田家:でもTOSHIさんは50年以上のお付き合いなわけでしょう。このアルバムに対して、あらためて思ってらっしゃることはどういうことなんですか?

TOSHI:PANTAの才能は昔からよくわかっていましたので、今回は詞とかが今の若いメンバーの提供だったりして。今までの頭脳警察とはちょっと違うのかな。でも、中身が頭脳警察ですよね。PANTAが歌ってるし。

田家:今日8曲選んでいただいて、アルバムからは4曲なのですがその中の1曲目です。まずはこの曲から始めます。「東京オオカミ」。

東京オオカミ / 頭脳警察

田家:TOSHIさんが選ばれた今日の1曲目です。

TOSHI:元気な声ですよね。

田家:これは作詞がPANTAさんと田原さん。作曲がPANTAさん。

田原:このアルバムの構想が出て、「東京オオカミ」の歌詞を作っていく中で、当初はPANTAさんの発想で歴史への復讐劇みたいな、そういうところから始まっていたんですね。その中でオオカミをテーマにしていったのは、狛犬の中にオオカミの狛犬というのがあるんですよ。PANTAさんの中の想像で、もともと東京にオオカミがいて、生きていたオオカミたちが滅んでいったけれども、石の像になって今もいるというイメージの曲なんです。歌詞が出来上がるときにTOSHIさんが高崎でライブをやられていて、PANTAさんがちょうど退院された当日だったんですけどもTOSHIのライブに行きたいって言い出して。遠出をしてTOSHIさんに会いに行くということだったので車を出して、高崎までドライブをして。ライブハウスに着く直前にお蕎麦屋さんに入ったんです。そこが、その地域に生存している日本オオカミを追っかけている猟師さんたちの基地みたいなお蕎麦屋さんだったんです。壁とかにあらゆるオオカミの本とか写真とかが飾ってあって、それをPANTAさんがご覧になって、そこから「東京オオカミ」の曲自体にも入っていく。TOSHIさんに会いに行くということがなければあそこには行かないですし、オオカミに結びつくこともなかったので今回のアルバムの特徴的な曲だと思いますね。

田家:TOSHIさんはPANTAさんが病院からライブハウスに来たときその日のことを覚えてらっしゃいます?

TOSHI:うん、来たときは2人で会って写真撮ってとか。あのときはちょっと久しぶりに会ったのかな。顔を見たときはホッとしたというか、うれしかったですけどね。

田家:あらためてこの1曲目「東京オオカミ」をお聴きいただきながら話を続けていきます。TOSHIさんは新作ということで、どんなアルバムになるかなみたいな想像をされたりしてたんですか?

TOSHI:全くそれはしてませんでした。できなかった。PANTAの体調でスタジオが動いていて、私たちはお互いの空いている時間にそのスタジオに行って被せていくという作業だったので。CD自体の全体像がまだ、後半になったらわかってきましたけどね。2年近くかかったのかな。全体的に。

田原:そうですね。

田家:2019年に新作アルバム『乱破』が出て、その時のインタビューでまだまだ歌いたいことが山程あるんだよねと言われていたんですよね。

田原:『乱破』ができて新しいバンドが形になっていったんだと思うんですよね。2019年に新しいメンバーになった最初のライブというのは、まだ集めたばかりで彼らも緊張があって。TOSHIさんとやるって緊張もありますし。それがだんだんバンドとして完成していった。特にPANTAさんはその後『会心の背信』というライブ・アルバムが出るんですけども、2人で裸になった頭脳警察に戻ってるんですね。そこからバンドとしてもう一度若い子たちとやるんだという気持ちが強くあったんだと思います。

TOSHI:その若い人たちの新しい風みたいなものをすごく欲していましたね。それは私もそうですけどね。

田家:やっぱりTOSHIさんもそういうのがあった方がいいなと。新しい曲とか、新しい刺激、新しいミュージシャンとやりたいみたいなものはずっとあったんですか?

TOSHI:それは若い頃から一緒ですね。そこはお互いあまり落ち着きたくないというか(笑)。落ち着けない性格なのか、俺もPANTAも。

田家:今回のアルバムには「時代はサーカスの象にのって」が入っておりまして、TOSHIさんが選ばれた今日の2曲目がその曲なので、曲の後に話をお訊きしていこうと思います。

時代はサーカスの象に乗って / 頭脳警察

田家:作詞が寺山修司さんと高取英さん。作曲がPANTAさん。

TOSHI:これは詞もそうですけど、曲とテンポ感が好きですね。

田原:今回のアルバムに関して、この曲は最初からPANTAさんが入れたかったみたいですね。時代への復讐劇がテーマの1つにあって、「時代はサーカスの象に乗って」というのがそれですね。これは演奏がアルペジオで始まっているパターンなんですけれども、アルペジオ・パターンのこの曲をどうしても入れたいとおっしゃっていました。

田家:「時代はサーカスの象に乗って」というタイトルで古くからのサブカルファン、演劇のファンは1969年の天井桟敷の旗揚げ公演のタイトルだったことを思い出す方もいらっしゃるのではないかと思うんですけども、これは2002年に高取英さんがご自分の劇団・月蝕歌劇団で上演されたときにできた曲?

