東京に行って、誰もがうらやむ幸せを手に入れる。

双子の姉・倉本桜は、そんな小さな野望を抱いて大学進学とともに東京に出てきたが、うまくいかない東京生活に疲れ切ってしまい…。

対して双子の妹・倉本葵は、生まれてからずっと静岡県浜松市暮らし。でもなんだか最近、地方の生活がとても窮屈に感じてしまうのだ。

そんなふたりは、お互いに人生をリセットするために「交換生活」を始めることに。

暮らしを変えるとどんな景色が見えるのだろう?

29歳の桜と葵が、選ぶ人生の道とは――。

◆これまでのあらすじ

地方デートにげんなりする姉・桜とは違い、双子の妹・葵は、中目黒に住み東京での新生活を満喫していた。姉から勧められたマッチングアプリで東京の男・リュウに出会い、徐々に自分が知らなかった世界に触れていく。

▶前回:東京で“高級店デート”三昧の女が、地元でドライブデート。連れて行かれた地方特有の場所に唖然




Episode06:倉本葵@東京。東京を味わい尽くす。


「……葵ちゃん、どんなのが好き?」

隣にいる男が私に聞く。

彼の名前は、岸部勝彦。よく晴れた土曜日の14時、ロエベ表参道店。

優しそうな女性の店員が、少し離れたところで私を見つめている。

「えっと…」

私はこの状況が、自分の身に起こっていることだとは思えず、口ごもった。

リアルなのに全然リアルじゃなくて、目の前の岸部と店員の会話も、どこか遠くから聞こえる。

それは、夢を見ているのと似ていた。

たった2回食事をしただけで、ハイブランドのバッグを買ってもらえるなんて、東京ではよくあることなのだろうか。それとも、本当に夢なのだろうか。

「こちら、いかがですか?」

店員が見せてくれる、いくつかのバッグ。

人気だというハンモックバッグやパズルバッグの他に、新作のトートバッグまでもが次々と目の前に広げられていく。

それらを手にして鏡の前に立ったとき、私は体験したことのない高揚感に包まれた。


岸部との出会いは、先日会ったリュウと同様のマッチングアプリだった。

リュウの肩書が経営者だったので、私は今回も経営者に絞って、デート相手を探した。

東京にいられる時間は、限られている。

生意気な考えなのは承知だが、サラリーマンなら浜松にもいるから、ここでは普段出会うことのない世界の人と会ってみたいのだ。

それに、懐に余裕がある男性は振る舞いが違うことを知った。

凍ったタンでお腹を満たす元夫とは、人間とミジンコくらいの差がある。

“女の子にはご馳走して当たり前”そんな東京の上位にいる男のスタンダードが、くすぐったくもあり、心地よかったのだ。




― 私、東京が好き…かも。

すぐ地元に帰りたくなるかもと思ったが、そんな杞憂は無駄だった。

アプリにも都会にも、すぐ慣れた。

今では、アプリでやり取りする最初のメッセージがオリジナルの文章か、コピペなのかも判断できるくらいだ。

明らかにコピペの挨拶文を送ってくる男は、無視。名前を間違える人は、論外。

妙になれなれしい人や、すぐにLINEに移行しようとする人も排除した。

そんなふうに、経営者の中でもふるいをかけているなか、残ったのが「岸部勝彦」という昭和レトロな名前の男性だった。

名前どおり、昭和生まれ。しかも51歳。

浜松にいたら、こんなオジさんとふたりで食事に行こうなんて思いもしない。

でも、ここが東京で、岸部が経営者で、年収が1億円以上ならばあり得る。

― この人、なんか良いなぁ…。

そう思ったのは、メッセージのやりとりを始めてすぐのことだった。

私のプロフィールをちゃんと読んでくれていること、丁寧な文章、返信が遅くなく、早すぎることもないのもいい。

だから、私はマッチしてすぐに岸部と会うことにした。




指定されたのは、西麻布。これといった最寄り駅がなく、電車で行くには不便な場所だ。

六本木から歩かずにタクシーに乗ったのは、我ながら進歩したと思う。

「こんばんは!岸部です。今日は来てくれて、ありがとうね〜!」
「葵です。こちらこそ、お誘いありがとうございます」

岸部が連れて来てくれたのは、『カサハラ』。

看板がなかったので、いわゆる隠れ家レストランなのだろうか。

「初回だから、面白くてカジュアルな店がいいかなぁと思って」

岸部や、東京の人にとって、これはカジュアルの部類に入るのだろうか。

レストランなのに、なぜかバスタブやベッドがあるので、ついキョロキョロと周りを見てしまう。

「ここにはメニューがないんだ。食材の中から食べたいものがあったらリクエストしてね」

ソファ席に腰を下ろしながら、岸部が言う。

「そうなんですね!すごい…」

― ここは“お任せします”と言うべき?それとも食べたいものを言ったほうがいいの?わからない!どうしよう?

