超伝導は特定の金属や化合物を極端に冷却した際に電気抵抗がゼロになるという現象であり、室温程度で物質が超伝導となる「室温超伝導」は、リニアモーターカーや量子コンピューターなどさまざまな新技術への応用が期待される夢の技術です。そんな室温超伝導に関する画期的な論文が科学誌のNatureに掲載されましたが、論文を執筆したロチェスター大学のランガ・ディアス氏らの研究チームは過去に研究不正疑惑をかけられており、今回の研究についても研究者からは慎重な声が上がっています。

Evidence of near-ambient superconductivity in a N-doped lutetium hydride | Nature

https://www.nature.com/articles/s41586-023-05742-0



Room-Temperature Superconductor Discovery Meets With Resistance | Quanta Magazine

https://www.quantamagazine.org/room-temperature-superconductor-discovery-meets-with-resistance-20230308/

New Room-Temperature Superconductor Discovered by Scientists - The New York Times

https://www.nytimes.com/2023/03/08/science/room-temperature-superconductor-ranga-dias.html

Room-temperature superconductor works at lower pressures | Ars Technica

https://arstechnica.com/science/2023/03/room-temperature-superconductor-works-at-lower-pressures/

A controversial superconductor may be a game changer - if the claim is true

https://www.sciencenews.org/article/superconductor-room-temperature-scrutiny

通常、物体を流れる電流は電気抵抗によって一部が熱エネルギーとして失われてしまいますが、物質が超伝導状態になると電気抵抗がゼロになります。超伝導物質はさまざまな技術に応用できると期待されていますが、物質を冷却するために高価な液体ヘリウムが必要となるため、記事作成時点での実用化例は磁気測定装置(SQUID)や医療用核磁気共鳴画像撮影(MRI)装置など一部の分野に限られています。

超伝導が超低温環境だけでなく室温環境で実現できれば、浮遊する車やリニアモーターカー、省エネルギーかつ超高速のコンピューター、安全な体内埋め込みデバイス、量子コンピューターなどに応用可能であるため、研究者らは長年にわたり室温超伝導の可能性について研究してきました。2020年、ディアス氏らの研究チームは水素と炭素、硫黄を合成した「Carbonaceous sulphur hydride(炭素質水素化硫黄)」に高圧力をかけることで、室温超伝導を実現したと報告しました。

100年以上も低温下の現象とされた「超伝導」を室温で発生させることに成功 - GIGAZINE



By Argonne National Laboratory

しかし2020年の論文は、化合物が超伝導体となったことの証明に用いられた磁化率という指標の測定に疑念が呈されたほか、再現性にも疑いの目が向けられました。この論文を掲載したNatureは最終的に、9人いる著者全員の反対を押し切って論文を撤回しました。

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2023年3月、ディアス氏らの研究チームが執筆した新たな室温超伝導についての論文が、再びNatureに掲載されました。3月8日にはアメリカのラスベガスで開催されたアメリカ物理学会でディアス氏が講演を行い、警備員が入場制限を行うほどの集めたとのこと。

ディアス氏らが新たに発表した論文では、水素・窒素・ルテチウムからなる「nitrogen-doped lutetium hydride(窒素ドープ化ルテチウム水素化合物)」を使用し、室温超伝導を実現したと報告されています。研究チームは水素化合物を作るため、希土類元素であるルテチウムの薄膜に99%の水素と1%の窒素からなる混合ガスを送りながら、ダイヤモンドアンビルセルという加圧装置で高圧力を加え、セ氏200度で数日間焼き付けたとのこと。

こうして作られた水素化合物に、大気圧の約1万倍に相当する1ギガパスカル(1万バール)を加えることで、セ氏21度の室温環境で超伝導状態を実現できたと研究チームは主張しています。今回作られた水素化合物は、2020年の論文で報告された化合物よりもはるかに低い圧力で室温超伝導状態となります。ディアス氏は3月8日の講演で、「これは、実用的なアプリケーションに役立つ新しいタイプの材料の始まりです」と述べたそうです。

なお、今回作られた水素化合物は加える圧力によって色が鮮やかに変化することも特徴だそうで、研究チームによると300メガパスカル(3000バール)まで加圧すると青色からピンク色となり、さらに3.2ギガパスカル(3万2000バール)まで過圧すると明るい赤色になるとのこと。水素化合物の色の変化を撮影した動画は、以下で見ることができます。

A new material changes color as it becomes a superconductor | Science News - YouTube

それほど圧力が高くない状態では、物質は青色の外観をしています。



ところが、圧力が3000バールに上昇するとピンク色に変化します。



3万2000バールを超えると鮮やかな赤色となりました。



今回の研究結果は室温超伝導の実現に向けた画期的なブレイクスルーですが、ディアス氏らの過去の論文が撤回されたことを問題視する研究者からは、今回の研究に対して疑念の声が上がっています。カーネギー研究所の材料科学者であるティモシー・ストロベル氏は、「私は慎重に楽観視しています。論文のデータは素晴らしいものに見えます」「ディアス氏は本当に世界最高の高圧物理学者で、ノーベル賞にふさわしいのかもしれません。あるいは、何か他のことが起こっているのかもしれません」とコメントしています。

フロリダ大学の物理学准教授であるジェームズ・ハムリン氏は、「これが正しければ、おそらく超伝導の歴史における最大のブレイクスルーです」「しかし、過去の論文に存在したものと同様の問題が、今回の論文にもあったのかもしれないと疑わざるを得ません」と述べています。ハムリン氏はまた、ディアス氏が2020年に発表した論文には、2007年にハムリン氏が書いた博士論文からのコピーが無断で含まれていたことも指摘。これについてはディアス氏も引用を含めるべきだったとして、「これは私のミスでした」と認めたとのこと。

ディアス氏に真っ向から反対しているのが、カリフォルニア大学サンディエゴ校の理論物理学者であるホルヘ・ヒルシュ氏です。ヒルシュ氏は2020年の論文について、ディアス氏らが公開した生データは実験室からは測定できないとして、論文のデータは捏造(ねつぞう)されたものだと主張しています。2020年の論文についてはハムリン氏も独立したレポートを発表しており、この中でハムリン氏は電気抵抗率のデータについて疑念を投げかけています。

ディアス氏は自身にかけられた不正行為疑惑をすべて否定しており、新たな論文ではNatureの非常に徹底的なレビュープロセスに対して透明性を確保したことを強調しています。「私たちは今回、全力を尽くしました。査読者は技術も何もかも、すべてのデータにアクセスすることができました」とディアス氏は述べています。Natureの広報担当者は日刊紙のニューヨーク・タイムズの取材に対し、「論文が撤回されたからといって、著者が新しい論文を提出する資格を自動的に失うわけではありません。提出されたすべての論文は、科学の質と適時性に基づいて独立に検討されます」と答えました。

今回の論文で発表されたルテチウムを使用した水素化合物は、2020年の論文で発表された化合物よりはるかに低圧で作業できるため、世界中には今回の実験を再現可能な研究室が数十以上あるとのこと。また、ディアス氏は実験プロセスからダイヤモンドアンビルセルの使用を省く方法に取り組んでおり、これによって再現に向けた取り組みがさらにスピードアップする可能性もあるそうです。

しかし、ディアス氏らは一連の研究を商業化するためにUnearthly Materialsというスタートアップを設立しており、水素化合物の詳細かつ正確なレシピは知的財産権の問題で配付できないとのこと。ディアス氏は、「サンプルの作り方はわかりやすく丁寧に説明されています。私たちのプロセスの独自性と知的財産権の存在を考慮して、この資料を配布するつもりはありません」と述べました。