2024年の元日に日本を襲った能登半島地震。
影響はサッカー界にも及び、高校サッカー選手権に出場している星稜高校は地元から応援に行くことができず、他チームの選手やサッカーファンが星稜の応援に急遽駆けつける一幕もあった。
そこで、石川県を代表するスポーツ強豪校、星稜高校出身で日本代表として「大舞台」に立ったサッカー選手を3名紹介する。
豊田陽平
1985年4月11日生まれ
豊田陽平は星稜高校在学中、松井秀喜のスポーツ測定記録を次々と更新したことで知られるお化けアスリートだ。
2004年にプロ入りした名古屋グランパスでは苦戦したが、2007年から2008年にかけて期限付き移籍したモンテディオ山形でブレイク。北京五輪では日本の9番を背負った。
2010年からはサガン鳥栖のエーストライカーとして長く活躍。2年目にJ2得点王に輝く活躍でクラブ初のJ1昇格を達成すると、翌年からJ1で5シーズン連続二桁得点を記録し、日本代表にも選出された。
2022年に地元の石川県へ戻り、ツエーゲン金沢と契約。昨季は23試合で2ゴールを決めており、J3を戦う今季も契約を更新したことが今週発表されている。
本田圭佑
1986年6月13日生まれ
日本人初のワールドカップ3大会連続ゴールを記録した星稜の至宝。
ガンバ大阪のアカデミーでジュニアユースからユースに上がることができず。悔しさを胸にやってきた星稜高校では3年次、10番&キャプテンとしてチームを石川県勢初の選手権ベスト4へと導いた。
2005年に名古屋グランパスでプロ入りすると、3年後にはオランダ1部のVVVフェンロへ移籍。得点に関わる才能をさらに開花させ、スターダムへとのし上がっていった。
日本代表98試合出場、37ゴールは圧巻の数字。2021年にリトアニア1部のスードゥヴァでプレーした後は無所属となっているが、その中でも様々な形でサッカー界に“風”を吹かせている。
鈴木大輔
1990年1月29日生まれ
惜しくもメダル獲得は逃したものの、日本が4位となった2012年のロンドン五輪、オーバーエイジの吉田麻也とセンターバックコンビを組んでいたのが鈴木大輔だ。
小学2年生の時に金沢市へ移り住み、2005年に星稜高校へ入学。当時から世代別代表の常連で、2007年には城福浩監督のもとU-17ワールドカップに出場している。
2008年にアルビレックス新潟へ加入し、ロンドン五輪後の2013年に柏レイソルへステップアップ。2016年から2018年にかけてはスペインに渡り2部のジムナスティック・タラゴナでプレーした。
柏復帰後は浦和レッズを経て、2021年にジェフユナイテッド千葉へ移籍。初年度からキャプテンを務め、昨季はJ2の6位でJ1昇格プレーオフに出場している。今季も契約更新済み。