私がオドオドしていると、岸部は好き嫌いとお腹の空き具合を聞き、サッとオーダーしてくれた。

それが、あまりにもスマートで感心してしまう。


「もしかして…葵ちゃんって、普段あんまり家から出ない?」

前菜を食べながら、岸部が私に聞いた。

「いえ。あの…実は、先月東京に来たばかりなんです。やっぱり、そういうのってわかりますよね」
「あ〜なるほどね。いやぁ、なんだか29歳にしては反応が新鮮で、可愛いなって」

そう言ってくれたので、ホッとする。

岸部はお酒が強く、私もペースを合わせて同じドリンクを飲んでいたらすぐに酔ってきてしまった。

あまり覚えていないのだけれど、自分のことも色々喋ったみたいだ。つい最近、離婚したことまで…。

「葵ちゃん、気に入ったよ!またすぐ会おう」

岸部はそう言うと、私に2万円を握らせてタクシーに乗せてくれた。




岸部との2回目のデートは、昼間からだった。

「昭和生まれだから、新しいお店知らなくてさ」

表参道にあるAo〈アオ〉のエレベーターを上がりながら、岸部は言ったが、私は、古いも新しいもわからない。

エスコートされるまま入店した『TWO ROOMS GRILL | BAR』は、モダンで洗練されていて、まるで外国にいるようだった。

勧められるがままモヒートを注文し、岸部が好きだという大きめのフライドポテトをつまんだ。

― 51歳には見えないんだよな…。

岸部の端正な顔立ちを見ながら思う。

彼と、付き合いたいわけじゃない。でも、話にユーモアと奥行きがあって、気が使えて、レディーファーストだから一緒にいて楽しい。

しかも、彼はどこへ行っても常連客として扱われ、一目置かれる存在なのだ。だから、自然と私も一流扱いをしてもらえる。

こんなの、誰だって悪い気はしないだろう。

「双子の姉は、東京で高級なお店にばかり行っているんですけど、私はそんなことは経験せずに、大人になっちゃいました」
「ふーん。そっかぁ」

私は、今は期間限定で浜松にいる桜のことを話した。

桜にとって、これが日常だったのかと思うと、やっぱりうらやましく、自分の人生を後悔しそうになる。




「そのモヒート飲んだら、出ようか。ちょっと買い物付き合ってくれる?」
「あ、はい。わかりました」

岸部が笑顔のまま手を上げて、会計を済ませる。

滞在時間が30分程度だったので、私はちょっと焦った。

― なんだろう…怒らせちゃったかな。

そう思いながら、岸部について行くと、表参道のとあるショップに入っていった。

「ロエベ…」

見覚えのあるロゴ。ブランドに疎い私でも、かろうじて知っている。

「岸部様、申し訳ございません!ちょうど休憩に入っておりました」

店の奥から、女性の店員が慌てて出てきた。

「全然!連絡もなしに来ちゃったから。ごめんね、急がせて」

岸部と店員の会話を聞きながら、私はなんとか平静を保ち、こなれた女のフリをする。




「今日は何かお探しでしょうか」
「んーとね。この子に似合うバッグを。葵ちゃん、どんなのが好き?」
「えっ?私に?」

私は、自分でもビックリするくらいの声で言った。

てっきり、岸部のものを買いに来たと思ったからだ。

「こちら、いかがですか?」
「お客様のイメージですと、ハンモックよりパズルでしょうか?」

店員が持ってきたバッグは、地方に住んでいた私でもInstagramや雑誌で見たことがあるものだった。

そもそも地元の浜松では、ロエベを持っている人などめったに見かけないが。

というか、売っていない。浜松どころか静岡市にも。

「うん!似合ってる。これなら服も選ばないね」
「はい…すごく可愛いです!」

表参道は、コロナ前に東京に遊びに来た時、桜と来たことがある。

その時は表参道ヒルズで化粧品とチョコレートを買い、ザラホームでアロマディフューザーを買った。

桜に「もっと見なくていいの?」と言われたが、私にはそれが精いっぱいだった。

ハイブランドを買える身分でもなかったし、浜松に帰ったら使い道はない。

そのとき彼女が手にしていたバッグが、ロエベのハンモックだということも、今気づいた。

「じゃあ、これにしようか」

明るいキャメル色のパズルという名のバッグを、指差して岸部は言った。

「本当にいいんですか?2回しか会ってないのに、こんな高いもの…」
「うん。僕がプレゼントしたいから、させて。その代わり、今度会う時それで来てね」
「もちろんです!!ありがとうございます」

手にしたことのない、大きすぎる紙袋。経験したことのない感情。

でも、手にしてしまえば、すんなりと受け入れてしまう。

浜松にいたら経験できなかったこと、味わえなかったもの、持てなかったもの。

私に足りなかったピースが集まっていく、まさにパズルのような感覚だ。

タクシーのモニターに流れるCMをぼんやりと見つめながら、この東京でしか体感できない刺激の余韻に浸っていた。

▶前回:東京で“高級店デート”三昧の女が、地元でドライブデート。連れて行かれた地方特有の場所に唖然

▶1話目はこちら:婚活に疲れ果てた29歳女。年上経営者からもらうエルメスと引き換えに失った、上京当時の夢

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桜のストーリー:浜松にいる桜は、元カレの優馬と2回目のデートへ