◆刺青を入れた理由も「継父」にあった

 まごみさんが刺青を入れ始めたのは、7年ほど前、上京したタイミングと重なる。その理由を端的に言えば、「継父に見つかるのではないかという恐怖から」だという。

「私は山口県で生まれ育ったのですが、地元の子の動向をみんなが把握しているようなこじんまりした地域で、息苦しさを感じていました。くわえて、継父は“おもちゃ”だった私に執着して実家から連れ戻したような人です。どこかで『また探しにくるのではないか』という思いがありました。姿を変えることで、ほんの少しだけ安心できたんです。体重も20キロくらい落として、耳の裏に刺青を入れたのを皮切りに腕、手、太もも、スネ、首の真ん中などにも彫りました」 

 ここで全員死ぬか――中学1年生にして母親にそう迫ったまごみさんの胆力には驚かされるが、事実、彼女は死すら恐れていなかった。希死念慮について、こう振り返る。

「しばらくはリストカットなども繰り返していました。でも、刺青を入れてそれを眺めていると、不思議と気持ちが落ち着いたんです。継父と過ごしていた時期に比べれば『死にたい』という気持ちは薄くなっていたものの、やはり波はありました。一番大きな出来事は、およそ3年前、もうすべてどうでもよくなって、住んでいたマンションの6階から私は飛び降りました。確実に死ねるように、後ろ向きで飛んだんです」

◆「生きたい」と思い、写経に打ち込むように

 だが、まごみさんは生き残った。

「当然、骨は複雑に折れていて、右半身には麻痺が残っていました。医師からは『もう動かなくなるかもしれない』なんて言われて。そのとき、『人生なんだったんだろう、私って“生ゴミ”みたいなもんだな』って思ったんです。それで、『まごみ』を名乗るようになりました」

 生き残ったことによって、まごみさんの奥底からある思いが頭をもたげてきた。

「皮肉なもので、身体が思うように動かなくなって初めて『生きたい』と思ったんです。リハビリにも精を出しました。もっとも熱心に打ち込んだのは、写経です。般若心経を無心で紙に書きました。それだけで心が静まっていったんですが、そのうち、般若心経に書かれている内容を勉強したいと思って調べました。そこで得た価値観に魅せられて、より一層『生きよう』と思えました」

◆右腕に「般若心経の刺青」を入れ…

 そう言って見せたまごみさんの右腕には、般若心経が並んでいる。自殺未遂の直後に入れたというその刺青を愛おしそうに撫でながら、まごみさんは言った。

「人生に悩むことは誰にでもあると思います。でも、般若心経を学ぶと、あらゆる悩みの受け止め方を自分のなかに落とし込むことができます。どんなに深く傷を負ったとしてもいつかは立ち直れる日が来るんだと、そう思えるんです」

 現在、Barの従業員として日々多くの悩める客と話すというまごみさん。自らの人生をオープンにすることで、さまざまな人にこんなエールを送っている。

「私みたいな“ド底辺”の生活をしてきた人間ですら、その気になったら働いて日本経済を回す一助を担えます。身体中に刺青を入れて、およそ社会人にはみえない身なりですが、ありがたいことに、誰かしらの役に立つことくらいは可能なんです。どれほど八方塞がりにみえても、必ず糸口はあります。死のうとした私が言うのも変ですが、誰であっても、自らの人生を閉じる選択肢をしないでほしいなとは感じます」

◆「普通の生活に戻れない」ことはわかっている

「たまに『そんなに刺青を入れて、もう普通の生活に戻れない』というお叱りの声もいただくのですが、それは入れた本人が一番よくわかっているんですよね(笑)。それでも、刺青を入れることで何とか生き延びてきたんです。そして今、私の姿をみて『こんな感じでも楽しそうに生きてるんだ』って思ってくれる人がひとりでもいれば、私は全力でガッツポーズをします」

 心温かい、慈しみ深い、愛情豊かなど、まごみさんを語るうえでそれっぽい美辞麗句は簡単に浮かぶ。だが彼女の最大の魅力は、自らの暗い過去さえ進んで万人の踏み台として差し出す気前の良さだろう。そこに誰もが身を委ねたくなる豪胆さが宿る。

 筆舌しがたい辛酸を舐めたからこそ、似た状況で喘ぐ者たちへの言葉が説得力を帯びる。「こんな私でも生きてるんだから、もう少しこの世界に一緒にいようよ」。柔和で朗らかな、それでいて生きることに貪欲なまごみさんの魂の呼びかけに、世界が呼応するといい。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki