18人の青春〜和歌山南陵高校物語(4)
7月23日、紀三井寺球場に到着すると、開場前から複数のテレビ局の取材クルーが和歌山南陵高校の応援団の一挙手一投足をカメラで追っていた。この日、和歌山南陵の野球部は和歌山大会3回戦で優勝候補筆頭の智辯和歌山と対戦することになっていた。
「レゲエ校歌」の効果を感じずにはいられない光景を目にして、甲斐三樹彦理事長はこんな言葉を口にした。
「批判もされましたけど、私は子どもたちが学校でいい表情をしてくれていれば、それでいいんです。ウチの学校は完璧ではないことは間違いないですし、それこそ『一歩前へ、一歩前へ』とやっていこうや、と考えています」
智辯和歌山戦で自己最速の146キロを記録した和歌山南陵の松下光輝 photo by Kikuchi Takahiro
和歌山南陵の吹奏楽部員は2人だけ。それでも、強力な助っ人が現れた。SNSを通じてブラスバンドの演奏者を募ったところ、約40人もの応募があったのだ。なかには山梨県から応援に駆けつけた人もいたという。
在校生唯一の女子生徒である西菊乃とともに吹奏楽部を支えてきた瀧本楓太は、感慨深そうにこんな思いを口にした。
「僕たちは自宅から学校に通っているんですけど、野球部とバスケ部のみんなは寮のガスが止まったり、ご飯が出なかったりつらい思いをしても、学校に残って頑張っていました。友だちが夜遅くまで練習している姿を見てきたので、自分も引き下がりたくなかったんです。今日はたくさんの人と応援できるのはうれしいですね」
野球部員は10人だけ。初戦の紀北農芸戦では1番打者の佐々木陸斗がスライディング時にヒザをすりむいて試合が一時中断し、捕手兼一塁手の中村聖が頭部死球を受けるハプニングもあった。さらには背番号10でチーム唯一の左打者である畑中公平が、左足ふくらはぎの肉離れを負い全力疾走ができない状況でもあった。
そんなチームにあっても、監督の岡田浩輝は強気な言葉を口にした。
「南陵はここまで......と思っている人もいるかもしれませんが、私たちは勝てると思って臨みます。1回勝つことが目標ではなく、甲子園に行くためにやっていますから」
岡田監督の言葉は強がりには聞こえなかった。現にエース右腕の松下光輝という県内でも有数の好投手を擁していたからだ。
松下は身長176センチ、体重75キロのスリークォーターで、最速143キロのストレートは数字以上に体感スピードがある。初戦の紀北農芸戦では8回を投げ、12奪三振無失点と危なげない投球を見せている。
そんな松下も今年1月に右ヒジ痛を発症し、何とか今夏に間に合わせた経緯があった。部員が10人しかいないことで、「自分が試合に出なければ」という責任感が故障を悪化させるリスクもあったはずだ。それでも、松下は「10人やからこそ練習の効率が上がったり、チームワークができたりしたので、部員が少ないことは悪いとはとらえていません」と気丈に語った。
【自己最速の146キロをマーク】松下は智辯和歌山の強打線を三者凡退に抑える快調な立ち上がりを見せる。ところが、2回裏の守備に落とし穴が待っていた。2つのエラーが絡み、智辯和歌山に2点を先取される。智辯和歌山はこの日に先発した2年生エースの渡邉颯人ら複数の好投手を擁するだけに、序盤から重い失点になってしまった。
それでも、この日も和歌山南陵の応援スタンドは元気だった。2回の攻撃開始前には「レゲエ校歌」が場内に流れた。バックネット裏スタンドは相変わらず困惑したムードだったが、和歌山南陵の応援スタンドでは校歌のリズムに合わせてタオルを左右に振る観衆が続出。上半身ユニホーム姿の甲斐理事長は一際大きな声を張り上げ、普段は物静かという和歌山南陵唯一の女子生徒・西はどすの効いた大声で「打ち返せ〜!」と叫んだ。
5回表の攻撃では、山塚虎大朗と大田拓実の連打でチャンスをつくり、和歌山南陵スタンドの盛り上がりは最高潮に達した。それでも、智辯和歌山の堅い守備陣から得点をもぎとることはできなかった。
その裏、ここまで奮闘してきた松下が智辯和歌山の上田潤一郎に本塁打を浴びるなど、5安打5失点と崩れる。得点差は7に広がった。
今年4月に理事長に就任した甲斐三樹彦氏 photo by Kikuchi Takahiro
6回裏の守備が始まる直前、松下はチームメイトの前でこんな宣言をしている。
「もうヒジがぶち壊れてもいいから頑張るわ!」
6回裏、一死から山田希翔を打席に迎えると、松下は右腕を全力で叩きつける。自己最速の144キロが出たと思ったら、次の球で145キロ、その次の球で146キロと自己最速を1球ごとに更新していく。松下はのちに「最後まであきらめずに出しきろうと思ったら、最速が出ていました」と振り返った。
試合は0対7のまま、7回コールドで和歌山南陵は敗れた。試合後、松下は涙を拭いてこんな思いを語っている。
「スタンドからいつもより大きな応援が聞こえて、力になりました」
一方で、岡田監督は「エラーからつけ込んで点をとっていくところが、やはり強豪だなと感じました」と完敗を認めた。
【10人の野球部員が引退】岡田監督は野球部監督を務めると同時に、和歌山南陵の寮監として勤務していた。「職業として学校をやめたいと思う時期はなかったのですか?」と尋ねると、岡田監督は「もちろんありました」と語ったうえでこう続けた。
「それでも、この子たちと最後までやりたい思いが勝ちました。今日はこれだけ多くのお客さんが来てくれて、本当にありがたかったですね」
取材が終わると、選手たちは応援に訪れた家族と記念撮影に興じていた。息子を預けた家族にとっても、不安が募る3年間だったに違いない。エース右腕・松下の父親であり、保護者会会長の松下真也はこんな心境を打ち明けた。
「(和歌山南陵の経営難が報じられて)ウチは『どうする?』と聞いたら、本人が『おる』と言ったので転校はしませんでした。レトルトカレーとかスパゲティ、ラーメンとか、救援物資は常に送っていました。経営陣が変わって、学校の環境が少しずつよくなっていったのでありがたかったです。最後の夏に『和歌山で一番になっとけ』と息子に言っていたんですけど、いい投球を見せてくれてよかったですね」
10人の野球部員が引退し、和歌山南陵野球部としては一区切りになる。あとは学校法人として課せられた、生徒募集停止の措置が解除されるかにかかっている。
エースの松下のように大学で野球を続ける部員もいれば、故障のため今夏2打席に留まった背番号10の畑中公平のように野球をやめる部員もいる。これからどんな進路を歩む予定なのか尋ねると、畑中は晴れやかな表情でこう答えた。
「航空自衛隊に入隊して、国の空を守りたいと考えています。和歌山南陵でストライキとか、菓子パン1個の朝ご飯とか、寮のトイレの天井から水が降り注ぐとか、ほかの高校ではできないような、いい体験ができました」
和歌山南陵での3年間を乗り越えられれば、どんなに厳しい世界でも生きていけそうですね。そう聞くと、畑中は「行ってみないとわからないですけど、そうですね」と笑った。
少子化が進む現代にあって、和歌山南陵の経営難は「対岸の火事」ではない。これから校歌のフレーズのように「一歩前へ」進めるかどうかは、私立高校が生き残るための試金石になるのかもしれない。
(おわり)