SNSツールが身近にある子どもたち。学校の先生が危惧することとは(写真: takeuchi masato / PIXTA)

タイムパフォーマンス、いわゆる「タイパ」を意識する若者が増える中で、本当にそれでいいのだろうか?と危惧する大人たちの声も多く聞かれます。『思考実験入門 世界五分前仮説からギュゲスの指輪まで』を上梓した、かえつ有明高等学校の社会科教師である前田圭介氏が、今を生きる若者たちに必要な考え方について、お話しします。

教員をやっていると、こんなことを聞かれることがあります。

「今の学生と、昔の学生、どんな違いがあるの?」と。

小さいときからスマートフォンに触れて、学校でもタブレットを使った授業を行うのが当たり前になった令和の時代の生徒たち。昔では考えられないほど便利で、情報へのアクセスも簡単になっています。

そんな時代を生きる彼ら・彼女たちは、昔の高校生と比べて、どのような違いがあるのか。私は教員として働きながら、このことについて考察してきました。今回は私が感じた生徒の変化を、皆さんにお話ししたいと思います。

先生でも追いつけないほどの情報収集能力

まず、今の高校生の「情報収集能力」は、昔に比べて非常に高いと思っています。Google検索を使って、情報にアクセス。わからないことが出てきたら、ChatGPTを使えば、答えを教えてくれる。こうしたツールを駆使する能力は非常に高く、「先生である自分でも、追いつけない」と思うほどです。

そして、先生が出した課題に対して、さまざまなツールを駆使して答えを導く生徒というのは少なくありません。

「ChatGPTを使って宿題を解く生徒が多い」というニュースがネガティブな文脈で報じられることもありますが、「自分のできる範囲で工夫して問題に答えようとしている」とも解釈できるため、個人的な見解としては、それ自体は悪いことではないと思っています。

しかし、大きな問題だと思うのは「粘り強く考えること」が苦手になっている、という点です。

1つの問題に対して向き合う時間が少なく、あまり自分で考えずに答えを出した気になってしまう生徒の数が、大きく増えているのです。

私は、授業内での調べ学習において、Google検索もChatGPTも使用可としています。そうすると、多くの生徒が、調べて検索結果の一番上に出てきた最初の答えを書き写して(あるいはコピペして)、それで終わりにしてしまいます。聞かれている問いと少しずれていたとしても、「ネットにはこう書いてあった」という理由で、それを答えにしてしまうのです。

ネットで調べて不完全な答えを出す子どもたち

例えば「なぜSNSは流行したのか考えてこよう」という問いを出したとします。

これに対して、生徒がGoogleで調べると、「SNSの利用目的は、知人の近況を知るためと回答する人が多い」ということが書いてあります。生徒はこれをコピーアンドペーストして、「Q:なぜSNSは流行したのか? A:知人の近況を知りたいから」と答えてしまうのです。

言うまでもなく、この答えは不完全です。知人の近況を知りたいだけなのであれば、ほかの手段があるかもしれませんし、それ以外の理由だって考えられるはずです。

ここで書かれているのは「利用目的」であって、「なぜ流行したか」ではないですよね。聞かれていることと、少し違いますね。それなのに、「ネットで調べて、そう書いてあるから」という理由だけで、これを答えにしてしまう学生があまりにも多いのです。

なぜ、こういった「簡単な答え」に満足してしまう生徒が多いのでしょうか。

その理由の1つには、生徒たちの頭の中に「タイパ」という考えがあるからなのではないか、と考えています。

『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(レジー著)という本がありますが、この本で指摘されているとおり、最近の若者はタイムパフォーマンスに対する意識が高く、早送りが当たり前の文化になっています。

タイパを考えて、最短距離で、最高効率で物事を終わらせることがいい、という価値観が広がっているのです。

今の中高生もこうした価値観に影響されており、「受験合格のためには、これらの参考書をこなすのが最短ルート」といった考えをもつ生徒も増えてきています。

「問いに対して、すぐに答えがほしい」「早く答えを出したい」という感覚があり、だからこそ1つの問いに対して粘る、ということがだんだん難しくなってきているのではないか、と。そうした状況は、大きな問題なのではないかと私は思うのです。

これは私の持論ですが、生きていくうえで「答えのない問い」に対して考える時間を持つのは、とても重要になってくると思います。「自分はどう生きるべきなのか」「どんな進路に進んでいくべきなのか」「幸せになるにはどうすればいいのか」。

生きていくうえで重要になってくる問いのほとんどには「答え」は存在しておらず、その「答え」を考えるまでに費やした時間が、自分の価値観として育っていくのではないでしょうか。

しかし、今の生徒たちはその「答えのない問い」に対して、粘って考えるという経験が少ない場合が多いです。この状態だと、人生の中で重要な選択をする際や、困難な状況に陥ったときに、「粘り強く考える」ことができなくなってしまうのではないかと思うのです。

倫理・哲学的な問いを考える時間を


それに対する解決策として、私は今の生徒たちには、倫理・哲学的な問いを考える時間を長く取ってほしいと考えています。

「安楽死は導入されるべきか」「死刑制度は継続されるべきか」「大学の女子枠は平等なのか」など、倫理・哲学で取り沙汰されるような問題というのは、「これ」という答えがありません。

素早く「こちらが正しい」と言えるようにするのではなく、賛成意見と反対意見を両方考えて、「答え」ではなく「よりベターな考えは、どちらだと言えるのか」を悩む必要があります。

実際に学生に体感してもらうと、その思考の速度の「緩さ」に困惑する人も多いです。しかし、慣れてくると、普段の問いに対しても、より深く答えを出そうとしてくれるようになります。速やかに答えが出せない問いを考えることで、タイパではない思考に対して耐性を付けることができるようになるのです。

タイパが当たり前とされる世の中だからこそ、すぐには答えのない倫理・哲学的な問いにじっくり向き合う時間も必要なのではないでしょうか。こうした問いに向き合う中で、生徒にとって不可欠な「容易に答えが出ないことに耐える力」が養われるのではないか、というのが私の考えです。情報処理の「速さ」に飲み込まれることなく、時には立ち止まって考える機会を持ってほしいと願っています。

(前田 圭介 : かえつ有明高等学校・社会科教員)