近藤真市氏が明かす岩瀬仁紀氏への思い「守ってやれなかった」

 元中日投手で野球評論家の岩瀬仁紀氏は、日本プロ野球の最多登板(1002試合)と通算セーブ数(407セーブ)の記録保持者だ。中日を逆指名し、1998年ドラフト2位でNTT東海から入団。2003年まではセットアッパー、2004年からはクローザーとして君臨し、2018年に現役引退した。入団時の担当スカウトで、投手コーチとしても岩瀬氏に接した近藤真市氏(現、岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督)にとって思い入れのある選手だが、同時に今でも後悔していることがあるという。

「岩瀬は(2004年に中日監督が)落合さんになってからクローザーになりましたけど、やめる前は、敗戦処理をやったり、いろいろしたじゃないですか。あれは本当に申し訳なかったと思っています。僕はその時(ベンチ担当の)コーチだったけど、岩瀬を守ってやることができなかったので……」。近藤氏は表情を曇らせながら、そう話した。長年、クローザーを務めていた岩瀬氏の気持ちがわかっていながら、そんな役回りを止めることができなかったからだ。

「僕は岩瀬っていうのは、クローザーにこだわりがあるんで、クローザーが駄目だったら、本人が自分でやめるって言いますよって、何回も何回も言っていたんです。試合数がこれだけとか、そういう人間じゃないし、本人が絶対決めますよって。だけど結局、岩瀬が投げて、次に行くピッチャーを用意しとけってケースが多かったんで……」。近藤氏は「プライドはズタズタだろうな」と気になって仕方なかったという。

「そんな時に岩瀬と話したことがあったんです。そしたら『一番、守ってほしい人に、守ってもらえなかったのがつらかった』って、本人に言われたんです」。その言葉を聞いた時、近藤氏は「『しまった』と思った」という。「(当時監督の)森(繁和)さんも岩瀬に記録を作らせないといかんといろいろ考えておられたので、そういうふうにしてきたんでしょうけど、もっともっと僕が強く言うべきだった。森さんを納得させるような言い方をしなければいけなかった」と……。

岩瀬氏が現役引退した2018年オフ、近藤氏はコーチからスカウトに戻った

 近藤氏は「岩瀬にそんなふうに思わせてしまったことは僕の一生の汚点です」と言う。担当スカウトとして密着し、中日を逆指名してくれた6つ違いの左腕。近藤氏がデビュー戦ノーヒットノーランを達成した時の背番号「13」も快く着けてくれた左腕。プロで大活躍してくれて、近藤氏にとって誇りである左腕。そんな大事な選手の気持ちを傷つけた自分自身を許せなかった。

「僕も現役をやめる時は自分で決めた。そう思い起こせば、やっぱりそうだよなっていうのがあって。選手を守ってやれないんだったら、ユニホームを着ている意味はないなって思った。チームの成績不振もあったんですけど、もうやめようって思ったんです」。岩瀬氏が現役を引退した2018年シーズン限りで、近藤氏も1軍投手コーチを退任し、スカウトに戻った。それが“けじめ”だった。

 近藤氏は2021年シーズンを最後に中日を退団。2022年2月に岐阜聖徳学園大学の野球部監督に就任したが、岩瀬氏への申し訳ない気持ちは現在も持ち続けている。同じことは絶対に繰り返さない。そう肝に銘じて学生たちとも接している。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)