2024年は戦後文学を代表する小説家であり前衛的・哲学的作風で世界中にファンを持つ安部公房の生誕100周年。書店でも特集が組まれるなど、気になっている方もいるのではないだろうか。

いま、編集部注目の作家

安部公房(あべ・こうぼう)
東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
(※Amazon著者ページより引用)

このまとめ記事の目次

・カンガルー・ノート

・第四間氷期

・飛ぶ男

・人間そっくり

・箱男

・燃えつきた地図

・砂の女

・他人の顔

・壁

■生誕100周年・安部公房が病床で書いた最後の長編『カンガルー・ノート』。足にかいわれ大根が生えてきた男の話

「足にかいわれ大根が生えてきた」というなんとも奇妙な導入の物語『カンガルー・ノート』(安部公房/新潮社)は、著者の生誕100周年という明快なタイミングこそ読み時なのではと思います。本記事ではなぜ「カンガルー」と題名に付いている物語のキーエッセンスとして「かいわれ大根」が出てくるのかに関する見解を中心にお伝えできればと思います。キーワードは「個性」です。

 カンガルーというのは生物学的に有袋類といわれます。ぬいぐるみとして考えると他の商品と差別化がしやすく、ピョンと跳ねるし、「かわいい」と言われやすい。しかし、生物学的に見るとカンガルーをはじめとした有袋類というのは、意外と冴えない存在であることが本書の冒頭で明らかにされていきます。

■生誕100周年・安部公房『第四間氷期』ってどんな話? 現代のChatGPTにも通じる予言的小説

 ChatGPTをはじめとした生成AIが世の中を席巻している2020年代のこの時流の中で、1950年代終わりに書かれた『第四間氷期』(安部公房/新潮社)を読むと、占い師に自分の人生を言い当てられたかのようなドキリとした感覚を味わうことができます。

 今年2024年が没後100周年の著者・安部公房は、『砂の女』等の代表作で世界的に知られるようになる数年前に、本作の執筆を通してSF的世界観に磨きをかけていました。まずは、物語の導入をご紹介します。

 冷戦中の宇宙開発競争のように、「予言機械」が世界各国で研究開発されている世の中。日本に暮らす40代男性「私」こと勝見博士は、中央計算技術研究所で「KEIGI-1」という予言機械を開発した人物。彼の探求は続き、町でみかけた中年男性を実験台に「人の未来を予言する」試みをしようとするが、事態は思わぬ方向に……

■生誕100年安部公房の遺作『飛ぶ男』ってどんな話? フロッピーディスクに残された未完の遺作に迫る

 1994年に単行本が出版、そして30年の時を経て生誕100周年の今年2月に文庫化された『飛ぶ男』(安部公房/新潮社)は著者の未完の作品です。既存の単行本は死後に夫人が原稿に手を入れたバージョンでしたが、今回の文庫版では完全オリジナルバージョンが収録されています。ストーリー自体の不思議な魅力もあいまって発売直後に3刷まで重版が決定し、「いま注目の作品」となりました。まずは物語の導入をご紹介しましょう。

 夏の朝、4時5分頃。空を浮遊する「飛ぶ男」が出現する。左手には携帯電話を持ち、耳にあてている。3人の人物がそれを目撃していたが、そのうちの一人は衝撃のあまり発作的にガス圧式の空気銃で「飛ぶ男」を狙撃。2発が命中し……

■二転三転する展開に誰も信じられなくなる 安部公房『人間そっくり』。火星人を名乗る男の正体とは?

 これまで「こんなことが現実に起こるなんて……!」と思ってしまうことは多々あった。その度に夢ではないかと頬をつねってみるのだが、ほとんどが現実だ。そんな気持ちになるのが『人間そっくり』(安部公房/新潮社)だ。本書を読了すると、いま目の前にあるもの、いる人は本当に存在しているものなのか。これまで起こったことは事実なのか、寓話なのか。そんな気分になってしまう。

 物語の主人公はラジオ番組の脚本家。『こんにちは火星人』という社会戯評風の番組を手掛けていたが、火星ロケットの打ち上げが報道されて以降、風当たりが強くなってしまった。番組の打ち切りも頭をよぎる中、家に「私は火星人です」と名乗るセールスマンのような男が現れる。脚本家にとってこれほどタイミングの悪い訪問者はいない。「もしかするとラジオ局からのまわし者かもしれない」と疑うが、脚本家には男を強気に追い返せない理由があった。それは男が訪れたと同時にかかってきた電話にある。

