派遣保育士という立場だからこそ見えてきたことは?(写真:msv/PIXTA)

小さな子どもを持つ共働き夫婦にとって、保育園は欠かすことのできない施設だ。また、そこで子どもの面倒を見てくれる保育士も、なくてはならない存在だといえる。しかし、そうでありながら、私たちは保育の現場や保育士について知らなすぎるのではないだろうか?

ちなみに保育士について、『保育士よちよち日記』(三五館シンシャ)の著者、大原綾希子氏は次のように解説している。

私の知っている保育士の多くは、新卒で保育士として採用され、保育現場で悪戦苦闘してきた人たちである。人の命を預かるという重責を背負いながら、保育士たちはギリギリの人員で、到底さばききれない膨大な業務をこなす。事務仕事や催し物関連の作業、会議や研修も多い。子ども一人一人としっかり向き合いたいと思っていても、そうできないことがある。(「まえがき──正解がない仕事」より)

40歳を過ぎて保育士試験に受験、合格

こちらの抱くイメージ以上に状況は過酷そうではあるが、だからこそ「派遣保育士」が大きな役割を担うことになるようだ。なお、その1人である大原氏は、大学卒業後に大手人材派遣会社で広告制作の仕事に携わり、そののち団体職員を経て保育士資格を取得したという異例の経歴の持ち主である。

40歳をすぎて一念発起して保育士試験を受験し、合格した。その後、長年勤めた職場を離れ、保育業界に身を転じた。私は、子育てをひととおり経験するまで他人の子どもを預かることはできない、と考えていたから、わが子がある程度成長するのを見計らって飛び込んだ。シングルマザーとしてワンオペ育児をこなすため、私はあらゆることを取捨選択せざるをえなかった。保育現場もまさにそんな職場だった。(「まえがき──正解がない仕事」より)

比較的遅いスタートだったとはいえ、以後は派遣保育士として十数カ所の認可保育園で働いてきたという。もちろん、いまも現役だ。

とはいえほかの業界と同じように、保育業界にも特有の慣習がある。なにしろ、子どもの世界と大人の世界が混在しているのである。日常的にカオスな状況が訪れたとしてもまったく不思議ではない。

つまり、本書に描かれているのはそうしたカオスの断片である。

そしてそこには、派遣保育士ならではの視点がある。たとえば、冒頭に登場するとある保育園についての描写にもそれは明らかだ。

私は園庭のすぐ隣にある玄関を抜け、ロッカールームに通される途中で、その園の絵本棚を見た。絵本棚は本棚の体裁を保っていなかった。整理整頓が何ヵ月もされていないことは明らかだった。慢性的に人が足りない保育園に共通することは、絵本棚が著しく乱雑なことだ。(12ページより)


散歩に出ている子どもたちが帰ってくるまで時間のあった大原氏が絵本棚の整理を申し出ると、園長は承諾したもののけげんそうな顔をしたという。つまりその園には、絵本棚の整理を買って出るような人はいなかったということなのだろう。だが大原氏によれば、絵本棚はその幼稚園の内情を知るうえで大きな意味を持つそうだ。

いうまでもなく、働きやすい保育園には保育士が集まり、子どもたちにたくさんの絵本を読み聞かせることになる。子どもたちは、お気に入りの絵本を持ってきては保育士に「読んで」とせがむわけだ。したがって絵本も大切に扱われ、整理整頓され、補修も日常的に行われる。

だから新しい園に派遣された際には、絵本棚をチェックすれば内情がわかるのだ。

私は絵本棚の前に座り込み、最初の一冊を引き抜いた。『おおきなかぶ』という絵本だった。『おおきなかぶ』はたいていどこの保育園にも置いてある。けれども、これほど痛々しい姿をしたものは初めてだった。遊び紙は破かれ、背表紙も中身も破れてボロボロである。セロハンテープであちこち補修されているが、貼られた箇所は劣化して黄色く変色している。
どの本も、開けばカビのニオイがした。子どもたちに絵本を読み聞かせる余裕がないことがすぐにわかる。慢性的な人手不足という背景があるから、私のような派遣保育士が必要とされる。(14ページより)

どうしてあなたみたいな人が

「ところで、あなたは認可保育園で働いたこと、あるの?」

ふいに園長から尋ねられた大原氏は、「認可園での勤務は当然ありますが、保育士になってまだ数年なんです。社会人になってから国家試験を受けて保育士になったもので」と答える。前述したような事情があったからだが、このあと園長から返ってきた言葉には、読者も驚かされるだろう。

「そうだったの、国家試験の人は使えなくて困るのよ。何も実務知らないから……。どうしてあなたみたいな人を派遣したのかしら」
「そうでしたか。養成学校卒業の保育士さんを希望されていたのですね」(15〜16ページより)

共感の言葉を返しながらも、心では落胆していたという大原氏の気持ちは痛いほどにわかる。

“使える保育士”というのは、どういう保育士をいうのだろう。子どもたちが安心してすごせる保育園の土台は、人と人との信頼関係だ。職員同士が信頼し合い助け合って子どもたちの成長を支える。先入観で人を判断し、信頼できないと最初から決め込んでは、築けるはずの信頼関係も築けないのではないか。
「では、今から派遣元に連絡して、今日はこれで失礼させていただくことにします」
私がそう言うと、園長はさすがにまずいと感じたのか、
「そんなこと言わないで。せっかく来てくれたんだから」と言いおいて、事務室から出て行ってしまった。(16ページより)

派遣保育士の場合、派遣先でなにか問題があれば、派遣先に報告しなければならないようだ。つまり大原氏は逆ギレしたのではなく、するべきことをしたにすぎない。そのことは書き添えておくが、どうあれこれほど報われない話もない。