田原:そうですね、はい。

田家:頭脳警察としてはシングルでも出ていて、アルバムでは『暗転』。2013年の作品に入っていました。バージョンが違うんですね。

田原:当時このバージョンでも何度かやっているんですけども、実際音源としては残っていなくて。今回これを残したいというのはPANTAさんのご意向でした。

田家:頭脳警察、PANTAさんにとって寺山修司さんというのは、想い入れのある人なんでしょうね?

TOSHI:ビクターで70年の頃、2ndの録音をしているときに寺山さんがスタジオに遊びに来たというか、見に来たみたいなことは後で聞いたんですよね。PANTAは寺山さんとは会ってないんですよね。私は二度くらいお会いしたことがあるんですけれども。

田家:TOSHIさんは演劇も長いですもんね。

TOSHI:とか、友だちがいたりしてね。

田家:初期の頃の頭脳警察の話を後ほどTOSHIさんにまた伺うんですけれども、やっぱり今とはかなり違いますもんね。

TOSHI:時代が違いますからね。ベトナム戦争、いろいろ運動も盛んな時代ですからね。

田家:そんな話は後半にお訊きしようと思います。TOSHIさんが選ばれた今日の3曲目「冬の七夕」です。

冬の七夕 / 頭脳警察

TOSHI:PANTAが歌を録音しているときにちょうどいたんですけど、PANTA歌上手くなったなってつくづく思いました(笑)。いろいろ曰くがある曲なんですけれどもね。

田原:43年前に『KISS』というラブソングを歌ったアルバムの時にPANTAさんの所謂不買運動が起きましたよね。それまで過激なことを歌ってきたPANTAじゃない。裏切ったという。

田家:スウィート路線のね。

田原:ええ。その時に橋本治さんと共作された曲があるんですけれども、「冬の七夕」はそれが43年経って逆に結実した曲というか。

田家:あ、そうなんですか。作詞作曲に橋本さんのお名前がないですね。

田原:これ橋本さんが亡くなられたときの曲なんですね。橋本さんが亡くなられた日にPANTAさんがこういう曲を作ったと言って、電話口で歌われたのが最初で。橋本さんへの友情、愛情への想いを宮沢賢治と宮沢賢治が愛した友人がいたんですけれども、そこに投影しつつ、橋本さんが書いた大島弓子さんの漫画への評論があるんですけれども。その評論を混ぜたというか。だから、非常に複雑な歌詞で、ダブルミーニング、サードミーニングがあるんですね。

田家:「かさぶた味のプディング食べて」っていうのが、これ何かあるなと思ったんですよ。

田原:これは大島弓子さんの『バナナブレッドのプディング』という漫画から来てますね。

田家:PANTAさんも橋本さんもお酒飲まないでしょう。甘いものを食べながら、延々と一晩中話しているんだというのをPANTAさんに聞いたことがあって、それでこのプディングなのかと今ふと想いましたね。TOSHIさんが選ばれた4曲目がちょっと思いがけなかったんです。でも、うれしかったです。PANTA&HALで「つれなのふりや」。

つれなのふりや / PANTA & HAL

田家:1980年に発売になったライブ・アルバム『TKO NIGHT LIGHT』からお聴きいただいております。TOSHIさんがこれを選ばれたのは?

TOSHI:単純にいい曲だなというか、PANTAらしいいいセンス。私が個人的に好きな曲でしたね。

田家:PANTA&HALを作ったときには鈴木慶一さんがプロデューサーで、TOSHIさんはどう思われたんですか?

TOSHI:私はその頃、もうアングラな方に入っていったというか。

田家:お芝居の方を。

TOSHI:お芝居の方をやったりとか、自分でセッションバンドを組んでライブをやったりとかとで動いていたのでね。別にPANTAのことは意識なく過ごしてましたね。

さようなら世界夫人よ / 頭脳警察

TOSHI:これは頭脳警察の当初の頃からずっとやり続けている曲で、この曲があるから頭脳警察がここまでもってきた感じがありますね、私はね。

田家:それはどういう点が?

TOSHI:歌詞ですよね。歌詞そのものが全部を表しているというか、あらゆるところにPANTAの書く詞の中にも伏線みたいなものが大きくあると思うのでね。

田家:もとになったのがヘルマン・ヘッセ。アルバムは1972年5月に出た頭脳警察の『セカンド』に入っておりましたが、これは頭脳警察伝説、1972年 1月に発売される予定だった1stが発売中止。それはライブ録音だったりもしたのでスタジオ録音で録り直した『セカンド』。これも1カ月後の6月に再び中止になってしまった。発売中止はTOSHIさんはどんなふうにお聞きになったんですか?

