◆買手と売手の双方にメリットが

 店は、一式揃ってはいたものの、運転資金の余裕がないため、すべてがそのままの状態でスタートした。リニューアル期間も設けず、地域住民にも告知せず、月末に所有権移転手続きを完了し、翌日から自らが経営者となり営業した。

 広告費など本来必要な費用をかけず、また内外装などの余計な費用も一切かけず、それらはお金に余裕ができてからと考えた。 もともと調理師免許を有し、飲食店の厨房経験もあったので、肉の加工技術の習得は早かった。加えて店のレシピがあったので、問題なく料理提供はできた。既存スタッフもそのまま活用でき、運営自体は何の問題もなくできた。 ランチも営業し、ディナーも工夫したことで売上も急増した。

 店をフル稼働させ、現金をかき集め、旧店主の弁済原資の確保に必死だった。納入業者との取引も旧店主の後押しで、最初から信用取引を活用し、出金より入金のほうが早い回転差資金により、現金を毎日できるだけストックできた。さまざまなサポートのお陰で、予定よりも早く1年で弁済できて旧店主は大変驚いていた。

 こういったケースのように、これからは飲食店が第三者承継でM&Aを活用するケースは増えそうだ。 売手としては味の伝承、雇用の維持、取引先や顧客に迷惑をかけず、自分が苦労して開業した店も残せるし、買手としては、熟練調理人や従業員の確保、取引先や顧客を確保、すでに実績があるからリスク回避、時間と初期費用の節約が可能となり、投資回収も早い。もちろんリスクもあるが、メリットが上回るならやったほうがいい。

◆一筋縄ではいかない親族内への承継

 事業承継は知恵や心や感情がある人間同士が思惑をぶつけ合い、絡み合うから調整が難しいもの。親族内に後継ぎがいれば安心だとは言えないこともある。経営に関与する気もなく兄弟の公平感だけ主張する弟。経営には興味ないのに兄への嫌がらせとして、自社株式を欲しがり、困らせるなどといった事例もある。

 また、長男が家業を継がないから弟を後継者にして段階的に承継していたのに、長男が急に継ぐと言い出し、社内が混乱したというケースなど、悪質な事例は枚挙にいとまがない。昔から比べるとかなり減った親族内承継だが、親としては我が子に継いでもらいたいものだろうが、泥沼化するケースも多く困ったものだ。

 さまざまなケースがあるが、先祖代々続いていても、将来性があまりない小規模店の場合は「子供には絶対に家業を継がせない」と言い切る社長夫人は多い。その理由は店に将来性がないからと、見極めているから、子供には苦労させたくないとのことで、子供には安定した生活をしてもらいたいという希望が多いようだ。店主自身も代々続いている家業だが、自分の代で終わらせるつもりのようだ。

「息子は大学を卒業して優良企業に勤め、仕事にやりがいもあり生活も安定している。自分は家に束縛され了承したから仕方ないが、子供には自由な選択をさせたい」という強い思いのご主人が強く言う。今後も、こういうケースが増えるのは仕方ないか。

<TEXT/中村清志>

【中村清志】
飲食店支援専門の中小企業診断士・行政書士。自らも調理師免許を有し、過去には飲食店を経営。現在は中村コンサルタント事務所代表として後継者問題など、事業承継対策にも力を入れている。X(旧ツイッター):@kaisyasindan