8月5日に刊行されたばかりの日本美術史家・辻惟雄氏のインタビュー集、『最後に、絵を語る。 奇想の美術史家の特別講義』。名著『奇想の系譜』によって、江戸時代の伊藤若冲ら「奇想」の画家をいち早く評価した辻氏が、今、改めて日本絵画の「正統派」について語る理由とは?
【画像】やまと絵、狩野派、円山応挙の作品と、『奇想の系譜』で言及された画家たち
書籍の最終章(第5講)として収録された美術史家・山下裕二氏との対談から、一部抜粋してお届けする。
知ってもらいたい、「奇想」じゃないほうの系譜
山下裕二(以下、山下) 今回の本の原稿、第1~4講を読ませていただきました。第3講までは大づかみな絵画史ということで、やまと絵、狩野派という近世までの「和」「漢」の流れ、そして江戸時代中期の円山応挙(1733~1795)についてかなり詳しくお話しになっていますね。
辻惟雄(以下、辻) 最初はインターネットの記事用に展覧会の解説を、というような依頼だったと思うんだけど、円山応挙、その弟子の長沢芦雪(1754~1799)、やまと絵、それから狩野派と話していくうちにね、どうもこれは『奇想の系譜』を相対化する意図があるらしいぞ、と気づいたんです。
山下 いや、きっと最初の応挙からそういう目論見があったんじゃないですか(笑) 。いってみれば、第1~3講の裏テーマは、「奇想じゃない系譜」ですよ。
辻 そうなんだよ。奇想の向こう側にあるもの、というのか……。
山下 昨今は、日本美術というと『奇想の系譜』で先生が紹介された伊藤若冲(1716~1800)や曽我蕭白(1730~1781)らをはじめとする、「奇想」の画家のほうに人気が偏っています。しかし、やまと絵や狩野派といった「正統派」という本筋の存在があって「奇想」もあるわけだから、正統派についても辻先生の見方を知りたい、ということなんでしょう。
正統派と奇想派、両方あっての日本美術
辻 奇想というのはもともと普通名詞で、「奇想天外より落つ」という言い回しがあるように、私が作った言葉でも何でもないんだけど、不思議と流行っちゃったんだよね(笑) 。
思い返せば、1970年刊の『奇想の系譜』のあとがきに、奇想の画家の系譜を室町時代以降にたどると、画僧の雪村周継(生没年不詳)、狩野永徳(1543~1590)、俵屋宗達(生没年不詳)、尾形光琳(1658~1716)も入ってくる、なんていうふうに書いているんですよ。
ある種、奇想のほうが日本美術の主流なんじゃないか、と。その言い方は「奇想」の価値を強調するために気負いすぎた面があるにしても、この本は、それをまたもとへ戻そうとしているんですよね。ややこしいことですが(笑) 。
山下 先生の『奇想の系譜』が出てから50年ちょっと経って、日本美術全体の捉えられ方は劇的に変わりましたよ。伊藤若冲が再評価されて、『動植綵絵』(皇居三の丸尚蔵館蔵) が国宝指定されたのが、その一番の象徴ですけれども。一方、この本で語られている土佐派や狩野派、円山応挙については、今ではちょっと旗色が悪いですね。
辻 そういうつもりはなかったんですけどね。50年前には奇想の画家たちはほとんど無名に近くて、それがあまりにもアンバランスだったし、若冲みたいなすごい画家が無視されていていいものか、という気持ちがあったんです。要するに、かつての『奇想の系譜』もバランスをとることが第一でね。すると今度はバランスがとれすぎちゃって、シーソーが反対側に傾いてしまって……(笑) 。
山下 逆転現象が起きてしまった。
辻 まあ、そうなったら今度はもとに戻すというのか、水平を保たないとね。
山下 正統派と奇想派の両方あるのが、日本美術のおもしろさなんだと思いますよ。
辻 本当にその通りで、正統派と奇想派は対立しているわけではないんです。先ほど触れた『奇想の系譜』のあとがきでも、奇想については「〈主流〉の中での前衛」という表現をしていましたけど。
山下 日本美術には、ハイブリッドな性格があるんですよ。私の場合、その2つの極を「縄文的」「弥生的」と捉えていて、これは哲学者の谷川徹三がかつて提示した概念ですが、今でも有効だと思っています。
『奇想の系譜』はいってみれば「縄文的」で、その特徴は動的で装飾的で表現過剰。「弥生的」なものは、日本の美として喧伝されてきた「わびさび」のように、静的でシンプルで洗練されたものですね。その両方がハイブリッドにいつの時代にも存在していて、それが日本美術の魅力となっているんじゃないでしょうか。最近では奇想方面に関心が振れすぎているので、バランスをとったほうがいいのは確かだと思います。
