登録者数 24万人を超えるYouTubeチャンネル「MDAskater」で、スケーターのライフスタイルを発信しているプロスケーター、YouTuberの岩澤史文(SHIMON)氏。「スケートボードで社会を変える」という想いのもと、東南アジアの孤児院や小学校で子どもたちにスケボーを教える「SkateAidプロジェクト」や、ネパールでのスケートパーク作りプロジェクトなどを行っている。

そうしたSHIMON氏の想いに共感し、活動をサポートしているのがパーツの総合商社モリトだ。国内シェアNo.1のハトメ・金属ホックを扱う老舗企業だが、実はグループ会社のマニューバーラインではスケボーをはじめとしたアクションスポーツの商品を手掛けている。実際にスケーターの社員も多く、なんと社内にはスケボーができるランプも設置されている。

今回はそんなマニューバーラインのオフィスにて、SHIMON氏とマニューバーライン松本唯氏のスペシャル対談を実施。人気スケボーブランドの発信をしながら、自身もスケーターとして都内のスケートスポットの整備に携わる松本氏と、スケボーを通した社会貢献活動を続けるSHIMON氏に、ますます熱量が高まる日本のスケボーシーンや、モリトグループが支援するSHIMON氏のプロジェクトについてたっぷり語ってもらった。

岩澤史文(SHIMON)(いわざわ・しもん)
プロスケーター、YouTuber。1999年生まれ。YouTubeチャンネル「MDAskater」を運営。2018年から東南アジアにスケボーを広める「SkateAidプロジェクト」を開始し、2022年にはネパールにスケートパークを完成させた。 “スケボー版SASUKE”として話題のTBS番組『KASSO』ではキャスティングとコースデザインを担当。
松本唯(まつもと・ただし)
パーツの総合商社 モリトグループのマニューバーライン社にてスケートボード部門のマネージャーを務める。Etniesやes、BAKERといったスケートボードブランドと契約し、日本での販売代理業を行う。ロックバンドMAN WITH A MISSIONにEmericaのシューズをサポートするなど、スケーター以外にもブランドの魅力を発信している。

小学校でいじめ… スケーターの“無関心さ”に救われた

お二人は以前から知り合いだったということで、今日もインタビューが始まる前からスケボーの話をされていて仲の良さが伝わってきました。そもそもお二人が知り合ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
松本 僕はエトニーズ(※)のライダーから教えてもらったのが最初ですね。SHIMON君の動画も見るようになって、いろいろ面白い企画をやっているなと。そこからの繋がりだよね。
※マニューバーラインが輸入代行を行うアメリカの老舗スケボーシューズブランド。
SHIMON そうですね。僕は高校生の頃からエトニーズが好きで、昔から履いていたんです。それで僕が大阪から東京に出てきたときに、スケーター仲間から松本さんを紹介してもらった感じです。
松本 2021年にはSHIMON君、ムラサキスポーツ、エトニーズでコラボシューズも発売して。他のブランドでYouTuberとコラボしているところはないし、「これは面白い」となってメーカーにもプレゼンして実現させました。
SHIMON 嬉しいですよね。僕が大阪にいたとき、有名な海外スケーターたちがデモンストレーションをするイベントがあって。そのときにライアン・シェクラー(※)にサインをもらって「おお、やば。」みたいな感じだったんですけど(笑)。
その後、僕が東京に出てきていろいろ活動するなかで、気づいたらライアン・シェクラーのモデルをベースに自分のシューズを作ることになったっていう…。
※1989年生まれ、アメリカ・カリフォルニア出身のプロスケーター。7歳でエトニーズ所属スケーターとなり、13歳でX Games史上最年少のゴールドメダリストになるなど、若くしてスケート界のスターダムに上りつめたトップスケーター。
松本 嬉しいよな。超売れたし(笑)。
スケーターのコミュニティが繋いだ縁だったんですね。そんなお二人ですが、スケートボードはどういったきっかけで始められたのでしょうか?
松本 僕は中学生のときに、お隣さんからおもちゃのスケボーを頂いたのが最初のきっかけ。高校生のときにクラスにスケボーをやっている子がいて、その子が昼休みに空き缶3〜4個の上を飛んでいたんですよね。「スケボーってそんな飛べるんだ」「自分も飛びたい」と思って始めました。
当時はスクールなんてないので、風の噂で「あそこにうまい人たちがいるらしい」みたいな話を聞きつけて見に行って。その頃は携帯やSNSで調べることもできなかったので、 友達と相談しながらトリックを覚えていました。
SHIMON 僕は親の仕事の影響で引っ越しが多くて。小学校時代はハンガリーやドイツで過ごして、6年生のときに日本に帰ってきて半年だけ公立小学校に通ったんです。そのときにいじめにあってしまって、学校に行かなくなっちゃったんですよね。
SHIMON その頃、親がクリスマスにスケートボードをくれたんです。僕が指スケ(※)をずっとやっていたのを見て、「これなら好きだろう」という感じでくれたんだと思います。で、父親が出勤する時に一緒に車に乗って、 スケートパークで降ろしてもらって、仕事終わりの時にピックアップしてもらって帰るみたいなことを週3〜4回やっていました。
スケートパークではスケボーっていう共通目的があって、「なんで学校に行ってないの」ということを聞かれることもない。そういう空間がすごい居心地よかったんですよ。僕は多様性の1つに「いい意味で人に無関心」っていうのがあると思っていて、その無関心さが居心地の良さに繋がっていたんだと思います。
※指を使って滑る約10cmのスケートボード。

