――ホントこの温度差がおもしろいですよね。ヤーレンズは死ぬほどお笑いのことを考えてる出井さんと、ほとんど考えていない楢原さんのコンビだと思っていて。

出井:ルーツ的にもそうですね。楢原は親に言われてよく知らないままNSC(吉本総合芸能学院)に進学したりするから、もしも、ほかに楽しいことがあったら今後も転職しかねない。

楢原:うん。いまはかろうじてみんなが笑ってくれるから、つなぎ止められてますけど。笑ってくれなくなったら芸人辞めますよ。

――ホントよかったですよね。こうやっていろんな人から求められるような状況がきて。

出井:ホントにそうですよ!

――今回の取材にあたって出井さんの有料noteと電子書籍を全部読みました。内容がすさまじい絶望で。売れる前は焦りとか怒りとか燻りばかりで。

出井:ハハハハハ! けっこうありましたね、そういう時期は。せっかくこんな気持ちだから書いちゃおう!みたいな感じでした。。実際に焦りはすごくありましたね。

――相方が焦ってるとき、楢原さんはどういうテンションだったんですか?

楢原:……焦ってるのはあまりわからなかったですね。コロナ禍になるまで、ホントにダラダラやっちゃってたんで。

――次々と仲間が売れていって……ようやく。

楢原:「あ、これヤバい!」って(笑)。カズレーザーが前に言ってたんですけど、「この世代のヤツらは、全員売れるから大丈夫!」と宣言してて、僕は「いや、みんな売れない!」と信じてなかったんです。だって、5〜6年、誰も結果出てなかったんで。そしたら、いつのまにか周りが僕ら以外全員売れて世に出ちゃった。そこでだいぶ焦りましたね。

◆関係者もファンも期待していない無風時代

――楽屋に後輩しかいない世界に。

出井:ホントそうでしたね。コロナ前まではモグライダーとかランジャタイとかウエストランドも錦鯉さんもいたし、周りにみんないて。うっすら、どうやら誰も売れなそうだな〜という雰囲気が流れていたのに。

――それはそれで青春感はあったんですか?

出井:うーん……青春感はあんまり。それよりも絶望感。みんなうっすら、腐ってるみたいな状態。コロナ前のの‘15年とか’16年頃は、なんかはみんな売れそうだぞ! っていう青春感あったんですよ。ひと段落して、やっぱ売れないじゃん!っていう絶望感に変わった。

――noteにも「追い風の時期があって、しんどい時期があって、いまは無風」と苦しい胸の内が書かれてて、これ相当キツいんだろうなと思いながら読んでました。

出井:そうですね、無風も経験してます。

――関係者もファンも誰も期待してない。誰からも売れると思われていなかった時期。

出井:そうそうそう(笑)。

楢原:完全に飽きられてるな、っていう。

出井:芸歴長いことやってるからお笑いファンとかも見たことはある。でも、期待はしてない、みたいな状態がしんどかったですね。

ヤ―レンズ
ボケの楢原真樹(1986年、大阪府出身)とツッコミの出井隼之介(1987年、神奈川県出身)による漫才コンビ。M−1グランプリ2023準優勝。レギュラー番組はニッポン放送「ヤーレンズのオールナイトニッポン0(ZERO)」、TBSラジオ「ヤーレンズの#ふらっと」など。

※週刊SPA! 2024年7月16日・23日合併号「エッジな人々」より

取材・文/吉田豪 撮影/尾藤能暢

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

【吉田豪】
1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。主な著書に『男気万字固め』(幻冬舎)、『人間コク宝』シリーズ(コアマガジン)、『サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間書店)、『書評の星座』(ホーム社)など