◆自分の正義や感受性に支配されていた

――活動の拠点をN.Yに移し、日本のテレビ出演を辞めてわかったことはどのようなことですか?

村本:自分のネタをノーカットで全部やれるようになりましたね。ネタに費やす時間もとても多くなりました。常にネタを考える時間になったというか…。ネタの数もめちゃくちゃ増えました。

 寂しくなったというのも大きいです。日本のテレビに出演する生活をしていると、常に自分が浮いてるような感覚がありました。自分の考えていることを発言したり、漫才のネタにすると、「Twitter(現X)がざわついていますよ」と言われてしまう。

 テレビでも「あいつはガチだ」と言われて。「政治的な発言をする芸人」というレッテルを貼られるというか。そうか、そう見られていたのか、と。

 それまでは、自分のキャラクターをうまいことプレゼンして「ゲスくずキャラ」みたいな感じで、テレビで売り出してパフォーマンスをしていました。でも、そのレッテルに気が付いてからは自分の正義や感受性に支配されるようなTweetが多くなってしまって。良い見られ方はしていないと思いました。

◆先輩・大竹まことからの「謝罪」

――確かに、Twitterは炎上していましたね。

村本:テレビの世界にいると、ウーマンラッシュアワーのネタは芸人仲間の中で浮いてしまうというか。そういう意味で寂しさは感じていました。

 ただ、アメリカに行くとその寂しさはないです。逆に「いい大人なのにそんな話(政治の話)もできないの?」という感じで。ネタに社会問題や政治問題を取り上げないのは恥ずかしいヤツ扱いされます。もちろん、Twitterでも発言します。そういうのを見ていると、アメリカには日本にはいなかった仲間がいる、と感じます。

 昨日は75歳の大竹まことさんが近づいてきて、目をじっと見て手をギュッと握ってくれました。それで「お前1人に背負わせて申し訳ないと思ってる。好きなこと言うとテレビでは干されるから。でも、これからの日本のお笑いはお前の双肩に掛かっている」と言ってくれました。ずっと一人だと思っていたので、とても嬉しかったです。

――政治的な発言をする芸人と言われてしまうのは、日本にテレビのチャンネル数が少ないからではないでしょうか。右から左まであらゆる政治的志向の放送局のあるアメリカにいてその違いは感じますか?

村本:確かにアメリカは多チャンネルです。ただ、日本の芸人はどこへ行っても同じなのではないでしょうか。「テレビはやりにくい」「自由がない」と言いますが、YouTubeでは、芸人同士の悪口を言ったり、家族の企画をしたり、金の掛からないテレビをやっているという感じで。

 日本は窮屈だから発言できないのではなく、そもそも発言する気がないんだと思います。テレビだろうと舞台だろうとYouTubeだろうとそれは同じなのではないかと。

◆この国はジョークひとつで殺される

――アメリカでお笑いをやり始めて観客の皆さんとの向き合い方は変わりましたか。

村本:いいネタでウケたいということは変わりません。ただ、アメリカの人がよく言っていますが、この国はジョークひとつで殺されることがあるということです。

 例えば、パレスチナとイスラエルのこともそうです。パレスチナの肩を持つ発言をTweetしたら「お前は本当のことを知らない」と怒られました。ただ、パレスチナ支持を表明する自由がアメリカにはあるんです。立場が違っても言いたいことを言う自由はある。

『主戦場』という映画を撮った日系アメリカ人2世のミキ・デザキという友人の映画監督が驚くぐらいに日本の学生は政治の話をしないと言っていました。アメリカで大学生を経験した後、日本の大学院 に入ってその差にびっくりしたそうです。