メイクの喜びは全員で分かち合う 競技としてだけではないスケボーの魅力

松本さんもSHIMON さんも10代から現在までスケートボードを続けていますが、その魅力はどこにあると思いますか?
SHIMON 僕は3歳から水泳を週6くらいでやっていたんですけど、「0.1秒速くなれるかどうか」「速いものが正義」みたいな勝利至上主義的な価値観に馴染めなかったんです。その点、スケボーは自分の中で目標が設定できる。
例えば60歳のスケーターが「今日は10センチ進む」という目標を持ってもいいし、小さい子が「ランプにドロップインする」という目標を持ってもいい。自分で目標を設定できるっていうのは魅力だと思います。
松本 そこがハマる理由かもしれない。自分の中で「今日はこれやろう」って決めて、できるまでやるっていうスケーターは多いよね。
SHIMON そうですね。もう自分との闘いです。
松本 あと、「この技をメイク(※)したいんだ」って一生懸命練習していた子が成功したときの周りのスケーターの喜び方、あの感じはすごくいいよね。みんなで「わっ」って手を叩いて喜んだり。
※スケートボードの技ができるようになること。
SHIMON めっちゃいいですよね。例えば同じパークに10人いて、9人はすごく難しい技をやっている中で、一人だけ超初歩的な技を練習していたとする。それで、その一人がとうとう技をメイクできたときはパークにいる全員で喜びを分かち合うという感じなんです。
マニューバーラインの社内にはランプが設置されており、社員や所属スケーターがいつでも滑れるようになっている。

