料理研究家の平野顕子さん、著述家の中道あんさん、ふたりとも40代で専業主婦から一歩を踏み出し、新しい人生で見つけた仕事で大活躍されて現在にいたります。「私らしい人生」を力強く歩む70代の平野さんと今年60歳になる中道さんの対談をたっぷりとお伝えする全4回の連載、第3回目では、夫婦観や恋愛観について語っていただきます。

平野顕子さん×中道あんさん対談【第3回目】

離婚後、おひとりさま生活を送っていた平野さんは、アメリカで15歳年下のウクライナ系アメリカ人と再婚しました。一方、別居に踏みきって以来、夫とは一切会っていないという中道さん。ときに他人の悪口に傷つきながらも、堂々とわが道を貫くお二人に振り返ってもらいました。

●離婚でも別居でも、自分に合っていればそれが正解

中道 私たち夫婦は別居してからまったく会っていませんが、離婚はしていません。当時、子どもたちの将来を考えると、離婚よりも別居のほうが安心でした。私ひとりで3人の子どもたちを大学まで行かせる資金を用意するのはとても無理でしたから。でも、大学を卒業したら、もう離婚についてはどうでもよくなってしまって。籍はそのままですが、一切会っていません。そういう新しい夫婦の形のままでいいのかなと今は納得しています。

平野 私も子どもたちが大学生になるまで離婚は我慢しました。自分ひとりで育てる自信はなかったですよ。

中道 もしも環境が違えば、別れていなかったと思われますか?

平野 いや、それはないでしょうね。環境が違っても、やっぱり本来の性格がねぇ。前の夫は典型的な亭主関白で、義理の両親からは「嫁はとにかく目立たぬように」と言われていました。ですから家の中で熱心に子育てをして、夫婦関係についても「そういうものか」と受け入れていたところはあります。でも、だんだんと「違うのかな」というモヤモヤが生まれてきましたけれど。
22年も結婚生活を続けられたのは、彼の歯科医として仕事に向き合う態度だけはりっぱで、尊敬できたから。そこがぎりぎりつながっていられた理由なのかなと思います。それから、約束したことは必ず守ってくれました。離婚することになって、子供たちの教育費は全部払う、私にも向こう10年間は毎月10万円の慰謝料を払うと約束してくれて、きちんと守ってくれました。

中道 太っ腹(笑)。それをお友だちに話したら、「ずるい」と言われませんでしたか?

平野 本来は拒否しないといけないところよね。「ずるいよね」という言い方ではないけれど、「それって、元亭主の扶養で生きているんじゃないの」と指摘されたことはあります。

中道 そこなのですよ。私も結構「ずるい」と言われます。日本の女性は、我慢して当たり前、夫に尽くして当たり前、夫に養われて当たり前。それを拒否するのであれば、自立するのが当たり前。二者択一なのですよね。私たち夫婦のようにどちらにも属さない関係は「?」となって、なかなか理解されない。当人が納得していたらよそ様には関係ないと思うのに、あれこれジャッジするじゃないですか。困りますよね。

平野 本当です。他人に夫婦関係のこと、そんなふうに言われたくないですよね。

中道 でもね、平野先生、そこで猛烈に苦しんでいる人、ものすごく多いのですよ。まわりの声に傷ついているのです。別居婚というのは、離婚するほどのエネルギーがなくても、別居しているほうがお互いにウィンウィンの関係でバランスが取れているのです。
旦那さんには社会的な地位があって、奥さんも今の家を出ていくのは面倒くさい。それを夫婦がふたりとも納得していたら何の問題もないのだけれど、ママ友たちに、「いつになったら離婚するの?」とプレッシャーをかけられて、「どうするつもりなの?」と何気なく、しょっちゅう言われる。悪気がないのはわかるのですが、そこが50代の悩みでもあるのです。子どもたちが成長して、「子どもが大きくなるまで別居する」という言い訳も通用しなくなる年代ですから。