■生誕100年安部公房『箱男』ってどんな話? 永瀬正敏・浅野忠信・佐藤浩市らで映画化予定の実験作

 2024年は小説家・安部公房生誕100周年。本記事でご紹介するのは、同氏の著作の中でも実験的なことで知られる1973年の作品『箱男(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)です。永瀬正敏・浅野忠信・佐藤浩市などが出演する映画版も2024年に公開予定で、2月のベルリン映画祭でプレミア上映がおこなわれたニュースは話題となりました。まずは簡単にあらすじをご紹介します。

 社会とのつながりを絶ち、ダンボール箱をかぶって町をさまよいながら生きる「箱男」は、ダンボールにあけられた小窓から世の中を見つめる。全国にはかなりの数の「箱男」がいるといわれているが、そのうちの一人である「ぼく」は、看護師の女性から箱を売ってほしいと尋ねられる。抵抗感を覚えつつ「ぼく」が彼女の病院を訪ねると、「贋の箱男」である医師と出会う…

■【安部公房・生誕100周年】失踪者を捜索する探偵が、やがて自分を見失う不条理小説『燃えつきた地図』

 都会の喧騒にまみれていると、自分の輪郭がどんどん揺らいでいくのを感じる。自分は何者なのだろう。雑踏の中、無数の他人がそれぞれの道を進む中で、自分は何処に向かえば良いのだろうかと、立ちすくんでしまう。

 そんな都会を生きる孤独を描き出したのが、安部公房による『燃えつきた地図(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)だ。この物語では、探偵が失踪者を捜索する。そう聞くと、「ミステリー」を想像するだろうが、むしろ、この物語は、その対極にあるのではないだろうか。読めば読むほど、謎は深まり、胸の内にモヤモヤと不安が充満していく。そんな、道を失ったような気持ちにさせられる不条理小説だ。

■生誕100年 安部公房の代表作『砂の女』ってどんな話? 絶えず砂が降り注ぐ穴の中の家に閉じ込められた男の救いとは

 2024年は小説家・安部公房生誕100周年。本記事でご紹介するのは、同氏を世界的に有名な作家に押し上げた『砂の女(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)です。

 玉手箱、打ち出の小槌、桃……。時代を越えて読まれる物語には何かしらシンボルがあります。本作のシンボルは「砂」です。まずは、あらすじをご紹介しましょう。

 ある8月の午後、31歳の教師・仁木順平は新種の虫を採集するために砂丘にある部落の一角に向かう。帰りのバスがなくなってしまったところ、寡婦が一人で住んでいる民家に泊まるよう案内される。アリ地獄のように、穴の中にあるその家に縄梯子で下りていく仁木。一夜明けると、縄梯子は取り外されていて、仁木は閉じ込められてしまう。女は砂嵐で夫と娘を亡くしていたが、「女手ひとつでは暮らしていけない」という理由から、部落の策略で女のパートナーとして仁木が乱暴にもあてがわれた。仁木は脱出を試みるも失敗。こうして、女との奇妙な共同生活が始まる…

■生誕100年・安部公房『他人の顔』ってどんな話? 爆発事故で顔を失った男を通して考える「顔」と「タイパ」とは

 2024年は小説家・安部公房生誕100周年。本記事でご紹介するのは、「タイパ重視」の現代社会にもっとも示唆がある作品の一つ『他人の顔(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)です。

 主人公は「ぼく」。化学研究所の爆発事故で、顔に傷を負ってしまいます。そうすると「まわり」との関係が変化し、付随して会社の役職や、一番近い「まわり」である妻との関係も歪んでいき、「ぼく」は苦悩します。見出した解決策は、プラスチック製の仮面を仕立てあげて、誰でもない「他人」になりすますこと。しかし、「他人」でうまくいってしまったことを、「ぼく」は妬み始めてしまう…。

■生誕100年・安部公房の芥川賞受賞作『壁』ってどんな話?自分の名前を盗まれて存在権を失った孤独な男の末路を描く

 病院で名前を聞かれた時、咄嗟に自分の名前が出てこなかった。私の場合、それは、子どもが生まれたからというもの、病院といえばいつも子どもの付き添いばかりだったから、子どもの名前を言いそうになったというだけなのだが、その時感じた恐怖は忘れられない。名前というものは、その人をその人たらしめるものだろう。それを思い出せないだなんて、自分は最早何者でもないのかもしれない。ふと、そんな不安を抱かずにはいられなかった。

 もし、本当に自分の名前をなくしてしまったとしたら--不条理文学で名高い安部公房による『壁(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)の中で描かれているのは、そんな世界だ。本書は、6編の全く異なる物語で構成されているのだが、最も印象深いのが、「S・カルマ氏の犯罪」。芥川賞を受賞した本作では、名前をなくした男の、世にも奇妙な日常が喜劇的に描き出されている。