■屈辱の“ドラフト指名漏れ”からどう再起したのか
今年もプロ野球ドラフト会議が行われた。育成選手を含め122人が指名され、プロ野球界という特別な舞台へ若者が飛び込んでいく。その一方で、高く評価されていたものの指名漏れとなった選手も少なくない。野球エリートである彼らにとって、その経験は人生初の挫折かもしれないが、そうやって指名されない選手は毎年必ずいる。
2015年夏、西東京大会で優勝して甲子園に出場した早稲田実業学校高等部(以下早実)の野球部にはスーパー1年生の清宮幸太郎(現日本ハム)がいた。本戦でも見事ベスト4に勝ち進んだこのチームの中で、2年の吉村優(現25歳)は控え投手として背番号16をつけてベンチ入り(3年夏はエースナンバーを背負ったが、西東京大会8強止まり)していた。
高校卒業後、2人はそれぞれ別の進路を選択した。
清宮はドラフトで1位指名されプロ野球の世界へ進み、ここ数年は新庄剛監督のもとチームの主軸に成長。片や吉村は早稲田大学先進理工学部に進学したが、野球部には入らなかった。同大の米式蹴球部(以下アメフト)で4年間を過ごし、大学院を経て来春からは会社員人生をスタートさせるのだが、そこに至るまではかなりの紆余(うよ)曲折があり、自分探しの苦難の日々が続いた。
■2022年ドラフト指名漏れで「死にたくなった」
吉村は東京・国立市の私立の小学校に通っていた。クラスには医師や官僚を目指す同級生が大勢おり、本人にもある時までは中学受験で開成、筑波大駒場などを受験するレールが敷かれていたはずだ。ところが、あるとき「早実で野球をやりたい」という思いが沸き上がる。
「(2006年にハンカチ王子の愛称で話題を呼んだ)斎藤佑樹(早実→早大→日本ハム、21年引退)さんが甲子園で優勝して、憧れました」
担任の先生にも反対されたが意思を貫き、中学受験で早実中等部への入学を果たす。中等部の軟式の部活を経て、高等部の(硬式)野球部に入って目的を実現させた。ところが、早大で野球を続けなかった。
「自分は大学では(主に下級生を指導する)学生コーチになると想像できちゃったんです。プレーヤーでいたいけど、自分のレベルでは大学野球の試合に出られないと思いました」
結果、早実の知り合いもいて、熱心に誘ってくれたアメフト部に入ることになる。
「それまで早大アメフト部はあと一歩というところで甲子園ボウル(大学日本一決定戦)では勝てていなかったんです。自分が入ることで日本一に導けたらと」
実際に2018年と19年に甲子園ボウルに出場。19年(3年生時)の時に、タッチダウンを奪うなど活躍したが結局、日本一は果たせなかった。
アメフト部在籍はかけがえのない経験になった。ただ、どこかに野球への未練が残っていた。それは、近しく親しかった者がプロ野球選手になっているからだ。「自分もなれるんじゃないか」。そんな気持ちが拭い切れなかった。強く意識したのが後輩の清宮だった。
「清宮がいなければプロを目指すことはなかったでしょう。彼がやれるなら、と気持ちを強くかきたてられました」
大学を卒業し、4年間、アメフトをやり終えて決心する。「俺はプロ野球選手を目指す」「球速150kmのボールを投げる」。
大学院に籍を置くがいったん休学して、都内のある野球クラブチームに所属。NPBの入団テストを受け、ドラフト指名を待ったが、合格通知は届かない。翌(2022)年はプロ野球独立リーグの四国アイランドリーグplusの「徳島インディゴソックス」に入団して、非公式記録ながら目標通りに150kmを出したが、やはり吉報はやってこなかった。
2022年の指名漏れの際は「死にたくなるぐらい落ち込んでいた」という。どん底の気分を味わわされたが、誰も自分を助けてくれない。誰もタダ飯を食わせてくれない。
■元球児の難関一流企業内定獲得までの道のり
2023年、失意と葛藤を乗り越え、少年時代からあこがれていた世界から現実世界へ意識を転換して、就活に邁進することを決断した。
「われながら、侍のようにさまざまなことにストイックに挑戦したと思います」
高校野球もアメフトも突き詰めた。就活も侍のごとく、地道に取り組んだという。年頭からは手始めに、エントリーシート(以下ES)を15社ほど提出した。
第一志望はパイロットだった。早実時代の仲間がパイロットになっていて、自信がないわけではなかった。試験や複数回の面接を順調にクリアした。だが、身体検査で落ちた。
「視力は問題なかったと思います。たぶん、脳波に何か問題があったかもしれません」
実はアメフトで脳震盪を数回、起こしたことがあり、それが原因になることがあるという。航空会社のパイロット試験を2社受けていて、どちらも身体検査でひっかかった。プロ野球選手の夢を絶たれた上に、パイロットでも……そんな暗い気持ちだったが、反面、「将来の展望を考えてなかった。結果的に落ちてよかった」という思いもあった。自分がパイロットを目指したのはただ単に「カッコいいから」という“不純”さがあった。もっと自分の内面を掘り下げて見つめなおした。
就職は生活するお金を得るためだけでなく、社会にどう貢献していくかかという自分の存在意義を探すことでもある。そんな意識で新たに就活した結果、納得のいく着地点を見いだして最終的に2社の内定をもらった。毎年、就職人気ランキングで上位に入る丸の内に本社のあるA社と、DeNA(本社:渋谷区)だ。
