■薄皮シリーズ「5個→4個」の衝撃

各社の「値上げラッシュ」が続く中で、皆さんは不思議に感じないだろうか。

ある企業は値上げをしても「ここまでよく頑張った」「応援します!」なんて感じで好意的に受け取られるのに、ある企業は「終わったな」「大変なのはわかるけれどもう買わないかな」なんて批判的な声が寄せられる。両者の「差」は一体なんなのか。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/filo

最近でわかりやすいのは山崎製パンの人気商品「薄皮つぶあんぱん」などの薄皮シリーズ全7品と、有楽製菓の人気商品「ブラックサンダー」だ。

山崎製パンは昨年12月、度重なる原料高騰が企業努力での吸収が限界にきたとして薄皮シリーズの内容量を変更すると発表した。価格は据え置きだが1袋5個から4個に減ったので、実質的には「値上げ」ということでネットやSNSには批判的な声があふれたのである。

それからほどなくして、「ブラックサンダー」も30円から35円へと値上げが発表された。当然、薄皮シリーズと同じような反応かと思いきや、なぜかこちらの場合、「これまでこの価格でよく頑張った」と「うまい棒」の時のように“美談”として称賛されたのである。

■「愛され企業」はファンが援護射撃してくれる

マーケティングや広報の専門家によれば、この差は「消費者が納得できるストーリーの有無」とか「顧客の共感を得られる伝え方だったか」にあるという。ただ、報道対策アドバイザーとして実際に企業のコミュニケーションを手伝ってきた立場で言わせていただくと、そういうテクニック的なところよりも、「愛され企業」であるか否かの方が大きい。

その企業のことが好きで好きでしょうがない、という熱烈なファンが多くいる「愛され企業」の場合、値上げのようなネガティブな話が出ても不祥事を起こしても、よほどトンチンカンな対応をしない限りダメージは少ない。ファンがネットやSNSで「援護射撃」をしてくれるからだ。しかし、そうではない企業の場合、ネガな話が出ても誰も助け舟を出してくれないのである。

それは、先ほどの「薄皮シリーズ」を見ても明らかだ。この商品、確かに個数は減ったが実は1個あたりのクリームやあんの容量は増えており、総重量はそれほど減っていないのである。だが、内容量変更の第一報が出た際にそのような話はほとんど出なかった。これは山崎製パン側の伝え方がうまくないということもあるが、「ファン」が援護射撃をしなかったことも大きいのだ。

■どうしたら「愛され企業」になれるのか

「なんだか不公平だな」と感じるかもしれないが、そもそも人間社会とはこういうものでないか。例えば、同じようなミスをしても、「愛されキャラ」の人は周囲から「ドンマイ」「しょうがねえなあ」なんて笑って許されたり、サポートをされたりする。しかし、そうではない人の場合は、「チッ」と舌打ちされて誰からもフォローされない、なんてことを皆さんも一度や二度は見たことがあるはずだ。

このあたりは「個人」も「法人」もそれほど変わらない。つまり、職場などで「愛されキャラ」が何かと得をするように、同じような悪い話が出ても「愛され企業」だと何かと得をするものなのだ。

そこで次に気になるのは、どうしたら「愛され企業」になれるのかということだろう。もちろん、企業というものはひとつとして同じものはないので、熱心なファンがたくさんつく理由も経緯もさまざまだ。

ただ、長年、不祥事対応など企業のリスクコミュニケーションに関わってくると、ひとつの傾向があることに気づく。それは端的に言うと、「テレビCMなどの広告宣伝にあまりカネをかけない企業」だ。

■「サイゼリヤン」が増えていく好循環

その代表が「サイゼリヤ」だ。ご存じの方も多いだろうが、同社は創業者・正垣泰彦氏の「低価格で提供する」という強烈なポリシーに基づいて広告宣伝費を一切かけない。テレビCMはもちろん、SNSのプロモーションもやっていない。公式Facebookページのみしかない。

写真=時事通信フォト
サイゼリヤ西早稲田店(2001年4月21日、新宿区西早稲田) - 写真=時事通信フォト

そのように広告や宣伝をしていないのに、なぜサイゼリヤがこんなに有名なのかというと、「クチコミ」だ。家族や友人から勧められて、あるいは誰かのブログやSNS、ニュースによってサイゼリヤの存在を知った人が足を運んで感銘を受けて、「サイゼリヤ、初めて行ったけどおいしかった」とさらに人へと紹介をする。この好循環によって、「サイゼリヤン」と呼ばれる熱烈なファンを多く生み出しているのだ。

