北海道帯広市に大行列をつくる豚丼の専門店がある。帯広市にある「ぶた丼のとん田」は、夏の全盛期には120人以上の行列ができ、並んでから食べるまで6時間以上かかることもある人気店だ。2017年には「ミシュランガイド」にも掲載された。2代目店主の小野寺洋一さんに豚丼の秘密を聞いた――。

■最初は地域密着型の精肉店として開業

――ぶた丼のとん田は夏には大行列ができ、『ミシュランガイド北海道2017特別版』にも掲載されるほどの人気店ですが、そもそも開業されたのはいつ頃なのでしょうか?

【小野寺洋一】先代が豚丼屋として開業したのは2003年です。それまでは武田精肉店というお店を営んでいて、精肉店自体は1960年代後半くらいに創業したと聞いています。

提供=ぶた丼のとん田
旧店舗のときにできていた行列。花火大会のときには6時間待ちになることもあったという。 - 提供=ぶた丼のとん田

当時はスーパーやコンビニもなかったこともあって、タバコ屋を併設した地域密着型のお店でした。精肉店を作って数年後には、帯広のソウルフードである豚丼のタレだけは売っていたそうなのですが、あくまで一般家庭用の商品として販売していたそうです。

その後、私が先代の姪である妻と結婚し、とん田の後継者になろうと本格的に修業し始めたのは2005年です。

■第二の人生として豚丼屋をオープン

――先代が豚丼屋をオープンすることになったきっかけはなんだったのでしょうか?

【小野寺】セカンドライフとして、豚丼屋を始めることを考えたようです。

60歳になったくらいのタイミングで、健康上の理由もあり、夫婦の間で精肉店を畳もうという話になったようなんです。その話が出た頃、先代は精肉店を営みながら、地域の精肉店3軒と共同で土日限定の安売りスーパーの運営に携わっていました。精肉店時代からタレを作っていたこともあって、小さなお店を夫婦でやろうと、2003年にオープンしたのが「ぶた丼のとん田」だったんです。

――精肉店を再開するのではなく、豚丼屋を新しくオープンされたんですね。

【小野寺】もともとご自身で料理をされる方でしたし、お肉には精通していている。タレももともと作っていたので、豚丼屋は自然な流れだったと思います。

以前から、 地域密着型のお店を営んでいたこともあり、今までの恩を地域の人に還元したいという想いもあって、お金を儲けることはあまり考えていなかったそうです。そうした想いからか地元のサラリーマンの方に喜んでいただくために、価格を味噌汁と漬物付きで680円に設定していました。当時の帯広では豚丼専門店の豚丼単品の相場が1,000円だったので、かなり安く提供していたと思います。

■そもそも「豚丼」はいつからご当地グルメになったのか

――そもそも「豚丼」はいつから、帯広のご当地グルメになったのでしょうか?

【小野寺】豚丼の元祖は、1933(昭和8)年に帯広市内のお店で出されたのが始まりと聞いています。90年近い歴史があることになりますね。 

十勝では養豚業がはじまったのは明治時代末頃で、豚肉は当時から庶民の間でも食べ親しまれた食べ物だったことも関係しているのではないかなと思います。

■豚丼を売るのではなく“手間暇”を売っている

【小野寺】1つは、先代の時代からお世話になっている地元の精肉店さんからお肉を仕入れていることですね。そのお店は、十勝産豚肉の中でも良質なお肉を、しっかり低温熟成させてからブロックの状態で卸してくださっているんです。

撮影=プレジデントオンライン編集部
ぶた丼のとん田の「ロース・バラ盛り合わせ」 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

それを職人さんが丁寧に筋を取り、豚丼用の厚さに1枚1枚手切りでカットしていくので、仕込み時間はかなりかかります。ただ、この手間が、十勝産の質の良いお肉がさらにやわらかく、おいしくなる理由です。

――肉を切るのにも職人技が求められそうですね。

【小野寺】習得できるまでの期間は人によって異なりますが、習得するほうも教えるほうも大変ですね。私が先代のもとで修業させてもらったときは、肉の手切りのOKが出るまでに5年くらいかかりました。  

――それだけ大変な作業を続けるのは、お客様に豚丼を安く提供したいからですか?

【小野寺】お客様に対していいものを少しでも安くという想いがあるのはもちろんですが、「豚丼を売るんじゃなくて手間ひまを売る」というのは先代の教えでもあるんです。なので、どんなに大変でも、手間ひまを売る。そこだけは絶対に崩さないようにしています。

■人気店になったきっかけは「ライダーの口コミ」

――ぶた丼のとん田が、行列の絶えない人気店になった最初のきっかけはなんだったのでしょうか?

【小野寺】北海道にバイクツーリングに来ていたライダーさんたちの口コミですね。移転前のお店の近くに、ライダーさんたちのための宿泊施設であるライダーハウスがあって、そこに宿泊されたライダーさんたちがよく食べに来てくれました。

――でも、たまたま帯広に立ち寄ったライダーさんの口コミだけで、人気が広がるものなのでしょうか?

