ジュースにコーヒービール、タバコ以外でも、近年はマスクや充電器など、自動販売機で取り扱う商品の種類はバラエティに富んでいます。そもそも、日本で初の自動販売機は、何を売るものだったのでしょうか?自動販売機の歴史と共に解説します。

世界最古の自販機は、古代エジプトの科学者ヘロンの著書「気体装置(Pneumatika)」に登場する「聖水自販機」。コインを投入すると、その重みで水が出てくる装置で、紀元前215年頃、寺院に置かれていたといわれています。

時代はずっと下って、現在のような形の自販機が登場したのは、1800年代後半、産業革命後のイギリスでした。飲料、菓子、食品、チケット、たばこなどに実用化され、基本的な技術もこの頃に開発されました。

日本国内では、1888(明治21)年、俵谷高七という人物が、タバコの自動販売機を発明したのが最初といわれています。明治政府は、10年の期限付きで特許を認め、1890(明治23)年に開かれた第三回内国勧業博覧会でも好評を博したそうですが、残念ながらその後普及はししなかったようです。

また、一説では1890年(明治23年)、小野秀三による自動販売機の特許が先発という説もあるようです。現在残っている自動販売機は、同じく俵谷高七が作った「自動郵便切手葉書売下機」です。

自働郵便切手葉書売下機(郵政博物館)

切手と葉書の販売だけでなく、ポスト機能も備えたアイデア製品でした。

それから随分とたった1926(大正15)年には、東京・上野の両駅が、ドイツ製の入場券自動販売機を導入し、4月25日より使用を開始をしています。このような駅の券売機こそが、一般の自動販売機普及の始まりだったのです。

1927(昭和2)年12月30日、浅草-上野間に、日本で最初の地下鉄が開通したときは、ターンスタイルの自動改札機が設置されるようになります。これは十銭白銅貨を投入すると、回転翼が動くようになり、それを手で押すと、人が一人通れるというもので、販売機とは少し異なりますが、駅の改札における機械化は早くから進んでいたことがよくわかります。

そして戦後の1953(昭和28)年、10円銅貨の発行と同時に登場した入場券自動販売機が、正式には日本で初めてといえるでしょう。急国鉄の上野駅に、中山式と呼ばれる十円発売機が設置されました。ただしこれは自動といっても、手動式でした。

また翌年2月10日には、自動保険販売機が、東京・上野の両駅に登場します。これは、興亜海上火災の旅行保険で、有効期間は一週間。二百円をだすと二万円を保証する、というものでした。

清涼飲料水の自動販売機といえば、やっぱりコーラが最初。1957(昭和32)年にアメリカのコカ・コーラ社が日本に上陸し、自動販売機とルートセールスによる販売戦略を展開しました。

それから5年後に、ようやく国産の自動販売機も登場しました。この1年で、全国に880台が設置されたようです。この自動販売機を製造したのは、新三菱重工業(現・三菱重工業)で、アメリカのメーカーとベンド社との技術提携でした。

40円を入れると、190ミリリットル入りのコーラが、あの胴のくびれたビンででてくる姿は、当時の日本人には驚きだったようです。飲料の容器が、ビンから缶になったのは1970(昭和45)年のこと。

これによってコーラだけでなく、他の清涼飲料水の自動販売機が急速に普及したのでした。

参考:黒崎貴『自販機入門』(2016 株式会社日本食料新聞社)