パークは増えたが… スケボーブームの光と影

近年、スケートボード人気が高まっていると思いますが、やはり東京五輪のインパクトは大きかったですか?
松本 東京五輪の前にコロナ禍があって、そのときにブームが来たんですよ。そこに拍車をかけたのがオリンピックという感じだと思います。
NPO法人 日本スケートパーク協会調べ
インパクトでいうと、やっぱりスケートパークが増えました。一方で、ストリートスケートに関するネガティブなニュースも増えちゃったっていう感じはしますね。
SHIMON 最近だと、浜松市の広場でスケートボードを持って入ることを禁止するっていう条例もありましたよね。(※)
※2024年6月、静岡・JR浜松駅近くの広場でスケートボードの利用などを目的とした立ち入りを禁止する条例改正案が市議会で可決された。同所では、スケボー利用者による騒音や歩行者妨害が問題化していた。
松本 パークは増えたけど、特に都内はスケーター人口に対してのパーク数がまだ少ない。
SHIMON あと、パーク以外でスケボーができる場所が少なくなりましたよね。今までグレーだったところが厳しくなったというか。
僕がスケボーを始めた時は、スケートパークも行っていたんですけど、近くの公園でも滑っていたんですよ。いつもそこにいる謎のスケーターたちと一緒に滑ったりして、それが居心地がよかったんですけど(笑)。
今はそういう輪から外れてしまった人たちが集まるための公園がなくなってきていて、それはスケボーが普及した弊害なのかなと。いま僕が小6だったら、公園に集まることもできず居場所がないだろうなって思います。
新しいスケボーパークは初心者向けが少ないという話もありますよね。
松本 今のパークって中級者以上が滑れる設定になっているじゃないですか。初心者が止まってオーリーの練習をしたり、お子さんの手を引いて練習する場所がかなり少ないんですよ。
新しいパークを作って「我が町からオリンピック選手を」っていう気持ちはすごくわかります。ただ、オリンピック選手を目指す子たちが滑れるセクションばっかりだと、逆につまんなくなっちゃう。もうちょっと初心者向けの、家族で手を引いて乗れる場所があるといいと思うんですよね。
SHIMON 普通に多目的広場みたいな場所でいいんですよね。多くのスケーターは競技として極めたいというより、普通にキャッチボールできるような広場で、スケボーというツールを使って友達と交流したいっていう感じ。
松本 やっぱりインフラを整えてあげないと。だから、大阪の長居(タイガーラックスケートボードパーク長居)とかは結構いいと思います。24時間運営で初心者コースも半分ぐらいあって、家族で手を引いてスケボーができるようになっている。

セクションもルールも自分たちで作る 対話で築いたスケーターと地域の絆

松本さんは実際に、東京・世田谷区の公園でスケートスポットの整備をされていると聞きました。
松本 もともと別の場所でスケボーをしていたんですけど、そこが使えなくなって。そんなとき、ある公園の園長さんから「君たちみたいな若い子呼びたいんだよね」って声をかけてもらったんです。そこでセクションを手作りをしたり、「何時になったら片付けをする」といったルール作りを始めました。それが25年くらい前のこと。
その間、苦情が寄せられることもあったんですけど、自分たちで非営利の協会を作って、苦情への対応や公園側との話し合いをしてきました。その結果、東京都が正式に認定するスケボースポットになったんです。
今は月に1回地元のスケーターを集めて掃除をしたり、10年以上一緒にスケボーしていた子がスクールを始めたんですけど、そういったスケボーの普及活動の協力をしたりしています。
松本 僕もスクールで教えていますけど、なにより「乗って楽しい」って言ってもらえるのが1番。「先生、次はどんなことをすればうまくなる?」 って聞かれたりして、みんなすぐに飛びたくなっちゃうんですけど、まずは基本の乗り方を教えてあげるところから始める。そうやって子どもたちができるようになっていくのを見ているのが楽しいです。
公園側もすごく協力的で、コミュニティボードにスケボースクールのお知らせを載せてくれるんですよ。それを見た近所のお父さんとかが興味を持って、公園に問い合わせてくれたり。
まさに対話でスケーターの居場所を作ってきたという感じですよね。
SHIMON 今ってコミュニケーションが少ないですよね。スケボーする側も周りのことを気にせずスケボーしちゃってますし、多分クレームする側も直接話すの面倒だからとりあえず警察に電話しようみたいな。
SHIMON 本当は話し合って「ここは子どもがいるから、何時から何時の間は禁止にしましょう」みたいな感じで、お互いに納得がいくかたちでルール作りができたらいいんですけど。現状、当事者の意見が含まれないかたちでルール作りが進んでいるっていうのが、もったいないと思っています。
松本 時代と共にコミュニケーションが希薄になっているというか、そういう部分ってやっぱりあると思う。本来であればちゃんと話をして歩み寄ればいいじゃないですか。その話はできるはずなんですよ、絶対。