【小野寺】とん田を訪れたライダーさんが北海道の他都市に行った際、各ライダーハウスのノートに、ぶた丼のとん田で豚丼を食べた感想などを書いてくれていたみたいなんですね。ライダーさん同士の仲間意識はかなり強いようで、ノートの口コミを見た別のライダーさんが「そんなにおいしいなら行ってみよう」と来てくれるようになり、その輪が広がっていったと聞いています。

――各宿のノートに書かれた口コミにそんなにも影響力があったんですね!ちなみに、それはいつ頃の話ですか?

【小野寺】「ぶた丼のとん田」をオープンしてすぐの話なので、2003年ですね。当時はSNSはもちろん、mixiもない時代ですから、そうしたバイクコミュニティのつながりは今以上に強かったのだと思います。

その後からメディア取材のお話をいただくようになって、やはり口コミが口コミを呼ぶんだなと身をもって実感しました。

■メディアの取材が相次ぎ、知名度は全国区に

――メディア取材がいつ頃から来るようになったんですか?

【小野寺】覚えている限りでは、まず2007年に『るるぶ』さんなどの雑誌に掲載されました。翌年の2008年には『メレンゲの気持ち』の石塚英彦さんの  コーナーで紹介していただきましたね。

撮影=プレジデントオンライン編集部
店内には著名人のサインがずらりと並んでいる - 撮影=プレジデントオンライン編集部

――地上波の番組で取り上げられたことによる影響は、やはり大きかったのでしょうか?

【小野寺】その後の反響はやはり大きかったのですが、最も実感したのはテレビからの取材が一気に増えたことでした。テレビ局の方もテレビを見てオファーをくださるんだなと思いましたね。

■「BSE問題」がきっかけで豚丼ブーム到来

――とん田さんの人気は、ライダーさんの口コミから始まって、メディア取材がそれを後押ししたかたちなんですね。

【小野寺】実はもう一つ大きな理由がありまして、それが「BSE問題」なんです。

――BSEは2000年代初頭に流行した牛の脳の病気ですよね。それがとん田さんの人気にどのように結びつくのでしょうか?

【小野寺】BSE問題がメディアで頻繁に取り上げられ始めたのは2003〜2004年頃で、2003年には米国産牛肉の輸入が禁止されるなど、牛肉に対する漠然とした不安が世の中全体に広がっていた時期でした。

そんな中、大手牛丼チェーン店が2004年2月に牛丼の販売を一時中止し、翌月に「豚丼」を新メニューとして発表したんです。全国にお店を展開するチェーン店が「豚丼」をメニューに加えたことで、その知名度はあっという間に広がったと思います。

――問題を受けた大手牛丼チェーン店さんの思い切った新メニューの発表は、確かにインパクトがありましたよね。 

【小野寺】ほかにも、その大手牛丼チェーン店さんが「豚丼」を発表する前年の秋に  、2種類の料理のおいしさやこだわりを競わせる『どっちの料理ショー』で「海鮮丼VS豚丼」回が放送されたことは大きかったと思います。それまで豚丼は地域で愛される「郷土料理」でしたが、 社会情勢とメディアが追い風となって「豚丼ブーム」が全国に広がっていき、「豚丼って何?」「どこ発祥?」と検索をして帯広がヒットする。とん田もその恩恵を受けた部分もあると思います。

■12時に並んでも食べられるのは18時

――複数の要因が重なって人気につながったんですね。ちなみに、「豚丼ブーム」の流れやメディア掲載による影響を受けて以降は、どのくらいの人気だったのでしょうか?

【小野寺】私が先代の後を継いだ2010年以降で最も忙しい日は、8月13日に行われる十勝毎日新聞社の花火大会の日でした。毎年この日に来てくださっている方の中には、椅子とテーブルとカードゲームを持ってきて遊びながら待っている方もいらっしゃいましたね。私たちが仕込みに来るよりも前に来ていた方もいらっしゃって、風物詩のようになっていました。

――ちなみに、その日は並んでから食べるまでにどのくらいの時間がかかるのでしょうか?

【小野寺】12時に並ばれたお客様が食事できるのは18時でしたね。

――ランチのつもりで並んだら、ディナーになってしまうんですね。そもそも、豚丼を提供するまでにものすごく時間がかかるものなのでしょうか?

【小野寺】いえ、10分前後で完成するので、提供までの時間は極端に長いわけではありません。ただ、当時はまだ20名程度しか入れない小さなお店だったこともあり、それが行列の理由の一つだったと思います。お待ちのお客様に対して心苦しいと思いながら、焼いていたのを覚えています。これはとん田だけではなく、十勝全体が盛り上がってきたからだと思うのですが、花火大会の日だけだったこの行列も、年を重ねるうちに行列ができる期間が長くなっていきました。最終的には同じ規模の行列が8月いっぱい続くようになりましたね。

■北海道版のミシュランガイドに掲載される

――そして、2017年には『ミシュランガイド北海道2017特別版』に掲載されましたよね。率直に、どう思われましたか?