保育園のヒエラルキー

これだけでもわかるように、保育士として雇用されている職員の雇用形態はさまざま。「正規職員」のほかに、「非正規職員」である契約社員、パート、アルバイトがおり、さらには大原氏のような派遣会社からの派遣保育士もいるわけである。

パートや派遣などの非正規職員は、保育士の資格がなくても従事できる「保育補助」という仕事をすることが多いそうだ。ただし保育補助という仕事の内容は、園によってさまざまらしい。

「保育に関わることならなんでもさせることができる」のが「保育補助」だと私は思っている。クラス担任が時間的にできないこと、したくないことは全部「保育補助」に丸投げする。必然的に保育園の中には、正規職員である保育士が“上”、それ以外の非正規保育士が“下”というヒエラルキーが生まれる。(42ページより)

したがって、保育補助を行う保育士は従順でなければ勤まらないことになる。そんなこともあり、逆らうことはおろか、意見を述べることすらしない人も多いそうだ。

そういう意味でも、「保育業界で離職を考える人の大半は、人間関係に不満がある」という指摘には充分納得できる。逆にいえば、理不尽な仕事をさせられたとしても、相手が信頼できる上司であればなんとか勤まるということであり、大原氏もそれを実感しているという。

たとえ薄給であっても、人間関係が良好であれば続けられるわけで、これは保育士のみならず、世の中のすべての仕事にあてはまることだともいえそうだ。

ちなみに派遣期間が決まっている場合が多い派遣保育士には、人間関係がリセットしやすいというメリットもあるようだ。大原氏も「淡々とした人間関係を好む私のような人間にはうってつけ」だと述べているが、保育の仕事に携わりたいと思っている方にとって、これは有力な情報かもしれない。

保育士の日常

ところで保育士は、どのような日常を送っているのだろう? 大原氏は自身の平均的な1日を明かしているので、確認してみることにしよう。

朝5時半、日の出とともに目が覚める。今日も目覚まし時計より早く起きてしまった。加齢とともに年々朝の目覚めがよくなっている。
8時半に家を出るまでのあいだ、洗米・炊飯のセット、洗濯、風呂掃除、トイレ掃除、ゴミ集め、弁当づくり、朝食づくり、食器の片づけを淡々とこなしていく。8時に2人の子どもを学校に送り出すまでに、その日の家事の大半を片づけてしまう。シングルマザーでほかに頼る人がいないとなれば、全部自分でするしかない。(103ページより)

そののち出勤し、業務開始時刻の10分前に保育園に入り、9時半から仕事がスタート。集まってきて声をかけてくる子どもたちと他愛ない会話を交わしながら、園児たちの顔色や表情をチェックすることも重要な仕事だ。首筋にそっと手を当て、熱がないかどうか、傷や吹き出物がないかも確認する。

もし子どもの唇にヘルペスがあれば、感染する可能性があるので注意が必要。体調が悪そうな子がいれば、すぐ担任保育士に報告しなければならない。このように、子どもを安全に預かれるかどうかの判断は欠かせないものなのである。

続いてその日の活動の打ち合わせをし、お休みの子、体調の悪い子、早お迎えの子などの情報も共有。

あおぞら保育園では、10時に「朝の会」が始まる。園児を整列、着席させ、高森さんが出席をとりながら、1日の活動の流れ(お散歩に行く、園庭に出る、制作をするなど)を園児たちに説明していく。
「今日はこのあと、お庭に出ます。寒いので上着を着てください。あと、帽子も忘れないでね」
言い終わるや否や、園庭で早く遊びたい子はすでに立ち上がり、満腹さんからやんわりとたしなめられている。(104ページより)

午前の活動のあとは昼食で、食事が終わったら午睡。子どもたちを寝かしつけ、出勤時間の早い保育士から昼休憩へ。休憩が終わったころに午睡の時間も終わるので、子どもたちを起こしてまわり、起きた子から順番におむつを替えていく。それから、おやつの時間が終わると午後の自由時間。保育士はそばで見守るか、一緒に遊ぶか、時と場合によるそうだが、1日でいちばん心安らぐ時間だという。とはいえもちろん、なにが起こるかわからないのだから気は抜けない。

やがて夕方4時をすぎると早お迎えの子どもたちが降園し始める。ひとり、またひとりと保育園をあとにするのだが、保護者と園児が抱き合い、親子の絆を実感する幸せな光景が見られるのもこの時間である。迎えに来た保護者に抱き着く子どもたちを見ていると、保育園でどれほど笑顔ですごしていても、やっぱり親には勝てないな、と実感する。(106ページより)

この日の勤務は6時半までで、帰宅は7時半すぎ。

玄関を開け、身支度を整えながら、3分後にはキッチンに立っている。缶ビールを注ぎ、右手にグラス、左手にフライパン、やっと自分に戻れる時間である。午後8時ごろに娘2人と3人で食卓を囲む。(中略)
できあがった食事を口にしながら、娘たちとその日の出来事をしゃべったり、テレビに映った芸能人の話に花を咲かせたり……。
午後11時、布団に入ると同時に録画しておいた「キューピー3分クッキング」を観る。これが至福のルーティンである。番組内で料理ができあがるころには睡魔に勝てず寝落ちしている。(106〜107ページより)

正規であろうが非正規であろうが

保育士による子どもへの虐待に関する報道があとを絶たない。それらを目にすればつらい気持ちになってしまうし、子どもに手を上げるような保育士は当然責任を問われるべきだ。

しかし、そういった状況だからこそ、大原氏のように子どもに親身になって尽力している保育士(「正規職員」であろうが「非正規職員」であろうが)がいることにも目を向ける必要がある。私たちもそれぞれが、広い視野を持たなければならないのだ。

(印南 敦史 : 作家、書評家)