だから、サイゼリヤは悪い話がでてもダメージが少ない。熱烈なファンの皆さんがメディアや専門家の批判的な論調を鵜呑みにしないことに加えて、「サイゼリヤン」が「それは個人の問題であって、サイゼリヤ全体の問題ではない」という擁護論をネットやSNSで展開するという「援護射撃」もするからだ。

■電通やくら寿司の不祥事はボロカスに叩かれた

わかりやすいのは2014年、サイゼリヤで働いていた20代の女性が自殺をした痛ましい事件だ。この女性、サイゼリヤの副店長からボディータッチなどのセクハラを受けて、性交渉も迫られ、挙句の果てにはパワハラまでされたことで、心を壊してしまったのである。

しかし、この悲劇は社会的に大きな注目を集めることはなかった。このニュースが報道された1年ほど後、電通で女性社員がパワハラで自殺をしたことは日本中に衝撃が走り、社長が辞任に追い込まれたにもかかわらず、である。

また、2022年に「くら寿司」の店長が駐車場で焼身自殺をした際にも大きな注目を集めた。報道によれば、この店長も上司からパワハラを受けていたということで、多くのメディアが後追い取材をした。ネットやSNSでも批判的な声があふれて、「くら寿司」公式Twitterが、「あぶりチーズポークカレー」を紹介したところ、「社員が焼身自殺した後に炙りって……」「不謹慎」といった批判のコメントが寄せられたこともあった。

電通やくら寿司のパワハラ自殺は「企業不祥事」として社会全体がボロカスに叩いたのに、なぜサイゼリヤのケースはスルーされたのか。亡くなったのが、社員とバイトという立場の違いがあるから……などいろいろな屁理屈をこねることはできるが、筆者はシンプルにサイゼリヤが「愛され企業」だったことも大きいと考えている。

■広告宣伝に莫大なカネをかけることの代償

電通もくら寿司も一定のアンチがいて、パワハラ自殺の第一報が出た直後からこの人々が積極的にこれを拡散、批判をしたことで、その動きに刺激されてメディアが扱って、それをまたさらに批判するという炎上スパイラルが起きた。しかし、ファンの多いサイゼリヤではそういう動きにならなかったのではないか。

……という話を聞くと、「サイゼリヤが“愛され企業”というのは納得だが、テレビCMを大量に流しているような企業の中にだって“愛され企業”はあるのでは?」と感じる人もいるかもしれない。

もちろん、広告宣伝では「ファン」ができないなどと主張するつもりは毛頭ない。ただ、企業不祥事の世界では一般的に「広告宣伝に莫大(ばくだい)なカネをかける企業」ほど叩かれがち、つまりは「愛されない」ということが多々ある。

なぜそうなってしまうのか。まず大きいのは、広告宣伝の力が“逆回転”して「悪い話」まで世の中に広く喧伝(けんでん)してしまうということだ。俗に言う「有名税」のようなものだ。

わかりやすいのは、スシローの「おとり広告」問題だ。

■「ミーハーな客」が「モンスター」になる

2021年9月、テレビCMで「濃厚うに包み」と「新物うに 鮨し人流3種盛り」などを盛んに宣伝していたが、実はキャンペーン開始直後にほとんど品切れになってしまっていて多くの客がこれらの商品を食べることはできなかった。その苦情を受けた消費者庁と公正取引委員会によって、スシローには景品表示法に基づく措置命令が下され、メディアも「おとり広告」として厳しく断罪をした……というのは記憶に新しいだろう。

あのキャンペーンはテレビCMで多くの人が目にしていた。それが実は「ウソ」だったということになれば世間の関心はグーンと上がる。同様の体験をした者も続々と名乗り出る。つまり、莫大なカネをかけた広告宣伝が“裏目”となりスシローの悪評を広めてしまったのである。

写真=iStock.com/hamzaturkkol
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そこに加えて、広告宣伝に力を入れる企業が叩かれがちなのは、「ミーハーな客」を爆発的に増やしてしまうことにもある。

