「僕ね、人間はどのくらいテレビを見ないで生きていけるかって人体実験をしてみたんですよ。2012年くらいのことですかね。そうしたらやっぱり人間って習慣があるから、最初は物足りなかったりするんですけど、ある時点から見ないことのほうが当たり前になっていくんですね。本当に見なくなっちゃって、今年90過ぎになるうちのじいちゃんのほうが芸能にもトレンドにも詳しいんですよ。90超えたおじいちゃんが!」

【写真】18歳のイケメンライダーだった半田健人、38歳で再びライダーポーズを披露!

 真面目な顔でいきなり話し始めた半田健人。ジュノン・スーパーボーイ・コンテストの出身で現在38歳。2003年、日曜朝のヒーロー番組『仮面ライダー555』主役に18歳で大抜擢され、昭和歌謡をはじめとしたマニアックな趣味がウケて『タモリ倶楽部』などバラエティ番組に引っ張りだこ。それが突然、テレビ地上波から姿を消してしまったのは2010年代前半のことだった。原因は所属事務所との契約解消がこじれたことで、写真週刊誌の直撃取材にさらされたりもした。しばらく表舞台から遠ざかっていた半田が突然、注目されたのは今年1月の初め。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』拡大版スペシャルで、鼻水の効能を表す劇中劇に登場した「鼻水マン」としてだった。鼻水の擬人化として体内に侵入しようとするウイルスや花粉と戦う姿は仮面ライダー時代と寸分たがわぬヒーローとして、そのあまりの熱演ぶりがバズり話題になった。

「あれはもう少し省エネでやることもできたけど、それじゃダメ。ダサいものは手を抜くと、もう見てられなくなるんです。もちろん、台本と演出に準じていますが、どのテンションでセリフを言うかは僕のフィールド。そこはやりすぎなぐらいやるしか方法はない。でも、そんな小難しいことじゃなく、単純に楽しくて“これ、面白いじゃん”と思ってやっていたんです」と説明する半田。

昭和クサさを求めた“鼻水マン”の芝居

「世間的に僕は何をやっても仮面ライダーとして見られる。歌でもバラエティでも、“555(ファイズ)の人ですよね”と。与えられしヒーローという人生を背負ってるんだとすれば、それを満喫してしまおうと、ある時から思ったわけです」

 ただし、そこには自分の中でのヒーロー像を見つけ出さなければいけないと言う。

「僕は昭和が好き。昭和のわかりやすいヒーローの喋り方、発声法、仕草であったりが平成に入ってから駆逐されていき、まるでコントのようになっている。昭和のクサい世界っていうのを自分の表現の1つとして、“これやらせたら半田うまいんだよ”っていうものを身につけたい。そういう思いがたぶんあの鼻水マンの芝居に出たんだと思います。2枚目じゃない昭和クサい世界を期待されているなら、とことんやらなきゃダメでしょう、と思ったら“やりすぎです。そこまでやっていただかなくても”って逆に言われちゃって。まあ、半日くらいの撮影だったんですけど(笑)」

 それにしてもお茶の間から姿を消してどうしていたのだろうか?

「世間で半田健人見ないよね、消えたよねってなったのはいつぐらいのことなんでしょうか? 主観ではわかりえないというか、僕としては時計は止まってないわけですよ。事務所を辞めるということになったのはざっくり2011年くらいとしましょうか。それでも関西テレビの『よ〜いドン!』はそのあとも出演していましたし、SBSラジオの『林哲司&半田健人の昭和音楽堂』は今も続いていて15、6年になります」

 ただ、テレビの露出が一気に減ったのは事実だ。フリーであることに加えて当時は訴訟中という状況。

「やっぱり事務所移籍報道みたいなのがあると、みなさん“巻き込まれたくない”と思うのか、どこに行ってもそう。よく“干された”って表現を使うけど、例えば芸能界のドン”みたいな人がいたとして“あいつはこういう不義理をしたから使わないように”みたいなことをテレビ局やメディアに伝えるなんていうケースとはぜんぜん違って、単純に僕がフリーになったから、どこにも所属してないタレントは使いにくいという状況だったんだと思います」