「ESは盛ったりせずに嘘は書きませんでしたし、各面接でも、他も受験しています、と正直にお伝えしました」
吉村に接していると、この青年には裏がない、ということを実感できる。素直に心の声に従って就活に挑み、先方の会社にも真正面からの評価を望んだという。
「プロ野球選手(NPB)を目指していたとか、表面的な事実じゃなくて、それぞれの機微を深堀って聞いてくれたのが2社でした。僕がどういう人間か興味を持ってくれました。特にDeNAはいろんな新規事業にチャレンジしていて、面接も面白くて自分を伸ばしてくれる企業だと感じました」
DeNAへの思いがこうやって膨らんでいったというが、普通の就活生なら、この2社選択ならほとんどがA社を選ぶだろう。日本を代表する超のつく優良企業。給料など待遇も国内屈指だからだ。ところが、「将来の幸せを考えたら、どちらがいいだろうか」と2社の内定が出てから数カ月、迷いに迷った。
■内定をくれたDeNAから質問「巨人が指名したら?」
アメフト仲間や友人はそれぞれの仕事観でアドバイスしてくれた。仕事はやりたいことを求める場で、会社はお金をくれるクライアントだと割り切って考えたほうがいい、とか尊敬できる人、手ごわいと思える人がその会社にいないと意味がない、と言ってくれる人もいたという。
「アメフトが終わった4年の時ならA社だったと思います」
ただ、プロ野球選手を目指して徳島に行って今の自分に生まれ変わった。やりたいことをずっとやれせてくれるところで成長したい、という原点に返ったという。
DeNAの面接で響いたのが、プロを目指した野球経験者ではあったが、ベイスターズ関連の仕事と結び付けられなかったことだった、という。
「スマホのライブ配信の市場が伸びているので、そのプロダクトをやらないか、と言われました」
野球とは縁遠い分野だ。つまり過去にはこだわらない。むしろ、未来が重要だ、という点を明確に示してくれた。“未来”を念押しされた最終面接でもあった。
「最後に将来のことを聞かれて、何も考えてなかったのでまったく答えられなかったんです。頭が真っ白でした。普通じゃない生き方をしたい、って答えたら、何が普通なのって返ってきて。結局、最後は『わからないです』って正直に言いました」
合格の知らせを受け取って、何を評価してくれたのかあらためて、人事担当者に聞いたそうだ。
「新しいことに恐怖心なく入っていき、適応する時間も早くて、自分が知らないことを素直にさらけ出せるのが君のいいところだ、と。人間としての中身を見ていただいたと感謝しています」
希望部署を聞くと、人事部だという。「周りにはいなくて珍しがられた」と笑う。社員を適材適所に配して生かす仕事。実は会社の命運を握っている核心部だ。
「社員が配属されたところで楽しく仕事ができるか、成功できるか、幸せになれるかを見極める部署」でやりがいがあるという。
自身はアメフト部の時に辞めたいという部員をなだめて引き留めたことがあった。
「でも、やめて他のことに打ち込んだほうが、もっと楽しかったかもしれない。アメフトに残ったことが彼にとって幸せだったかどうかはわからないですよね」
ほんとの幸せのために最善の選択へ導く。人事のプロになれたらと思っている。
野球と離れて、違った職種に飛び込むことになったが、スポーツとしての野球に興味がなくなったわけではない。例えば、チーム編成。ファンに愛される魅力のある強いチームを作ってみたい、という気持ちはある。どういう特徴の選手を補強するか。新人は誰をドラフト指名するか。常勝チームを作るための強化の最上位責任者はプロ野球未経験者ではなかなか、就けないポジションだ。
「僕はプロ野球選手になれなくて夢破れました。パイロットの道も絶たれた。死んでもいいぐらいに燃え尽きた時期もありましたが、A社とDeNAが夢を届けて未来を見せてくれました。夢をあきらめた人、見失ってる人にこんな方法もあるよと教えてあげられるような仕事をしたい」
大学院の修士論文は8月上旬に提出し、9月に卒業式も終えた。基幹理工学部で自然言語処理の研究を行ってきた。論文のタイトルは〈感情分析によるチームの状態の数値化と勝敗の関係〉。
「(徳島)インディゴソックスで選手は日々、日記をつけることになっていました。その中の感情の部分を点数化して試合の勝ち負けなどとの関係を人工知能の技術を使って分析しました」
野球チーム編成や人事考課作業に理系からの視点は新しい味付けになるかもしれない。
後輩の清宮とは今でも行き来がある。
「(以前)日本ハムの入団テストも受けました。落ちちゃいましたが、彼も一言、球団の方に言ってくれたようです」
清宮はプロ野球界でトップを目指している。違えた道だが吉村にももう迷いはない。ただ、こんな質問をある面接でされたときは少し動揺したそうだ。
「巨人に指名されたら?」
行くと思います、と即答したと笑う。顔が緩んだのは一瞬だった。プロのビジネスパーソンになる、という覚悟はできている。(文中敬称略)
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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーランスライター 清水 岳志)
外部リンクプレジデントオンライン