回転寿司を中心とする飲食チェーン店での客による相次ぐ迷惑行為。その様子を収めた動画をSNSに投稿する動きが後を絶たず、社会問題化している。

「はま寿司」では1月7日ごろ、他人の注文を横取りして食べる若い男性客の動画がTikTokに投稿された。この動画には「おいしそうだったので食べちゃいました」「#人の注文」とのテキストが添えられていた。この直後もInstagramのストーリーに投稿された、レーン上を移動する寿司にわさびを乗せる若い男性客の動画が拡散し、立て続けに炎上する事態に。

さらに「スシロー」でも1月下旬に、少年が醤油ボトルの注ぎ口や湯飲みを舐めまわす動画がInstagramのストーリーに投稿された。この動画も瞬く間にネット上で拡散し、少年の通う学校や名前を特定する動きに発展した。

同じような被害は回転寿司チェーンだけではなかった。北九州市のうどんチェーン店「資さんうどん」も、若い男性客が卓上の天かすを共用スプーンで食べる動画がTikTokに投稿された。さらに同時期には、「セブン-イレブン」でアルバイトの女性2人がレジ前ケースに陳列されたポテトをかじってふざける動画が拡散。この動画も元はInstagramのストーリーに投稿されたという。

飲食店が最も大切にする“安心安全”を脅かす数々の迷惑動画。しかし、企業側も泣き寝入りするわけではない。迷惑行為を行った本人から謝罪を受けるも被害届を出すといった毅然な姿勢を示し、防止策に乗り出している。

一方、こうした迷惑動画が炎上する背景には“ある共通点”が。いずれもTikTok やInstagramのストーリーに投稿された後に、Twitterに転載され拡散する傾向にあるのだ。10年ほど前はTwitterに不適切動画の投稿が相次ぎ、“バカッター”とのネットスラングが浸透。2013年の「ネット流行語大賞」で4位にランクインしたほどだった。

■「友達にも教えようとする感覚で投稿してしまっている」

時代の移り変わりとともに、炎上する過程も変化しつつある昨今。第3者に転載される可能性があるにも拘わらず、なぜ迷惑動画を投稿してしまうのだろうか?

「最近では、TikTokやInstagramの方が若年層に親しみを持たれている傾向にあるます。しかも、自分のアカウントがバズるようであれば、収益化できる可能性が出てきますよね。今回炎上した若者たちが、そこまで考えていたかどうかはわかりませんが、“バズる作戦”としてはTwitterよりも利用比率が高く、親しみやすいTikTokやInstagramを選んだのだと思います」

こう語るのは、ITジャーナリストの渋井哲也氏。TikTokやInstagramが迷惑動画の温床となる背景について話を聞いた(以下、カッコ内は渋井氏)。

TikTokやInstagramに投稿される迷惑動画は、ほとんどが「内輪ネタ」だという。渋井氏は「スマホがない時代にもこうした迷惑行為はあったと思います。スマホが登場したことで映像が残ってしまい、余計に可視化されているのでしょう」と指摘した上で、こう解説する。

「そもそも、内輪ネタの行為を撮影することは、その段階でおそらく罪悪感はないのでしょう。なおかつ意図的に撮影して楽しんでいることを、身の回りの友達にも教えようとする感覚で投稿してしまっている。ですので、“世界に向けて発信してやる”といった考えはないと思います。

TikTokやYouTubeでもそうですが、何か面白いネタを持っていなくても視聴者に働きかけることで話題になったり、『あなたのTikTok見ましたよ』と声をかけられたりするようになります。多くの若年層は、そういう風潮に慣れてしまっているんじゃないかと思います」

■“2次炎上”を利用する迷惑系YouTuberの影響も

“バズる”目的で投稿する動画の背景には、迷惑系YouTuberの存在も影響しているようだ。

「ネット上の“特定班”が動いて個人情報が晒される動きは、収益化につながっていると思います。炎上をネタに収益化を狙う迷惑系YouTuberが、学校などに突撃して撮影することがありますよね。物議を醸した元の出来事を“1次炎上”として、特定した人の元や場所に行くことやそれをネタにして動画配信することを“2次炎上”とすると、後者の方が意図的に収益化を狙っていると思います。

基本的に迷惑系YouTuberはネタになれば現場に行ったりネタにするので、今回のような迷惑行為をした若者たちは少なからず彼らの動画を見ていると思います。迷惑系YouTuberが存在しているわけだから、彼らと同じくらいに誰かに対してイタズラをしても、『別にいいじゃん』という感覚があるのかもしれません。あくまでも“ネタ作り”で、悪意はないのでしょう」

企業による毅然とした対応や報道が抑止力となり、“バズり”目的の迷惑行為がなくなることを願うばかりだ。