サウナの本場フィンランドの人々が、サウナ浴で一番リラックスしている瞬間と、サウナでの過ごし方を紹介します(写真: SAMURAI/PIXTA)
日本のサウナ愛好家は、「サウナは〈水風呂〉のために入る」とよく主張する。水風呂、すなわち20度以下の冷水(時にはシングルと呼ばれる10度以下の強冷水)を張った浴槽は、昭和期から今日まで、サウナ室とセットで必ず存在する。
熱々のサウナ室内でじっと耐え、我慢の限界がきたところで(かけ湯やシャワーで汗を流してから)キンキンに冷えた水風呂へと身を沈める……その極端な温冷交代浴を経て心身に訪れるのが、「ととのう」という快感だ。
だが、この「テンプレートのリラックス法」にとらわれすぎて、「サウナ室で過ごす時間は、後の快感のための苦行時間」になっていないだろうか。本来サウナ浴は「サウナ室での蒸気浴」それ自体が主役であるはずなのに。
サウナの本場フィンランドの人々が、一連のサウナ浴で一番リラックスしているのはもちろん「蒸気浴」の瞬間。水風呂は、なんならなくても平気なくらいだ。
では、どんなアプローチで「サウナ室での時間」そのものを楽しめばよいのか。
話題の新刊『「最新医学エビデンス」と「最高の入浴法」がいっきにわかる!究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』の日本語オリジナル版翻訳を手がけた、フィンランド在住のサウナ文化研究家・こばやし あやな氏が、従来の「日本式エクストリーム・リラックス法」をいったん忘れ、「フィンランド人の入浴メソッドに学ぶヒント」を解説する。
ロウリュで「体感温度の変化」を楽しむ
サウナベンチに座る時間を、単調な「我慢大会」時間で終わらせないためには、定期的な変化や刺激が必要になる。
たとえば、ドイツ式サウナでは、定時にスタッフが入室してきて、入浴者に向けて大きなタオルをアクロバティックに振り仰ぎ、熱気を撹拌させつつショータイムを楽しんでもらう「アウフグース」と呼ばれるサービスが人気だ。
だが、フィンランド・サウナでアウフグースはまったくお目にかからない。
フィンランド人がサウナ浴の時間に最も重視するのが、前回の記事「誤解だらけ?「フィンランド式サウナ」意外な真実」でも紹介した「ロウリュ」メソッドだ。
ベンチには水を張った桶と柄杓が必ずあり、入浴者自身がストーブ上の焼け石に水を打つ。
すると、石の表面から噴出した熱々の蒸気が大きく対流し、入浴者の素肌をなめる。
この蒸気のことを、フィンランド語で「ロウリュ」(löyly)と呼ぶ。
ロウリュが身体を包むとき、さもサウナ室の温度が上昇したように感じるが、じつは「室温自体」は変化していない。熱気の中に湿気が混じったことで、瞬間的に私たちの「体感温度」が上がるのだ。
そよ風のように揺れ動いて身体を火照らせ、そのまますうっとどこかへ消えていく刹那のロウリュの心地よさは、やはり格別だ。
このロウリュの快感に身を委ねるために、フィンランド人はとにかく頻繁に水を打つ。日本人には信じられないかもしれないが、「30秒〜1分間隔でロウリュする」のも普通なのだ。
ロウリュの熱気を心地よいと感じるためには、基本室温を上げすぎるのは絶対NGだ。
ロウリュの熱気を心地よいと感じるためには、基本室温を上げすぎるのは絶対NG(写真提供:こばやし あやなさん)
日本人感覚ではややぬるいと感じる80度前後でも、ロウリュを繰り返し行えば、どんどん体感温度は上がる。
しかも、長居しても息苦しさや肌のヒリつきをいっさい感じずに、じんわりゆったりと、身体を芯から温めることができるのだ。
さらには、水の打ち方(スピード、量、場所)を自在に変えてロウリュの質をコントロールしたり、よりよいロウリュを求めて、ストーブの熱源にこだわる人もいる。
風呂の湯質と同様に、クイックな電気ストーブより、薪焚きでじっくり熱した石のほうが、不思議とより湿潤で心地よい蒸気が出るものなのだ。
サウナを「マインドフルネス」の実践の場に
現代人が関心を寄せる「マインドフルネス」。
つねに複雑な人間関係やデジタル機器に囲まれ、脳への刺激や情報量が過剰になった昨今、人は本能的に、カウンターバランスとして「心を落ち着かせ、今この瞬間に集中する」時間や精神状態を欲しているのだろう。
サウナは「マインドフルネス」の格好の場所。五感すべてを意識的に活用したサウナ体験「サウナフルネス」を実践してみよう(写真提供:こばやし あやなさん)
新刊『「最新医学エビデンス」と「最高の入浴法」がいっきにわかる!究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』の著者カリタ・ハルユ氏(サウナ・フロム・フィンランド協会会長)は、