TOSHI:1stのときはこれは絶対無理だっていうのは、俺もPANTAもわかっていたんですよ。まさか2ndまでとは思わなかったですね(笑)。

田家:1stは『世界革命戦争宣言』。赤軍派のアジテーション、アジビラがあって「赤軍兵士の詩」という曲もありましたもんね。それを外したんだけれども、ダメだったという(笑)。

TOSHI:まだきっと俺もPANTAも若かったんでしょうね。レコード倫理もよく知ってなかったし。

田家:でもヒット賞ももらっているわけでしょう?

TOSHI:そうですね。3枚目ですね。なんかパーティーみたいなのに出た記憶があるんだけど、どこにいていいんだかわからないような感じでしたね(笑)。

田家: 2024年、世界は今もガラクタの中に横たわってます。死神が大手を振って歩いています。PANTAさんの自伝本『歴史からとびだせ』、ここにTOSHIさんのコメントがありました。高2の後半だったかな、ひとしとアマチュアバンドを組んでいた頃に知り合ったんだと。

TOSHI:はい、そうです。

田家:所沢周辺では目立ってたねと。髪の毛がちりぢりできたねえやつだなと思った。

TOSHI:はい、たしかに(笑)。あの当時、サイケファッションみたいなのが流行っていてね。サイケのジャケットとパンツを履いているPANTAというのは珍しかったですね。

田家:『歴史からとびだせ』の中のTOSHIさんのコメントにこういうフレーズもあったんですね。”いつもノートに詞や歌をびっしり書いていて、それをやっちゃおうかということでオリジナルをやるようになった”。

TOSHI:よくPANTAがうちに来て、俺の寝てる横でギターを持って歌っていたんですよね。俺もPANTAもアマチュアバンドを所沢の中で解散してまして。みんな各々大学に入ったり、社会人になったりして残ったのが俺とPANTAがプー太郎みたいに(笑)。よくPANTAがうちに来ては昨日こんなの作った、こんなの書いたとか言って歌い出すんですね。

田家:そのときにPANTAさんに感じた才能みたいものはどんなことなんですか?

TOSHI:詞はそんなに感じたことないんだけど、メロディですよね。あの当時日本語でメロディをつけると、どうしてもマイナー調のフォークっていう時代だったんだけどね。PANTAが持ってくるのはメジャーだったりセブンスだったりおしゃれな耳に心地いいというか、それは才能でしたね。

田家:PANTAさんはフォーク嫌いでしたもんね(笑)。

TOSHI:そうですね、大嫌いでしたね(笑)。

田家:TOSHIさんが選ばれた今日の6曲目1973年3月発売、4枚目のアルバム『誕生』から「詩人の末路」。

詩人の末路 / 頭脳警察

TOSHI:この曲は若いときからうちに来ては歌っててね。PANTAのこういう面もありますよというとこで、追悼の意味も含めて。

田家:そう、そこですよね。こういう曲を聴いたときにPANTAらしくないみたいに思うイメージが出来上がってましたもんね。

TOSHI:ええ。そこは本当にもったいないんですよね。

田家:過激な頭警という。

TOSHI:もうね、そういうレッテルを貼られてきてしまっていたからね。

田家:TOSHIさんはそういうイメージがついていくのをどう受け止めていたんですか?

TOSHI:その当時は俺もPANTAもわかっていたから、別に意識はしてませんけどね。

田家:ですよね。お客さんが喜んでくれればそれでいいみたいなね。

TOSHI:そうそう、その空気ができればという感じでしたもんね。

田家:抜けようかなと思われたというのは、そういうことが関係していたんですか?

TOSHI:頭脳警察でつけられちゃったイメージというかね。それにちょっと引っ張り回されたというので、俺もPANTAも疲れていたんですよね。俺も自分のことをやるわみたいなことでPANTAに言って、抜けましたね。

田家:そのとき、PANTAさんはなんておっしゃったんですか?

TOSHI:お前にも責任あるんだからどうのこうのとか、ちょこっと言い合ったりはしたんですけどね。

田家:俺だけに押し付けるなよみたいな(笑)。

TOSHI:でも契約書も何もねえやって言って、私はポーンっと逃げたんですよ(笑)。

田家:若かったですねー(笑)。

TOSHI:若かった(笑)。

田家:TOSHIさんは1974年11月の6枚目『悪たれ小僧』のときは復帰されましたが、翌年に解散してしまいました。TOSHIさんが選ばれた今日の7曲目、再結成のときの曲です。1990年発売の頭脳警察、7枚目のアルバム『頭脳警察/7』の中の「万物流転」。

万物流転 / 頭脳警察

田家:16年振りの再結成の曲でしたね。このときのことというのは?