売れた、成功した人間が幸せとは限らない

 かくして、週12〜13本あったレギュラーの仕事が急になくなり、一気に環境が変わったが、幸いにして生活に困ることはなかった。

「ラジオの仕事も続いているし、関西テレビも事実上フリーになっても個人契約を交わしてくれました。手を差し伸べてくれる人はいたんですけど、露出のペースはかなり落ちました。これは負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、売れてる人間、成功してる人間が幸せと思われてますけど、僕はいまはそう思ってなくて。人生単位での成功、芸能人としての成功はテレビに出ることかもしれないけれども、人生として振り返った時に自由と時間、この2つを手に入れたのは狙ってできることではなかった」

 忙しすぎる時間の中では気付けなかったことがあったと話す。

「やっぱり殺伐とするんですね。そんなつもりはなくても、今思えば一個一個の仕事が散漫になっていました。朝から晩まで1日3本、別の番組に出演。それが毎日続くと、仕事をいただいてるっていう感覚がなくなっていく。乱暴な言い方をすると“休みくれよ。また、仕事入れやがって”ですよ。スタジオでディレクターさん、プロデューサーさんが“よろしくお願いします”って来てくれても、“よろしくお願いします”とは言いますけど、内心としては“もうしんどい”のほうが先に立っちゃってるっていう状況が正直ありました。

 ところが今は“1本1本丁寧にやらせていただきたい”。そういう心情に自然となれますし、『チコちゃん〜』なんかも“やるんだったら徹底的にやります。こんなんどうですか”なんて提案して。こういう姿勢も、時間的な余裕がもたらしてくれたんだなと思ってます」

 半田には忘れられないうれしいオファーをもらったことがある。読売テレビの開局60周年記念のドラマ作品『約束のステージ〜時を架けるふたりの歌』、2018年のドラマだ。

ジュノンボーイコンテストでついた“ウソ”

「土屋太鳳さんと百田夏菜子さんが主演。太鳳ちゃんが40年前の世界にタイムスリップして『全日本歌謡選手権』に出るんですけど、コンビを組む女の子が百田ちゃんで実は自分のお母さんだったっていう話なんです。僕はその全日本歌謡選手権の司会役で、モデルになった全日本歌謡音楽祭はスリーファンキーズの長沢純さんが司会をされてたんです。佐々部清監督(故人)が“キャスティングをぼんやり考えたときに、半田くんの役は一番最初に決まった”って言ってくださって。“半田くん、僕より詳しいよね”って」

 実際、現場では役の衣装や髪形などの演出も任されて、絶大な信頼をもらっていると感じたという。

「たぶん、日ごろの昭和研究みたいなところが生きた瞬間ですよね。役ははっきり言って端役ですけど、自分にしかできない役をいただいたという体感があったんです。鼻水マンにしても、2枚目じゃない昭和くさいヒーローを期待していただけたんじゃないかと思います」

 前事務所との訴訟も無事に解決したと話す。順風満帆ではない人生を歩んだからこそ、真摯な姿勢でやりたい仕事に向き合えている。やりたかった音楽活動も続けている。

「ジュノンボーイを受けたときに俳優をやりたいって言ったんですけど、実は大嘘だったんです。当時はジュノンで音楽をやりたいって言ったら、僕の苦手なダンス系とかアイドル系になっちゃうのかなって思って、“僕、歌はダメなんです”って答えてたんです。でも、最終選考会では野口五郎さんの『私鉄沿線』を歌ったんですけど(笑)」

 尊敬する野口には「僕のこと、詳しすぎて気持ち悪い」と言われる仲。また、ジュノンボーイの先輩でもある俳優・村上幸平と2人で定期的なライブを行っている。『仮面ライダー555』も今年で20周年を迎え、YouTubeでの全話無料配信が発表された。半田自身の今後の展開にも期待!