内川聖一(大分B-リングス)インタビュー@前編

 2022年9月28日、NPB稀代の「安打製造機」内川聖一がNPBからの引退を発表した。

 2000年に大分工高からドラフト1位でプロ入りを果たし、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)で10年、福岡ソフトバンクホークスで10年、そして東京ヤクルトスワローズで2年──。気づけば40歳になっていた。

 合計22年間のNPB生活を経て、次に選んだ道は、プロ野球独立リーグ「九州アジアリーグ」に所属する大分B-リングスへの入団。その決断に至るまでの心境を語ってもらった。

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引退試合で涙をこらえきれない内川聖一

── NPB引退からしばらく時間が経ちました(2022年末インタビュー実施)が、現在の心境はいかがですか?

「まだ実感がないというのが、正直なところで......。ただ例年なら、シーズンオフでもトレーニングをしていたんですが、それがないというのが一番の違いですかね。

 今は野球以外の仕事もいただいているし、できるうちにいろんなことをやりたいという思いもあります。その仕事をこなしながら、合間、合間に2023年に向けて、どうしようかなと考えている程度です。

 ありがたいことに、忙しくさせてもらっていますけど、気持ち的には楽ですね。今までは常にトレーニングのことを考えていましたから」

── 引退会見でも話されていましたが、あらためて引退を決断した理由を聞かせてください。

「40歳の年は、ほぼ二軍で過ごしたんですけど、やっぱりチームのなかで役割がないと申し訳ない気持ちになってしまう。あとは、バッティングの変化というものをすごく感じるようになっていて......。

 僕は『いかにヒットを打つか』を考えてやってきましたけど、近年はある程度、バットを強く振る、ホームランを打つことを前提にして、ヒットを打つ感覚になっていました。ピッチャーの球も速くなっているし、球種も多くなっているなかで、そこに対応しきれなくなったというのも理由のひとつです」

── その状況をどう受け止めていましたか。

「悔しさというよりも、最終的には受け入れるしかなかったですね。ホークス時代に4番を任された時、ホームランを増やしたいとか飛距離を伸ばしたいということを考える時期があったんですが、その時に対応しきれなくなったというのを感じていて。

 でも、まだできるんじゃないか、まだできるんじゃないかと、ここ何年かやってきたんですけど......。結果が出なくなっていくなかで、ちょっと厳しいのかな、と感じるようになりました」

── 結果的にNPB最終所属となったヤクルトでの2年間は、どういう思いでプレーされていたのですか。

「1年目は日本一にもなってくれましたし、2年目もリーグ優勝してくれました。僕自身が全然その場にいなかったにもかかわらず、周りの方がヤクルトの勝利をすごく喜んでくれたんですよね。

 若い頃に、先輩が『勝つことで喜びの輪はどんどん広がっていく』ということを教えてくれたことがありました。レギュラーの時はどうしても、自分の地位を守らなければいけないとか、もらっている年俸に対して見合った活躍を見せなければいけないというプレッシャーもあって、優勝した時はもちろんうれしかったんですけど、ホッとする気持ちのほうが大きかったんです。

 でも、ここ2年は、自分がそこにいなくても周りが喜んでくれる状況を見た時に、本当に優勝することの意味を感じることができました」

── ベイスターズ、ソフトバンク、ヤクルトと22年間に渡ってプレーされましたが、そのなかで一番印象に残っていることはなんですか。

「ひとつ挙げるのは、難しいですね(笑)。うれしかったことで言えば、初めて個人タイトルを獲った時(2008年・首位打者)もそうですし、初めて優勝(2011年・ソフトバンク)したこともそう。優勝旅行も楽しかったですね。

 プロ野球選手として、できるかぎりの経験をたくさんさせてもらったことが、僕のキャリアで一番誇れることかなと思います。WBCで世界一になった(2009年)ことも、なれなかった(2013年・2017年)ことも含め、本当にいろんな経験ができた。

 プラスとマイナスの差は、ほかの人よりもすごく大きかったのかなと思います」

── 3度出場したWBCは、内川さんにとってどういう大会でしたか。

「国を背負うというのはこういうことなんだなと、感じさせてもらった大会でしたね。印象に残っているのは2013年大会。

 それまでに2回優勝して、今度は自分たちが中心になって優勝することを意識しながらやっていたんですが、そこで世界一にたどり着けなかった悔しさが残っています。僕は前回大会で優勝を味わっていたので、喜びの絶頂から一気にどん底まで突き落とされた感覚でした」

── ペナントレースとは違うプレッシャーはありましたか?

「そうですね。プレーヤーとしての責任は、どの試合でも一緒だと思うんですよ。求められたことをきちんとやるとか、しっかりと結果を残すという意味では。

 ただ、日の丸を背負う責任ですよね。野球に関わっている人、関わっていない人も関係なく、日本人の代表だという一つひとつの責任は、本当に大きかったと思います」

── 2023年開催のWBCで、内川さんが日本代表に期待することはありますか?

「今年(2022年)はサッカーのワールドカップがあって、サッカーの盛り上がりを感じた分、野球も頑張ってほしいという思いで僕も応援したいと思います。各国メジャーリーガーが参戦を表明していますし、間違いなく大会の熱は高まると思っているので、そこで日本代表がどういう戦いをしてくれるのか、楽しみにしています。

 ダルビッシュ有選手(サンディエゴ・パドレス)も、大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)も、鈴木誠也選手(シカゴ・カブス)も、国のためにという気持ちで参加を表明してくれているのは、応援する側としてもうれしいです。そのなかで世界一になってくれることを期待しています」

◆中編につづく>>「こんなにスライダーが曲がるのか」対戦して驚いた日本人投手とは?


【profile】
内川聖一(うちかわ・せいいち)
1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。2000年ドラフト1位で大分工高から横浜ベイスターズに入団。10年間プレーしたのち、2011年に福岡ソフトバンクホークスにFA移籍する。2008年、2011年と両リーグで首位打者に輝くなど、球界を代表する稀代のアベレージヒッター。2018年にNPB史上51人目の通算2000安打を達成。2020年から東京ヤクルトスワローズで2年間プレーしたのち、2023年より独立リーグの大分B-リングスへの加入を発表する。185cm、93kg。右投右打。