぱり接吻かなと思うのだが、ここで戦後の日本映画でのキスシーンを思い出してみる。
日本映画最初のキスシーンが描かれたのは、佐々木康監督の『はたちの青春』(1946年)だ。佐々木監督は戦後の日本を間接統治したGHQによる検閲をくぐり抜けた第1号映画にして、並木路子の「リンゴの唄」が大ヒットした『そよかぜ』(1945年)の監督でもあるのだが、『はたちの青春』でキスシーンを含めることは、GHQによるアメリカ式の啓蒙的な指導によるものだった。
◆ぎこちないなりに感慨深い
『はたちの青春』の撮影では俳優たちがうがい水を常備するあまり、消毒臭くて仕方ないものだったらしく、ロマンもへったくれもない。アメリカが求めたキスシーンは全然甘い口あたりのものではなかった。
同作よりちょっとロマンティックな映画なら、窓ガラス越し(外では雪!)のキスシーンで有名な『また逢う日まで』(1950年)がある。
田島貴男が歌う「接吻 kiss」の歌詞世界では「長く甘い口づけ」が持続するというのに、戦後の日本では少しずつキスシーンへの耐性をつけ、段階を踏みながら、映画の中でキスを表象していったのだ。
だとするなら、『虎に翼』のぎこちないキスシーンは、当時の撮影環境を踏まえた一種のパロディ的な描写とも理解できる。
寅子と航一がキスをするのは1953年のことだから、GHQによる占領は終了していた。新しい時代の価値観を体現する法律家の二人が唇と唇を重ねるのはぎこちないなりに感慨深い。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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