なぜマスコミは「マスゴミ」と揶揄されるのか。フリージャーナリストの宮原健太さんは「このところ共同通信記者をめぐって2つの炎上騒動があった。どちらのケースも記者や会社が説明責任を果たしていないという共通点がある。これではマスコミ不信はなくならない」という――。

■共同通信記者による2つの炎上事件

共同通信記者による炎上騒動が相次いでいる。

1つはJAXA会見で放たれた記者の発言をめぐる問題だ。2月17日に打ち上げられる予定だったJAXAの新型ロケット「H3」がトラブルによって発射されず、その後開かれた会見で起きたやりとりに批判が集まった。

JAXA側がロケット発射について「中止」と説明したことに対し、共同通信の記者が「失敗ではないか」と問いただした。重ねて「中止」と説明するJAXA側に対し、「それは一般に失敗といいます」と言い放ったことが「敬意のかけらもない態度」だとして、ネット上で多数の批判を集めることになったのだ。

写真=時事通信フォト
中止された新型ロケット「H3」試験機1号機の打ち上げ=2023年2月17日午前、鹿児島・種子島宇宙センター - 写真=時事通信フォト

もう1つはツイッターの匿名アカウントで過激な投稿を繰り返していた「桜ういろう」の問題だ。フォロワーは1.6万人超えで、現在は削除されているが、「ネトウヨは知識が足りない」などと保守系ユーザーを煽っていた。

とりわけ昨年7月には、在日ウクライナ人の政治評論家ナザレンコ・アンドリー氏の<人類史上、最も人を殺したカルトは「共産主義」という>という投稿に、次のようにリプライを送り、炎上した。

<日本人は満州や朝鮮で、ソ連人に強姦され虐殺されました。日本人にとってナザレンコ・アンドリーさんの祖国ウクライナもまた加害者なんですよ>
<お金が欲しいのは仕方ないかもしれませんが、どうかインチキ宗教のお金目当てで日本人を扇動するのはやめてください>

この「桜ういろう」について、今年2月、週刊ポストの取材で、共同通信の記者の匿名アカウントであることが発覚し、大騒ぎになった。

■「中止」か「失敗」か確認するのは当たり前

こうした騒動に対して、ネット上では記者の態度や資質を疑問視する声が次々と上がっている。しかし私はこの2つの件を記者個人の問題に矮小化してはいけないと考えている。

会見の生配信など、取材現場の可視化が進んでいる。オープンになったことによって、記者個人が名指しで批判されるようになった。そんな時代だからこそ、炎上騒動を起こしたマスメディアは説明責任を果たし、不信を払拭する役割が求められている。そうしなければ会社で働く記者を守ることすらできないだろう。

何を隠そう、私自身、新聞記者時代に炎上した経験がある。当事者だった身として今回の件について考えていきたい。

まず、JAXA会見について記者の立場に立って考えてみたい。

記者は会見でロケットが発射されなかったことについて、「中止」か「失敗」かを何度も確認しているが、これは必要な取材と言えるだろう。今回の事案を中止と捉えるか失敗と捉えるかで、ロケットをめぐる記事の見出しが大きく変わる可能性があるからだ。

例えば、翌日の読売新聞は「H3打ち上げ直前中止」という見出しを取っているが、もし会見での説明が「失敗」だった場合は、見出しも「H3打ち上げ失敗」と大きく変わることとなる。こうした認識について聞くのは、記者の仕事としては当たり前とも言えるだろう。

■発表側は物事を軽く見せようとすることがある

さらに、JAXA側が「中止」と説明したとしても、それに「失敗ではないか」と疑問を投げかけることは決して悪いことではない。会見では発表側が、より穏当な表現を使って物事を軽く見せようとすることはままあるからだ。

政治家が政治とカネの問題をめぐって「記憶にない」などと説明しているのに対し、記者が事実関係を並べて「そんなわけがない」と糾弾することは想像に難くないだろう。

今回の会見での記者の指摘は「意図しない異常による中断は失敗と言うのではないか」というものだった。JAXA側はロケットが発射しなかった原因は、異常を検知して補助ブースターへ着火信号が送出されなかったからとしているが、会見時、その異常が何であるかは不明だった。

一方でJAXA側は「安全に止まる設計の範囲の中で止まっているので失敗とは言い難い」と主張している。なお、会見を見れば分かるが、ここでは中止や失敗について何か定義があるわけではないため、議論は平行線で終わっている。

■説明責任を果たさない態度が火に油を注いでいる

このように説明すれば会見での記者の質問は著しく不適切な点があったわけではない。

最後に記者が「それは一般に失敗といいます」と言い放ったことが問題になったわけだが、批判されたポイントは2つある。1つは、自身の考えを勝手に一般化してしまったこと。もう1つは、「捨て台詞」と形容されても仕方がない、その態度だ。

この問題は、本来、会見で質問した意図や、なぜ記者が「一般に失敗」と考えたのかを会社が説明し、記者の態度に不適切な点があったならば謝罪すれば済む話である。

しかし、私が共同通信社にこの件についての見解を問うたところ、「お答えを控えさせて頂く」という返事があっただけだった。今月、2度目の打ち上げが行われたが、今日に至るまで公式見解も出ていない。