平野 そういう話、もっとたくさんの人にお知らせして、「自分流で構わないから、他人の目を気にしないで」とエールを送りたいですね。

●ニューヨークのカフェを撤退後、パートナーとの縁が深まる

平野 私は京都と東京にお店を出して、軌道にのったところで、夢だったニューヨークにも店舗を開きました。60代での挑戦でしたから、当時を振り返ると「よくまぁ決心したな」と思いますが、そのときに「撤退の時期だけは間違えたらいけない」と肝に銘じていました。結局、毎月100万円くらいの赤字が出て、石の上にも3年とは思いましたけれど、2年で撤退。「あのときのお金があったら…」とため息が出ますけれど(笑)。お店の経営を失敗してひとつのドアを閉じたら、今度は別のドアが自然に開いて、今の夫との縁が深まったのです! 自分でもびっくりしているのですけれど。

中道 お店を手放したからですか? 再婚相手とはアメリカで出会われたのですか?

平野 そうです。ふたつは同時には手に入らないものなのでしょうね。彼とはニューヨークで出会いました。出会った当時はまだお店を続けていましたが、彼との距離がぐんと近づいたのはお店を手放してからです。

中道 「ビジネスで成功したら、恋愛の縁がなくなる」とよく聞きますよね。どちらか一方なのですかねぇ。シングルだった20年近くの間、恋愛はされていたのですか?

平野 いえいえ、まったくないですよ。恋愛なんて、もう私の人生にはないものだと思っていました。京都と東京のお店が徐々にうまくいくようになって、「ほかのことは望んだらいけない」という感覚がありました。ひとりで生きていくことに慣れてくると、「ひとりも案外楽しいじゃない」という感覚もありました。ニューヨークに渡ってからも2年間はがむしゃらに働いたので、そのときもシングル。本当にお店を閉じてからです。最初は友だちで、普通におつき合いをしている感覚でした。でも、私は京都の人間、昭和の人間なので、だらしない関係だけは続けたくない、どこかでけじめをつけないという気持ちになって入籍しました。

中道 どこまでも先を歩いていますよね。だんだん女性として終わっていくところを、またひと花咲かせるという。

●いくつになっても恋愛やスキンシップは大事

平野 恋愛はね、いくつになってもしたほうがいいと思いますよ。

中道 でも、出会いがないですもん。男性といったら、宅配便のお兄さんくらいしか、普段口をきくことがなくて(笑)。

平野 そういうことをおっしゃる方は多いけれど、違いますよ。出会いはあるけれど、見過ごしているのだと思います。だからといって、やみくもに出会いを求めたらあきまへんね。自然と人生の流れに沿ったところで、この人! という感じの出会いがある気がしますね。

中道 女性のほうが平均寿命は長いから、いずれおひとりさまになる確率が高いじゃないですが。ですから、今からでもパートナーをつくっておくことは、人生のテーマなのかもしれませんね。籍を入れるか入れないかは別として。ひとりでもすごく楽しいですけれど。ところで、平野先生のだんなさま、かなり年下なのですよね。すごい(笑)。

平野 アメリカでは年齢を聞かないから、長い間、15歳も年下だとは知りませんでした。アメリカ人だと思っていたら、つき合い始めて1年ほどしてからウクライナ系アメリカ人と知ったのですよ。もともとはシャイな男性でしたが、結婚してみたらかなり違っていて、短気で気分屋のところもあるし…。もう本当にねぇ(笑)。面倒なことはたくさんあります。でも、それをおもしろがって生きていかないといけないと考えています。

中道 一般的に女性は元気ですが、男性は元気がないですよね。70歳を過ぎると、男性はますます元気がなくなる。同窓会の写真を見せてもらったら、女性はきれいな人が多いけれど、男性はくたびれていて、ダンディーな紳士はあまり見当たらない。それはどうしてでしょう。奥さんにエネルギーを吸い取られているからでしょうか?

平野 そうかもしれませんね(笑)。でも、外国人男性はちょっと違うかもしれませんよ。外国人男性の場合、パートナーとの関係はとてもフェアである気がします。妻だから、主婦だから、母親だからといった立場ではなく、ひとりの人間として尊厳をもって接してくれる。
夫婦の間でいつまでも恋人同士のような恋愛感情はなくてもいいと思うけれど、スキンシップは大事にしないといけません。セックスということではなく、手をつなぐとか、ハグするとか、キスするとか、そういうことは年齢に関係なく大切にしたほうがいいと感じています。