[画像] 日本代表、13年前の「TV放送なし試合」イエメン戦だけになってしまった「名選手たち」

21日11時45分からキックオフされるワールドカップ2026・アジア二次予選のシリア対日本。

この試合で最も大きな話題になっているのは「テレビの放送がない」こと。日本でのインターネット配信すらないというのはかなり異例である。

サッカーファンにとって記憶に新しいのが、13年前にあたる2010年1月6日のイエメン戦。テレビの放映権が売れなかったことから急遽インターネット配信のみという伝説的な試合だった。

13年前はありえない出来事であったが、日本代表がすでに突破を決めていたためにチャンスを得た選手たちも多かった。

今回は、平山相太のハットトリックで3-2と勝利したこの試合で招集されたものの、これが最後の招集、あるいは最後の出場になった選手をご紹介する。

菊地直哉

当時の所属:大分トリニータ

現所属:サガン鳥栖コーチ

日本代表での成績(2023年11月20日時点):1試合0ゴール

清水商業高校からジュビロ磐田に加入し、高卒の天才選手として話題を集めた菊地直哉。その後私生活でのトラブルもあって活動停止処分とドイツでのプレーを経て大分トリニータに移籍した。そこで主力として活躍したことで、この2010年のイエメン戦で初のA代表招集を受けることになった。

なお、試合では吉田麻也とセンターバックのコンビを組んで出場。背番号は87であった。

村松大輔

当時の所属:湘南ベルマーレ

現所属:引退

日本代表での成績(2023年11月20日時点):0試合0ゴール

JFLのHonda FCからJリーグへとステップアップした選手として話題になった村松大輔。2009年に湘南ベルマーレへと加入して活躍を見せ、シーズン終了後にはこの試合に向けたA代表メンバーに選ばれた。

ただ、遠征先のイエメンで残念ながらインフルエンザを発症してしまったためにベンチ入りすることもできず、不運にもキャップは0のままである。

青木拓矢

当時の所属:大宮アルディージャ

現所属:FC東京

日本代表での成績(2023年11月20日時点):0試合0ゴール

年代別の日本代表チームでは中心選手だった青木拓矢。大宮アルディージャではまだあまり出番がなかったものの、そのユース代表での実績を評価されてメンバー入りした。

この試合では96番を着用してベンチ入りしたものの、出場機会は与えられなかった。

山村和也

当時の所属:流通経済大学

現所属:川崎フロンターレ

日本代表での成績(2023年11月20日時点):1試合0ゴール

センターバックからアタッカーまで様々なポジションをこなす、日本屈指のユーティリティプレーヤー。当時はまだ流通経済大学の学生であったが、年代別代表の実績を評価されてA代表に招集された。

この試合ではボランチとして75番のユニフォームで先発出場。前半終了後に乾貴士と交代になっている。代表には2010年南アフリカW杯のサポートメンバーでも帯同しているが、出場はこのイエメン戦のみだ。

米本拓司

当時の所属:FC東京

現所属:名古屋グランパス

日本代表での成績(2023年11月20日時点):1試合0ゴール

特別指定選手としてヴィッセル神戸でプレーした後、FC東京でJリーグにデビューした米本拓司。高卒新人ながらJリーグでいきなり中心選手となり、2009年のシーズンで大きなインパクトを残した。

このイエメン戦でも65番のユニフォームを着用して先発フル出場したものの、この後前十字靭帯断裂で長期離脱を経験することに…。代表では2015年のEAFF東アジアカップにも招集されているが、この時は出場機会がなかった。

渡邉千真

当時の所属:横浜F・マリノス

現所属:松本山雅FC

日本代表での成績(2023年11月20日時点):1試合0ゴール

早稲田大学から2009年に横浜F・マリノスへと加入し、1年目からJリーグで2桁ゴールを奪った渡邉千真。鮮烈なデビューシーズンを終えたあとのイエメン戦では82番を着用してA代表でも先発した。平山相太のハットトリックが記憶されているが、実は彼のほうが山田直輝と交代での途中出場である。

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JリーグではFC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪で長くストライカーとして活躍したが、日本代表ではこのあと予備登録のみで出場のチャンスはなかった。