手作りのパークから世界へ スケボーで社会を変えるために

SHIMONさんは2018年から東南アジアでスケートボードを広める「SkateAidプロジェクト」を行っています。なぜこのプロジェクトを始められたのでしょうか。
SHIMON 大学生のとき、友達とスケボーとバックパックだけでアジアを回ろうという話になって。スケボーを持っていくなら、その国の人にスケボーを教えたりしたら面白いかも、みたいな感じでスタートしました。
「ミャンマーにスケボーを広める!【SkateAid 1】」の一幕。
最初はミャンマーに行ったんですけど、地域の孤児院に連絡して、子どもたちにスケボーを教えて、ボードを寄付したりして。それを約2年続けて、合計56カ所くらい(の学校や孤児院)に行きました。
その中で訪れた国の1つがネパール。当時、僕が行った地域にボロボロのスケートパークがあったんですけど、日本に帰った後、そこが潰れてしまったと地元のスケーターから連絡があって。その後、スケートパークを作る活動しているNPOと協力して、ネパールで新しくパークを作ることになりました。
SHIMON氏からエトニーズのシューズを受け取る地元スケーター。
松本 このプロジェクトにはモリトグループも支援させてもらっていて。SHIMON君を通じて、パーク設立のサポートや地元のスケーターにスケボーシューズやボードを贈らせてもらったんです。
ネパールでパーク作りを達成したあとも、プロジェクトを続けていますよね。
SHIMON 次は、スケートパークの周りに街を作りたいと思っているんです。そのために、まずは今年の年末までにパークの横に図書館を作ろうと動いています。
このパークの近くにはスラム街があって、そもそも教育を受けられなかったり、学校そのものに興味がない人が多いんです。だから、スケートパークや図書館を作って、そこに来てくれた子が教育に関心を持って学校に行けるようになればいいなと。スケーターが集まれる場所で、そういう人たちを救えるんじゃないかって僕はずっと思っている。
僕はサードプレイスとしてのスケボーに救われたので、そこは今でも変わらない。日本でもプロスケーターが住めるシェアハウスを作ってみたり、スケーターのカフェやってみたり。集まってワイワイできるみたいな、そういうのが好きなんです。
松本 いや、すごいよね。スケボーをきっかけに図書館に行って「じゃあ学校行ってみようかな」っていう可能性もあるわけだし。スケボーをしに行った子どもがオリンピックを目指すようになるかもしれない。
スケボーじゃなくても、例えば字が書けなかった子が書けるようになってたりして「やっぱり僕こういうので食べていこうかな」って思う人も出てくるかもしれない。そういうポテンシャルがあるよね。
SHIMON その地域に住んでいる子どもたちは2000人ぐらいいるんですけど、2000人の人生に影響を与えられるかもしれないと思ったら、やる価値はあるんじゃないかと。
その後、パークから世界大会に出場する選手も出たとか。
SHIMON あ、そうです。そのパークで練習した子が世界大会に出て、予選落ちだったんですけど。その子から電話があって、「すぐそこに堀米雄斗がいる!」って(笑)。
松本 今後、本当にネパールを代表するオリンピック選手が出てくるかもしれないよね。その人が将来、SHIMON君と同じ考えで「スケボーに恩返ししよう」となって、ネパールにパークを作っていくかもしれない。どんどんいい方に変わっていく可能性はあるよね。
僕らもスケートボードのプロダクトを扱っている会社なので、今後モリトグループとしてSHIMON君の活動やスケボーの普及をサポートしていくのはもちろん、子どもたちや社会のためになるようなことは積極的に取り組んでいきたいですね。
モリト
https://www.morito.co.jp/
国内シェアNo.1のハトメ・金属ホックをはじめ、服飾およびフットウエアの付属品の取り扱いから、自動車の内装品等の企画・開発から製造、卸・流通まで幅広く手掛ける専門商社。
グループ会社のマニューバーラインでは“本物と呼べる物だけを世界から”をポリシーにスケートボードやサーフィンといったアクションスポーツのプロダクトを国内に発信している。


撮影:Inouwye Yuta



PR企画: モリト × ライブドアニュース]