[画像] 行列のできる「かき氷」店が真夏に店を閉めたワケ


「埜庵」の抹茶かき氷は、愛知県西尾市の葵製茶に依頼したオリジナル抹茶を使っている。抹茶とグラニュー糖だけでつくるシロップは甘みを抑えた味(出所:『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』)

夏の風物詩「かき氷」ですが、近年は一年中、かき氷を出す店が増えました。そのような中、パイオニア的な存在と言われているのが、2003年から神奈川県内で一年中かき氷を提供する店「埜庵」を営む、店主の石附浩太郎さんです。

一年中、営業しているとはいえ、夏こそ稼ぎどきであるはず。しかし「埜庵」店舗での夏期における営業は不定期。それはどうしてなのでしょうか?(本記事は、石附さんの著書『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』から一部を抜粋、再編集したものです)。

「一年中やっているかき氷屋」になるまで

神奈川県・鵠沼(くげぬま)海岸で一年中、かき氷の店「埜庵(のあん)」を営んでいます。

もともとは会社員でしたが、33歳のときに秩父の「阿左美冷蔵」で食べたかき氷に衝撃を受け、いろいろなお店でかき氷を食べるようになりました。

やがて週末に「阿左美冷蔵」でお手伝いをさせてもらうようになり、36歳のときに会社を退職。幼い子どもを抱えて不安もありましたが、調理学校へ通ったり、いろいろな飲食店でアルバイトをしたりした後、38歳のとき、鎌倉にかき氷店を開店。40歳のときに、今の場所へ移転オープンしました。

初めの10年は、いまふり返っても、もがき続けた時期だったと思います。

そこから抜け出すのに時間がかかってしまった理由は、相談できる人がいなかったこと。当時は、自分のようなかき氷屋をやっている人はまわりにはいませんでしたから、すべてを自分で考えて一歩ずつ進むしかありませんでした。

「一年中かき氷を出す店をやる」と言ってはみたものの、あるのは根拠のない自信だけ。かき氷は注文を受けてからしかつくることができないし、削っている間はほかの作業もできません。

だから、かき氷以外の食べものをメニューに加えるということもなかなかむずかしく、世間が「一年中やっているかき氷屋」という商いを認知してくれるまでは、本当に大変でした。

2011年5月にシロップのレシピ本を出したあとは、「家でつくれるおいしいかき氷を教えてください」という雑誌やテレビの取材がけっこうありました。

東日本大震災の影響で、多くの人がなるべくエアコンをかけずに涼をとろうとしていたその夏。同じ時間にいっせいに打ち水をする、といったエコな暮らしの方法をみんなが探していて、かき氷もそのひとつだったのです。

それからの2〜3年で、「かき氷専門店」と名乗るお店が急に増えました。

かき氷が人気らしいと世の中に知られるようになり、2013年7月には、日本経済新聞・土曜別刷りの連載「何でもランキング」の「並んでも食べたい ふわふわかき氷」というテーマで、埜庵はなんと東日本第1位に選ばれました。

店を飛び出しデパートの催事へ

この頃になると行列ができるほどお客さまが来てくださるようになり、お店としての評判も、ありがたいことに少しずつ上がっていったと思います。ですが、スタッフもだいぶ増えて、みんなの給料を払うと自分の分が残らないという状況になっていました。

会社を辞める前にいろいろなお店を食べ歩いていたときは、行列を見ると「もうかってるなぁ」などと勝手に思っていました。

行列する店をつくればもうかる、という単純な考えしかもたずに店を始めたので、行列する店はつくったのに全然もうからないという現実に直面して、どうすればいいかわかりません。

飲食店はやっぱり規模を拡大していかないといけないのだろうかと思うものの、かき氷はつくりおきも通販もできないし、とにかく大規模化には向かない……。

子ども2人の進学も控えて、家計はまったく余裕なし。なんとかしなくてはとあせりながら、先のことを模索していました。

そんなとき、少しずつ声をかけていただけるようになったのが、デパートの催事への参加です。

初めてお引き受けすることになった2015年を皮切りに、東京では新宿と町田、神奈川では横浜と藤沢のデパートで催事に参加してきました。

そのつどデパートの担当者さんと知恵を出し合い、オペレーションや厨房の配置などを練り上げ、催事を成功に導くにはどうすればいいかと考え抜くことのくり返し。その蓄積はいまの埜庵にとって、一番の財産です。

当初は不慣れということもあって、あまり乗り気ではありませんでした。初めてゆえに予想のつかないことだらけで、オペレーションをどう保っていいのかわからず不安だったのです。

でも、考えているだけではしかたがない。チャレンジしてみようと決めました。

「行列ができる店」の苦悩

催事が店の運営に大きな変化をもたらしたのは、2019年のことです。

2016年から催事に参加していた藤沢のデパートで、真夏の催事をお引き受けするため、鵠沼の店を閉めるという決断をしました。

かき氷屋なのに夏に店を閉めるというのはさすがに抵抗がありましたが、実はこの頃、真夏に鵠沼で営業をすることに限界を感じ始めてもいました。


小田急江ノ島線・鵠沼海岸駅からほど近い住宅地にある埜庵(出所:『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』)

「待ち時間が長い」と噂になると、お客さまはどんどん来店時間が早くなる。埜庵があるのはふつうの住宅街です。店の前に人だかりができれば、当然まわりに迷惑がかかるし、かといって並ぶ場所の不足など、物理的な問題は解決しようもありません。

当時は、忙しいときは整理券を配っていました。1時間を4つに区切って、15分ごとに6組ずつご案内するというものです。一日にご案内するのは200組、もしくは400人ほどで、どちらかに達すればその日の分は終了。

行列してもらえば500人以上ご案内できるのですが、整理券にすることで毎日100人以上のお客さまを失ってしまうわけです。

私はお客さまを信じているので、それでも整理券を配ります。でも、本当に帰ってきてくれるかはわからない。ほとんどは帰ってきてくださるのですが、なかには帰ってこない人もいる。テレビなどでとり上げられると来店者数が一気に増えますが、20〜30組も帰ってこないということもありました。

整理券を配り終わってしまうと、せっかく来てくださった人に「今日の分は終わりました。ごめんなさい」と頭を下げ続けます。でも、実際には席が空いていることもある。矛盾を感じ、このまま続けていたら心がこわれるなと思い始めました。

「新しい夏の風物詩をつくる」

一方、デパートの催事場なら、こんなつらい思いをする必要はありません。催事への参加を決めたのは、これが大きな理由でした。

店と違って並ぶ場所は十分にあるし、ある程度の行列ならむしろ宣伝にもなる。エアコンの効いた屋内なので、熱中症の心配もありません。

こうして真夏の間は店を閉めることに決め、デパートの担当者さんとともに「地元・藤沢に新しい夏の風物詩をつくる」という目標を掲げてスタートしました。


結果的には、鵠沼の店で営業しているときよりもたくさんの人に、夏の思い出に残るかき氷を提供できたと思います。

特に小さなお子さんを連れた家族連れが多かったので、いつかその子たちが大人になったとき、「夏にデパートで、家族みんなでおいしいかき氷を食べたよね」と思い出してくれたら、私にとってはとてもうれしいことです。

この催事は、地元の人たちが足を運んでくださる夏のイベントとして定着し、建物の改装で催事場が閉鎖になる2022年まで続きました。

終わってしまったのは残念ですが、いまは東京・町田にある別のデパートで、新たな夏のイベントとして定着しつつあります。

(石附 浩太郎 : かき氷店「埜庵」店主)