“表”の仕事は狩野派研究。当初、奇想は“裏”だった
山下 辻先生は、今ではすっかり「若冲研究の第一人者」というイメージになっていますが、修士論文で取り組まれた近世初期の画家・岩佐又兵衛(1578~1650)の研究がライフワークになっています。その又兵衛も含めた奇想の画家たちを紹介する『奇想の系譜』を執筆された時期には、同時並行で、室町時代の狩野元信(1477?~1559)のアカデミックな研究もなさっていました。
辻 そうです。30代の頃は東京国立文化財研究所に在籍していたんですが、そこで月給をもらって、若冲や蕭白ばかりやっていたんじゃ悪いと思ってね。
というのは、戦前の美術研究所時代に、渡辺一さんという立派な研究者が中世の水墨画家の作品・伝記資料の集成に取り込んでいらしたんですよ。画僧を中心に7名分は発表されたけれど、1940年に応召して、残念なことに1944年のインパール戦線で命を落とされた。狩野派の元信については、ある程度の資料を収集した段階で終わっていたので、私は渡辺さんの遺志を継ぐつもりで研究を始めたんです。
山下 その成果が、1967年以降、『美術研究』で5回にわたって発表された研究論文「狩野元信」でした。それが正統派をテーマとした“表”の仕事だとすると、その時期の“裏”の仕事が、1968年に始まる『奇想の系譜』の連載だったわけですね。
私は、東大の学生時代に先生の元信論文をコピーして、きれいに製本して読み込みました。今でもそれを持っていますよ。ガチガチのアカデミックな論文なので、一般読者向きではありませんが。
辻 そう、あれは意識的にガチガチに書いているくらいです。
山下 今回の『最後に、絵を語る。』では、狩野派の基盤となる様式を確立した元信と、江戸時代初期に瀟洒な「江戸狩野」の様式を生み出した探幽(1602~1674)について、かなりのボリュームを割かれています。
辻 私の研究範囲は元信を中心とした「戦国時代の狩野派」だったけれど、本当なら探幽あたりまで触れておきたいという気持ちもあったんですよね。だんだん若冲のほうで忙しくなってしまいました。それにしても、元信や探幽は少なくとも戦前までは巨匠の扱いだったけれども、今は、あまり注目されないね。
山下 探幽はともかくとして、室町時代の狩野元信と江戸時代の円山応挙というのは、美術史の長いスパンで見たときに、極めて重要な結節点だと思います。それまでの絵画のスタイルを全部自分の中に吸収して、新しいスタンダードな作風を生み出していますから。
辻 要するにふたりはそれぞれに新しい「型」を作ったんですよ。それに従って学べば、弟子たちも先生のように描けるという。しかしいったん「型」ができると、おもしろいことに「型破り」というのが出てくるんだね。元信が作った「型」を孫の永徳が、応挙が作った「型」を弟子の長沢芦雪が破ろうとする。
山下 「型破り」のほうがユニークで目を引くことには違いないけれども、その「型」のほうにも目を向けましょうというのが、今回の本の趣旨ですね。
辻 そういうことです。
山下 全体に図版も多いし、インタビュー形式だから読みやすいと思います。「奇想じゃない」ほうの系譜として、親しまれるといいですね。
文/集英社学芸編集部
撮影/森本美絵
※本記事は、『最後に、絵を語る。 奇想の美術史家の特別講義』第5講の一部を抜粋・加筆し、作品図版を追加して構成しています。
最後に、絵を語る。 奇想の美術史家の特別講義
辻 惟雄
2024年8月5日発売
2,530円(税込)
四六判 224ページ
ISBN: 978-4-08-781755-3
やまと絵、狩野派、円山応挙に至る正統派絵画の流れを「奇想」の発見者が改めて語り直す。自身がこよなく愛する室町時代の絵入り本『かるかや』、東山魁夷の作品も詳しく紹介したインタビュー集。
日本美術・この一点への旅
山下裕二
2023年9月5日発売
2,420円(税込)
四六判 160ぺージ・オールカラー
ISBN: 978-4-08-781742-3
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外部リンク集英社オンライン