ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めて1年がたった。なぜこの争いは長期化しているのか。慶応義塾大学の鶴岡路人准教授は「当初、ゼレンスキー大統領は停戦を求めていたが、ロシア軍が占領地でウクライナ市民を虐殺していることがわかった。このためウクライナは自国からロシア軍を追い出すまで戦わざるを得なくなった」という――。

※本稿は、鶴岡路人『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)の第一章『ウクライナ侵攻の衝撃』の一部を再編集したものです。

写真=EPA/時事通信フォト
ウクライナのキーウで、フィンランド首相との会談後、共同記者会見するウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領=2023年3月10日 - 写真=EPA/時事通信フォト

■プーチンの思い通りにならなかったウクライナ侵攻

2022年2月24日にはじまるロシアによるウクライナへの全面侵攻は、世界に巨大な衝撃をもたらした。この戦争をいかに捉えたらよいのか。筆者自身、悩みながら情勢を追っていたら、あっという間に1年が経ってしまった。

『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)では、これまでの展開を踏まえ、この戦争の本質に迫ろうとした。1年間の中間報告である。

端的にいえば、この戦争は「プーチン(Vladimir Putin)の戦争」ないし「ロシアの戦争」としてはじまった。しかし、当初のロシアの計画どおりには進まなかったために、戦争の性格が次第に変化した。

■ロシアによる誤算の始まり

2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始以降、軍事作戦に関しては明確な段階分けが存在する。ロシアは当初、首都キーウを標的にし、ゼレンスキー政権の転覆を目指していた。数日で首都を陥落させられると考えていたようだ。

侵略開始からほぼ1カ月の3月25日になり、ロシア軍は、第1段階の目標が概ね達成されたとして、第2段階では東部ドンバス地方での作戦に注力すると表明した。

キーウ陥落の失敗を認めたわけではないが、実際には方針転換の言い訳だったのだろう。その後、ウクライナ東部さらには南部での戦闘が激しさを増している。そうしたなかで強く印象付けられるのは、ウクライナによる激しい抵抗である。

ロシアがウクライナの抵抗を過小評価していたことは明らかだ。加えて、米国を含むNATO諸国も、ウクライナのここまでの抵抗を予測できていなかった。

ロシアの侵略意図については正確な分析をおこなっていた米英の情報機関も、ロシア軍の苦戦とウクライナの抵抗については、評価を誤ったのである。

以下では、こうしたウクライナ戦争の推移のなかでみえてきた大きな転換点として、ウクライナにとって停戦の意味が失われてきていることについて考えたい。

■降伏したところで命の保証はない

命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。

つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているようにみえることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。

さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。

ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。

ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとでおこなわれるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである。

写真=iStock.com/Andrei310
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andrei310

■占領後に起きていた虐殺

首都キーウ近郊のブチャやボロディアンカにおける市民の虐殺は、ロシア軍による占領の代償の大きさを示していた。ロシア軍による占領にいたる戦闘で犠牲になった人もいるが、占領開始後に虐殺された数の方が多いといわれる。

抵抗せずに降伏しても、命は守ることができなかった可能性が高い。

他方で、ブチャの隣町のイルピンは抵抗を続け、一部が占領されるにとどまり、結果として人口比の犠牲者数はブチャよりも大幅に少なくすんだようである。

地理的には隣接していても、運命は大きく分かれた。ロシア軍による市民の大量殺戮を含む残虐行為は、占領下では繰り返されるのだろうし、占領が続く限り実情が外部に伝わる手段も限られる。

ブチャの状況が明らかになったのもロシア軍が撤退した後である。こうした残虐行為に関しては、軍における規律の乱れや、現場の一部兵士による問題行動だとの見方もあるが、組織的におこなわれていたことを示す証言が増えている。

加えて、ブチャ以外にも似たような大量殺戮の事例が明らかになっており、ロシア当局による組織的行為であると考えざるを得ない。

■「ウクライナ人の存在自体を消そうとしている」

組織的だったか否かは、戦争犯罪の捜査、さらにはこれが集団殺戮(ジェノサイド)に該当するか否かを判断する際に重要になる。そのため、証拠集めには慎重を期す必要がある。

ジェノサイド条約は、人種や国籍、宗教などを理由に特定集団を組織的に破壊することを、ジェノサイドの構成要件にしている。

バイデン米大統領は、「ウクライナ人の存在自体を消そうとしている」として、ジェノサイドであると明言した。

国際法上ジェノサイドだと認定可能か否かにかかわらず、ウクライナ東部を含め、ロシアの支配下にある地域で、ブチャと似たようなことが起きていると考えなければならない。これから占領される場所でも同様であろう。

実際、東部の港湾都市であるマリウポリでは、すでに万単位で市民の犠牲者が出ていると伝えられている。

■停戦で平和は訪れない

こうした現実が明らかになってしまった以上、ウクライナにとっての平和は、ロシア軍が国内から完全に撤退したときにしか実現しないことになる。

これは、今回の戦争における構図の大きな変化である。そして、ロシアに占領されている場所がある限り平和があり得ないとすれば、停戦の意味が失われる。

停戦とは、その時点での占領地域の、少なくとも一時的な固定化であり、ブチャのようなことが起こり続けるということになりかねない。これを受け入れる用意のあるウクライナ人は多くないだろう。

結局のところ、停戦のみで平和はやって来ないのである。

従来は、ウクライナ政府も停戦協議を重視してきた。侵略開始から数日ですでに停戦を呼びかけたのはゼレンスキー大統領である。しかし、ブチャの惨状が明らかになるなかで、停戦自体を目的視することができなくなった。

あくまでも、平和につながる限りにおいて停戦を追求するという姿勢への転換である。

■戦闘が長期化することは必至

そして実際、3月末のイスタンブールでの停戦協議では実質的な前進が伝えられたものの、直後にブチャの惨状が明らかになり、交渉機運は急速に萎(しぼ)むことになった。その後も停戦協議はオンラインで断続的におこなわれたようだが、ほとんど表に出てこなくなった。

鶴岡路人『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

ロシア側もその後は特に東部における支配地域拡大に重点を移すことになった。

それではウクライナは自らの力でロシア軍を追い出すことができるのか。

これが最大の問題である。ゼレンスキー大統領は、2022年4月23日の会見で、ロシア軍が「入り込むところすべて、彼らが占領するものすべて、私たちはすべて取り戻す」と強調した。停戦よりも、ロシア軍を追い出すことが先決なのである。

戦争による犠牲が日々積み重なっていくことを考えれば、早期終戦が望ましいこと自体は変わらない。

しかし、軍事的にウクライナが勝利する早期決着は現実には想定し得ない。そうだとすれば、ウクライナには、抵抗を続け、少しでもロシア軍の占領地域を縮小していくほかなく、NATO諸国を中心とする国際社会は、武器の供与などを通じてそれを支えていくということになる。停戦を唱えるのみでは平和は実現しないのである。

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鶴岡 路人(つるおか・みちひと)
慶應義塾大学総合政策学部准教授
1975年東京都生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障。慶應義塾大学法学部卒業後、米ジョージタウン大学を経て英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員、防衛省防衛研究所主任研究官、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)など。
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(慶應義塾大学総合政策学部准教授 鶴岡 路人)