【小野寺】本当にうれしかったですね。私はもともと千葉県出身で、ミシュランガイドのすごさを知っているので最初は驚きを隠せませんでした。地元の友人が「すごいじゃん」と祝福してくれた一方で、北海道の方はミシュランガイドをあまり知らないのか反応が薄くてさみしかったですけどね。

――ミシュランガイド掲載後は、お店に来る外国人観光客の数は増えましたか?

【小野寺】北米やヨーロッパからのお客様は多くなかったので、分かりやすく海外からのお客様が増えた実感はそれほど湧かなかったですね。アジア系のお客様がたくさんいらっしゃっていたようなのですが、厨房で忙しく働いているとどのお客さんが海外の方なのかが分からないというのが正直なところです。

ミシュラン掲載をきっかけに、日本のお客様が増えたかどうかもよくわかりませんでした。というのも、それまでのライダーさんの口コミや全国的な「豚丼ブーム」、メディア取材など、さまざまな要素が重なっているので、ミシュランに掲載されたおかげでお客様が増えたのかどうかという因果関係がいまいちわからなかったためです。

――人気の理由が直近のミシュラン掲載に関係しているかわからないほど、さまざまな要因に恵まれたんですね。

■移転後もピーク時には120人ほどの大行列に

【小野寺】ただ、先ほどもお伝えしたように、お客様が何時間もお待ちになることを心苦しく思っていました。当時の店舗は駐車場が4台分しかなく、こちらからご案内していたわけではないものの、多くのお客様は近隣のスーパーの駐車場に車を停めざるを得ない状況が数年続いていましたから。

撮影=プレジデントオンライン編集部
ぶた丼のとん田の外観 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ミシュラン掲載に背中を押されるかたちで、2017年に21台分の駐車スペースを備えた新店舗をオープンしました。

――移転されてからは、行列は解消されましたか?

【小野寺】店内も広くはなったのですが、時期と時間帯によってはお客様の行列はまだありますね。夏場のピーク時には駐車場に入るのを待つ車の列が50台ほど続き、人数にして120人ほどの方にお待ちいただくこともあります。

ただ、席数が倍になったことと、焼き台を増やしたことで待ち時間がかなり解消されました。駐車場も広いので車の中や、順番が近くなれば、軽食コーナーのある室内でお待ちいただくこともできます。以前のように、炎天下や悪天候のときに外でお待ちいただくようなことはなくなりました。

■「プチドライブスルー」でコロナ禍を乗り切る

――ちなみに、コロナ禍による影響はいかがでしたか?

【小野寺】当然、お客様の流れはかなり変わりましたが、国が従業員の方に対して手厚い補助をしてくださったので人数調整をすることで乗り切れました。

撮影=プレジデントオンライン編集部
ぶた丼のとん田二代目店主の小野寺洋一さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

コロナ禍に入ってすぐの2020年3月には店内営業を中止し、駐車場でお待ちのお客様にスタッフがテイクアウトの豚丼を届けるという「プチドライブスルー」を考案しました。当時は店を閉める選択をとる飲食店が少なかったことと、あまりないネーミングが功を奏したこともあってか、地元紙の十勝毎日新聞社さんが取り上げてくださいました。こういうときに、地域に支えられていると実感しますね。

■美味しいだけではなく、面白いものを作っていきたい

――最後に、今後やっていきたいことを教えてください。

【小野寺】時代に沿った面白いものを作っていきたいですね。

2019年に店に併設するかたちで「とかちチャーム」というテイクアウトコーナーを作り、「とかちードック」というチーズドックや、米粉100%の肉まん「ミーパオ(米包)」、お家で手軽に食べられる「リトルとん田」の販売を始めたことも、その1つです。

「リトルとん田」を作ってまもなくコロナ禍に突入したので、タイミング的には助かりました。現在は「リトルとん田」のEC内製化を進めています。

今まで築いてきた「手間ひまを売る」ことや地元の人に愛される商売はもちろん大切にしつつ、それ以外の部分で時代に沿った面白いものを作っていきたいと思っています。

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小野寺 洋一(おのでら・よういち)
「ぶた丼のとん田」2代目店主
株式会社吉祥・代表取締役。2005年頃から妻の叔父にあたる「ぶた丼のとん田」創業者のもとで修業を開始。関東で豚丼屋を開業した後、先代の下で再び修業を始める。2010年に先代から同店を継承。2017年に「ぶた丼のとん田」が『ミシュランガイド北海道2017特別版』に掲載される。
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佐々木 ののか(ささき・ののか)
文筆家
1990年北海道帯広市生まれ。筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類卒。自分の体験や読んだ本を手がかりにしたエッセイを執筆するほか、新聞や雑誌の書評欄に寄稿している。2021年1月、北海道・十勝に拠点を移し、執筆を続けている。著書に『愛と家族を探して』、『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』(ともに亜紀書房)がある。
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(「ぶた丼のとん田」2代目店主 小野寺 洋一、文筆家 佐々木 ののか)