テレビCMやネット・SNSのキャンペーンを真に受けて消費行動する「ミーハーな客」というのは、「プッシュ型コミュニケーション」に弱い人だ。よく言えば、ピュア、悪く言えば権威に弱くて、同調圧力に屈しやすい。

実はこういう人たちが企業不祥事では、最も恐ろしい「モンスター」になる。

■鵜呑みにしやすいファンが厄介なワケ

広告宣伝を鵜呑みにするということは、メディアが喧伝する悪い話やスキャンダルも鵜呑みにしてしまう。ピュアで権威に弱いので、専門家やインフルエンサーがその企業を痛烈に批判すると「そうだ、そうだ、オレも胡散臭いと思っていた」なんて迎合して、急に手のひら返しでネットリンチに率先して参加したりしてしまうのだ。

そこに加えて厄介なのは、このような「ミーハーな客」が増えれば増えるほど、悪い話が出た時にかばってくれる「熱烈なファン」が離れていくということだ。

このあたりはアーティストやアイドルがまだそれほどメジャーではない時代から、応援をして活動を支えていたという経験のある人ならばわかってもらえるだろう。

そのようなベテランファンからすれば、好きなアーティストやアイドルがテレビに出演してブレイクをすると、苦労が報われたと喜ぶ反面、「にわかファン」が大量に増えてちょっと疎ましいところもある。中には、「もう自分が応援しなくてもいいか」という感じで昔ほどの熱量がなくなって、他のアイドルのファンへと鞍替えしてしまう人もいる。

■「サイゼリヤン」の愛が冷める瞬間

企業やブランドのファンも似たところがある。

例えば、サイゼリヤがこれまでの方針を急に変えて、人気お笑い芸人をつかって大量のテレビCMを流すようにしたとしよう。「今月はミラノ風ドリアがなんと200円!」なんて感じで安さを押し出した広告キャンペーンも始めた。

「サイゼリヤン」も最初は喜ぶかもしれない。しかし、次第にサイゼリヤに対する愛がかつてよりも冷めていくはずだ。

まず、テレビCMや「激安」を押し出したキャンペーンの効果で、これまでサイゼリヤに足を運んでいなかったような「ミーハーな客」が大挙して押し寄せるので、スシローやくら寿司のように、店の入り口で整理券を渡されて「180分待ち」なんてことになって辟易とする。そうなると、一部のサイゼリヤたちが楽しんでいた、リーズナブルなワインとツマミで大満足できる「サイゼリヤ飲み」なんてのも許されなくなってしまう。

広告宣伝で客層が変わって、「ミーハーな客」が爆発的に増えれば、店内の雰囲気も変わるし、接客スタイルも変えなくてはいけない。すると、「今のサイザリヤ」が好きなファンは裏切られた思いがする。中には、「昔の方がよかった」とファンをやめていく人たちも出てきてしまうのだ。

■一方的な押し付けでは愛や信頼は生まれない

繰り返しになるが、広告宣伝やプロモーションを否定するつもりは毛頭ない。ブランドの認知や売上につながる効果的な施策だとも思う。

ただ、どんなものにも良い面と悪い面があるのだ。広告宣伝のようなプッシュ型コミュニケーションの場合、どうしても「一方的で押し付けがましい」ので、クチコミなどに比べて信頼関係が生まれにくい。広告で訴求していた通りの「安さ」や「品質」などを提供できているうちはいいが、ちょっとでもそこに齟齬(そご)が出てくると、「広告と違う」「嘘ばっかり」と一気にアンチが増える。そして熱烈なファンも少ないので擁護論も盛り上がらず、フルボッコで叩かれてしまうのだ。

このあたりは個人も法人も変わらない。もし皆さんのまわりに自分がいかにすごい人間かを強烈にアピールしてくるような「一方的で押し付けがましい人」がいたと想像していただきたい。

そして、この人が何か問題を起こしたとしよう。「やっぱりな」と妙に納得して、仲間と悪口を言ってしまわないか。少なくとも、擁護をしようとは思わないのではないか。個人も法人も「一方的な押し付け」ではなかなか「愛」や「信頼」は生まれないのだ。

もし「愛され企業」になりたいならば、まずはカネで自分たちの魅力を喧伝するようなことを控えてみてはいかがだろうか。

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窪田 順生(くぼた・まさき)
ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)など。
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(ノンフィクションライター 窪田 順生)