こうした対応に、今のマスコミが炎上を過熱させ、「マスゴミ」と揶揄されてしまう根本的な問題があると言えるだろう。

■「逃げないで下さい! 総理!」で炎上した

ここで私が経験した炎上騒動について触れていきたい。

私が毎日新聞政治部に在籍していた2020年8月4日のことだ。当時、政府は、新型コロナウイルスの感染者が増加している一方でGoToキャンペーンを進めようとしていた。こうした状況に対し、野党は憲法にのっとって臨時国会の開会要求をしていたが、政権は国会を一向に開こうとしなかった。こうした姿勢に疑問を感じ、首相官邸で開かれた安倍晋三首相へのぶら下がり取材で「記者会見や臨時国会を開き、説明するべきではないか」などと問いただした。

これに対し、首相が「(国会開会は)与党とよく相談して対応する」と曖昧な答えに終始して去ろうとしたため、「逃げないで下さい! 総理!」と去り行く背中に投げかけた。

このことについて「失礼だ」「印象操作しようとしている」などと批判が起きた。8月8日の産経新聞朝刊に掲載された1面コラム「産経抄」は私の質問を「性悪」「底が浅すぎて、下心が丸見え」と糾弾した。

写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

■質問の意図について対外的に発信し続けた

当時からYouTubeやツイッターなどを活用し、記者個人としても実名で発信していた私は、「総理には政府の方針をしっかりと責任をもって説明してもらいたい」と質問の意図について対外的に説明をし続けた。

また、炎上した私の質問については毎日新聞でも取り上げられた。ここでは、「総理に質問して、答えを引き出すことができるのは記者しかいない。私たち記者は総理への声かけ、再質問を積極的にやっていく必要がある」という私の見解も掲載された (「安倍首相は誰に向けて語っていたのだろうか わずか16分間の会見を考える」)。

それでも私の質問に対して「高圧的だ」などと批判をする人はいたが、一方で私の姿勢に対して「記者のあるべき姿だ」などと支持する声も少なくなかった。

私が自身の炎上騒動を通して実感したのは、自らの言動について説明責任を果たすことの大切さだ。ネット上には私の人格を否定するようなまとめ記事も出回ったが、繰り返し自分の考えや立場について発信する中で、応援の声も多く頂いた。

そうした様子が目に留まったのか、TBSのワイドショー「サンデージャポン」からも声がかかり、VTR出演で質問の意図について説明する機会もつくることができた。

■「情報発信はマスコミだけ」の時代は終わった

逆に炎上したときの最悪の対応は、黙ってやりすごそうとすることだ。

ひと昔前であれば、マスメディアは情報の発信源を一手に担っていた。何か批判が起きたとしても、黙っていれば沈静化させることはできたかもしれない。

しかし、今は誰もが個人的に発信をする一億総発信社会だ。黙っていても炎上は止まることはなく、そのままネット上で袋叩きに遭ってしまうだろう。説明しない態度の傲慢さが火に油を注ぐ可能性さえある。

情報はマスが一方向で届ける時代から、双方向の時代となって久しい。

マスメディアは自らに向けられた批判に正面から向き合い、適切だと思うのならば反論し、不適切だったならば謝罪しなければならないのだ。

そのように考えると、「桜ういろう」の炎上騒動は、マスメディアが説明責任を果たすという、あるべき姿の対極にあると言わざるを得ない。あえて匿名で発言している時点で、そもそも、説明責任を果たそうという意思はない、と見るべきだろう。

炎上するのが問題なのではない

裏を返せば、自分の考えをきちんと主張し、反論することができるのであれば、炎上したとしてもそこまで大きな問題ではない。

記者は時には会見などで厳しい質問を投げかける場面もある。それに対して批判が集まったとしても、その質問について会社や記者自身がきちんと説明することができるのであれば、過度に恐れる必要はないのだ。

私は今回の共同通信社のように、会社がきちんと説明責任を果たすことをせず、批判を避けるようにした結果、取材において記者の委縮が起きてしまわないかを心配している。炎上を恐れて会見で厳しい質問をすることができなくなっては、記者の存在意義はなくなってしまうだろう。

マスメディアは批判や炎上を恐れて安全運転に徹しようとするのではなく、それらに向き合って自らの取材活動についてきちんと説明できる、信頼できる存在へと生まれ変わることが求められているのだ。

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宮原 健太(みやはら・けんた)
ジャーナリスト
1992年生まれ。2015年に東京大学を卒業し、毎日新聞社に入社。宮崎、福岡で事件記者をした後、政治部で首相官邸や国会、外務省などを取材。自民党の安倍晋三首相や立憲民主党の枝野幸男代表の番記者などを務めた。2023年に独立してフリーで活動。YouTubeチャンネル「記者YouTuber宮原健太」でニュースに関する動画を配信しているほか、「記者VTuberブンヤ新太」ではバーチャルYouTuberとしても活動している。取材過程に参加してもらうオンラインサロンのような新しい報道を実践している。
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(ジャーナリスト 宮原 健太)