「サウナは、私たちが何をする必要もなく、ただそこにいるだけで脳を休めて熱に心を集中させてくれる、まさにマインドフルネスのためにあるような場所」
だと指摘する。
確かに、サウナではまず否応なしに「デジタル・デトックス状態」になる。
私たちは、もはや就寝時ですら傍らにスマホがないと不安にかられる。パソコンや携帯電話を手放し、「真のオフラインモード」になれる時間が皆無な人も、いまや少なくないだろう。
だからこそ、サウナ浴の時間は、「デジタル機器」はもちろん、徹底的に「外部情報(時計さえも)」を排除して、「身体感覚」を研ぎ澄ませることに集中できる、絶好のチャンスなのだ。
ハルユ氏は、とくに五感すべてを意識的に活用したサウナ体験を「サウナフルネス」と呼んで、推奨している。
五感を意識的に活用する「サウナフルネス」というのは、サウナ室の中で「目に映るもの」「耳に聞こえる音」「鼻孔をくすぐる香り」「肌が感じる熱刺激」など1つひとつの要素に自分から意識を傾け、自身の身体がそれらをどう感じているのか、自問自答していく作業のことだ。
テレビや時計とにらめっこしながら漠然と熱に耐え続けるのではなく、薪ストーブの炎、ロウリュの蒸発音や熱の対流を、自身の感覚器を通じて「積極的に」感じ取ってみよう。
また、温度や湿度が自分にとって最適かどうか、そろそろサウナから出るべきかどうかも、温度計や時計に判定を委ねるのではなく、自分自身の身体感覚に問いかけて、素直に従ってみよう。
「マインドフルネス」と聞くと、実際どんな訓練が必要なのかと思い悩む人もいるだろう。
けれど、シンプルに「自分の内声」に耳を傾けて、「サウナ室での心地よさ」を能動的に受け止めようとするだけでも、脳は十分にリラックスし、自然とストレスも軽減されるのだ。
サウナ室内で「おしゃべり」を解禁してみる
日本では、コロナ禍で「黙浴」が徹底されるようになり、今なおサウナ室内での会話を強く禁止する施設がほとんどである。こればかりは、社会情勢や客の要望に基づく施設の方針なので、変えるべきだとは強く言えない。
けれどフィンランド人の間では、サウナの中で誰かと会話をすることが、「セラピーの一種」として捉えられている。
フィンランドの公衆サウナでは、客同士がおしゃべりに興じるのがごく当たり前の光景で、コロナ禍ですら会話を禁止するような触書はなかった。
ひとり静かにサウナに入りたければ、自宅やコテージのサウナに籠もればいい。公衆サウナには、そもそも「誰かとの会話を目的」に訪れる客が少なくないのだ。
久しぶりに会う知人、何かあって落ち込んでいる友人などをサウナに誘うことも珍しくない。
つまりサウナは、日本人にとっての居酒屋での「飲みニケーション」と同様、積もる話や赤裸々な本音を語らうための「社交場としての機能」を果たしている。
フィンランドでは、男女でサウナに行くことも日常的。「社交場としての機能」を果たしている(写真提供:こばやし あやなさん)
サウナで身も心も裸になり、しかも心地よい蒸気を浴びて心が穏やかになると、他者のかけてくれる言葉が琴線に触れやすく、また、普段はあまりしないような内省的な話もつい口にしてしまう。
さらに、見知らぬ客同士でも、「ロウリュしていいですか?」という挨拶をきっかけに、不思議と深い話まで弾んでしまうことがよくある。
他者交流は「サウナ体験」を決定的に左右する
ハルユ氏は同著書内で、「サウナでの他者との交流は、そのサウナ体験が成功だったと思えるかどうかを左右する大事な要素のひとつ。たとえサウナ施設自体が凡庸だったとしても、そこでの交流がサウナ体験を5つ星級にすることだってある」と述べている。
日本でも、たとえば個室サウナやアウトドアサウナに、まずは気の置けない友人を誘ってみてはどうか。
話題の新刊『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』の著者カリタ・ハルユ氏(サウナ・フロム・フィンランド協会会長)も<サウナでの他者との交流は、そのサウナ体験が成功だったと思えるかどうかを左右する大事な要素のひとつ>と著書の中で詳しく解説している(写真提供:こばやし あやなさん)
誰かと一緒にロウリュの快感を共にすることでシンパシーが生まれ、腹を割った話もできて、「ととのう」以上にスッキリできるかもしれない。
サウナ室で心地よくおしゃべりを続けるためにも、くれぐれも室温を上げすぎないこと、室内につねに新鮮な空気を取り込むことは、徹底しよう。
そして言うまでもなく、他者の迷惑にならないボリュームやマナーは忘れずに。
(こばやし あやな : サウナ文化研究家、フィンランド在住コーディネーター、翻訳家)
外部リンク東洋経済オンライン