TOSHI:時間的に言うととても贅沢にビクターのスタジオを使わせてもらえていて、その中でもこの「万物流転」の録音がPANTAのイメージする音がなかなか作れなくて。相当何度も何度も作っては壊して、作っては壊してという難産な曲だったので印象ありますね。

田家:どこに一番こだわったという。

TOSHI:PANTAが巨大なイメージを言うんですけどね。ヒマラヤの山の上に雲があって、雲から何かが降りてきて、それを音にとかって(笑)。

田家:再結成のときにはPANTAさんの中でやりたいことがあったんでしょうね。田原さんは頭脳警察をやるタイミングみたいなものはどんなふうにご覧になっていたんですか?

田原:自分はこの10年になるのであれなんですけれども、PANTAさんは頭脳警察をやることに対して、自分の中で物語が1つあったんだと思うんですよ。だから、このときもこのときでPANTAさんは自分の中の物語がちゃんとあって、それを表現する音楽がきちんとあったんだと思いますね。

田家:このときは1年だけの限定で、2008年からはほぼ定期的に活動している。

TOSHI: 50周年に向けてなのかな。向けてっていう意識はしなかったんですけどね。

田家:バンドは終わらないんだという、それはTOSHIさんの中にもずっとあった?

TOSHI:頭脳警察という看板を汚したくなかったというかな。今でもそうですけどね。

田家:この話はあらためてこの曲の後にお訊きしようと思います。今日最後の曲、アルバム『東京オオカミ』の最後の曲「絶景かな」です。

絶景かな / 頭脳警察

田家:TOSHIさんは頭脳警察は続けると宣言されておりました。

TOSHI:PANTAの一周忌も終わってないので、今のメンバーともまだちょっとやりたいしという気持ちもあるので、どういう形になるかはわかりませんが、ちょこっとはやっていこうかなとは思っております。

田家:最終週に今のメンバーの方にいろいろお話を伺おうと思うのですが、田原さんはそこにも大きく関わってらっしゃるんですよね。

田原:そうですね。PANTAさんから託されたものがたくさんありますし、さっきTOSHIさんがおっしゃったみたいにノート、まだ歌詞もたくさんあるし、遺品整理をする中でPANTAさんが録音してそのままになっているテープとか楽曲もたくさんあるんですね。ほぼ完成した楽曲もあって、それは何か今年すぐになにかの形にしようとは思っています。頭脳警察というものはまだまだいろいろな形、いろいろなものに姿を変えて、きちんと残せるものを残しながら活動していくような方向でTOSHIさんや若いメンバーと協力してやっていきたいなと思っております。

田家:なるほど。頭脳警察は死なない。ありがとうございました。

TOSHI:ありがとうございました。

今流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

70年代から時代の先陣を切ってきたアーティストの訃報が続きますが、PANTAさんには他の方とは違うある種の実感、親近感と言うんでしょうか。距離の近さがあったりするんですね。これはとても私的なことなんですけど、頭脳警察の1枚目のアルバムの中の「戦争しか知らない子どもたち」という、杉田二郎さんの「戦争を知らない子供たち」のパロディ・ソングみたいな曲なんですけど、詞を書いたのが学生時代の僕の親友なんですね。彼は演劇をやっていて、後に脚本家になったりしたのですが、それが頭脳警察によって歌われるようになった。戦争というのはデモに明け暮れる学生たちの日々なんです。俺たちにとっての戦争みたいなことを茶化しながら、コミカルに歌った歌なんですね。それが頭脳警察のデビュー・アルバムに入っている。

当時のことってなかなか説明しにくいところがあって、彼らは「銃を取れ」とか「世界革命戦争宣言」とか、そういう曲を歌ったために政治的な過激なバンドというレッテルが貼られてしまいましたが、彼らが過激だったということよりも、時代がそうだったんですね。当時、若者がそういう歌に喝采を送った。彼らもビクター・レコードからヒット賞をもらったという、そういう時代だったんですよ。その時代のシンボルに祀り上げられて、過激派バンドというパブリック・イメージを与えられてしまって、後半はそれとの戦いを強いられてしまった。その後はそこを抜け出して、本当にやりたい音楽をやろうとする過程だった。

それでいて強いものとか、長いものには巻かれない、強いものには立ち向かい続けるという、その反骨精神を一貫して失わなかった。亡くなる直前にレコーディングされたのが『東京オオカミ』で、こうやってTOSHIさんとか田原さんの話を聞いていると、そういう世間のイメージとは全く違うPANTAがたくさんいるんだなと思わされたりして、来週からゆかりの方たちと音楽家PANTA、アーティストPANTA,表現者PANTA、そんな側面から語っていけたらと思ったりしております。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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