おかざき真里さんが、男性マンガ雑誌で不妊治療の現場を描く理由とは ©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

今や4.4 組に1組の夫婦が不妊治療や検査をしており、2020年に生まれた赤ちゃんのうち、約14人に1人は体外受精だ。そんな体外受精に欠かせない存在が、精子や卵子を扱う専門職「胚培養士」。一般にあまり馴染みのない職業だが、その「胚培養士」を主人公にしたマンガ『胚培養士ミズイロ』の連載が2022年10月より、青年コミック誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」で始まった。

マンガの舞台は不妊治療クリニック。主人公は天才胚培養士・水沢歩(あゆむ)だ。男性向けコミック誌で、不妊治療をテーマにしたマンガ。しかも、作者は大人女子に絶大な人気を誇るおかざき真里さん。なぜ今、男性マンガ雑誌で不妊治療の現場を描くのか――。おかざきさんに話を聞いた。

本文内に第1話の一部を抜粋して紹介します。

当事者でなければ描いてはいけないのかと悩んだ

――不妊治療を題材にしたマンガはこれまでもありましたが、当事者の方が自分の経験を元に書いたエッセイものが多い印象です。なぜ、不妊治療、その中でも胚培養士をテーマに選んだのでしょうか。

前の連載(『阿・吽』)の終わりが見えて、次は何を描こうかと思っていたときに、他誌も含めていろいろお話がありました。

そんなとき、大学生の娘に「次、何描くの?」と聞かれて、「今来ているテーマがこれと、これと、胚培養士という不妊治療のスペシャリストの話なんだ」と話したところ、「胚培養士はお母さんが描くべき話だと思う」と言われ、「そうだよね!」と私も腹に落ちました。

当事者でなければ描いてはいけないのかとかなり悩みましたが、知らない人間だからこそ知らない人に届けることができるかなと思っています。


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

胚培養士という仕事


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

――第1話のネームを描き上げるまでに半年かかったと伺いましたが、それほど準備は大変だったということでしょうか。

ネームを描き始めてから半年なので、準備を含めるとトータル1年半ぐらいかかっています。切り口をどうするか、かなり悩みました。

広告代理店を舞台にした『サプリ』のときは、編集担当さんから「CMはこうやってつくるんだよとお仕事内容をもっと具体的に描いてください」と言われたのですが、制作手法は日進月歩なので、具体的に描いてしまうとすぐに古くなってしまう。

なので、仕事内容より、その仕事をしているときの感情や感覚をメインに描かせてもらいました。20年経った今でも「初めて読んで感動した」と言っていただけている。

不妊治療も、感情がかなりアップダウンするので、そこを軸に描こうと思ったのですが、担当編集さんに「ダメです」と言われまして(笑)。それで胚培養士さんとはどういうものかというところから、不妊治療の流れまで詳しく描くように方向転換しました。

――胚培養士のお仕事描写を見ると、相当な取材量ですよね。

それを生業にしている人たちもいるし、当事者の人に失礼がないようにするには、取材がせめての礼儀。「これ以上できないぐらい取材した」というところで描かないと、気持ち的に描けないんです。

前職のCMづくりは、ひとつの商品に半年ぐらい時間をかけて取材します。工場見学に行ったり、店頭に行ったり。そういう意味では取材慣れしているかもしれない。前職で叩き込まれました。

今回、いろんなクリニックを取材し、培養室に丸1日いさせてもらったこともありましたが、それぞれまったく違っていました。機械も違うし、培養の仕方も違う。いいとこ取りをして描くのは難しい。これは1つに絞るしかないと思い、リプロダクションクリニック東京(東京都港区)に取材や医療監修のご協力をいただいて、同クリニックのHow Toで描いています。

「ニッチな職業を描きましたね」と言われて

――胚培養士とは、取材を通してどのような位置付けだと感じましたか?

一般にいわれているのが、医者が頭脳で、胚培養室が心臓部。お話を聞いた何人かの培養士さんは「職人ですよ」とおっしゃっていたので、例えば、宮大工のようなつもりで描いています。この職人さんにかかったら、きちんとやってくださる。この職人さんでダメと言われたら、もうダメなんだろうなという感じ。腕の職業ですよね。

みんなに「ニッチな職業を描きましたね」と言われるのですが、案外描くところはたくさんあるんです。取材先で1つ話を聞くたびに、毎回びっくりしています。そのびっくりしたところは、描くべきところなんですよね。


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

不妊治療に関するかなり細かいところも描かれている


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

――不妊治療はどうしても女性、男性が強調されるものだと思いますが、主人公の水沢歩はジェンダーを感じさせません。意図されるところはありますか?

女性っぽく描くか、中性的に描くか、あるいは男性か、悩みました。例えば、女性にして「いつか私も産みたい」と思っている、あるいは、自分も体外受精で子どもを産んだ人かもしれないなど背景設定は考えました。

でも単純に、「どういう人に自分の卵を授精させてほしいかな」と思ったときに、私だったら、あまりその人自身に悩んでいてほしくないし、感情的に揺れてほしくない、あるいは感情的にどっちかに寄っててほしくないと思ったんです。だから、中性的にしました。

――かなり細かい描写で、不妊治療経験者でも知らない治療の裏側の世界が描かれている印象です。

手技的なところは細かく描いていますが、技術に直接関係しない治療方針に関しては今のところすっ飛ばしています。テーマによっては患者さんの感情、感覚から入る回も出てくると思うのですが、それはもう少し読者さんとの信頼関係ができてからかなと考えています。どこまで描けるかは、信頼関係がある程度できてからでないと描けないテーマもかなりある気がしています。


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

患者さんの気持ちもそれぞれ


©『胚培養士ミズイロ』おかざき真里/小学館

――不妊治療はデリケートな側面も多く、人によって捉え方が違うため、踏み込み方が難しいということですか?

生殖に関することなので、LGBTQの話や、男性不妊の場合に精子提供をどうするかという話も出てきて、そうなると養子問題にも発展します。まだ作品として受け入れられないまま患者側から描いて、人によって考え方や捉え方が大きく異なる問題を扱うと、価値観の違いにテーマそのものに拒否反応を起こす読者の方もそれなりにいると思います。法整備が追い付いてない問題をどう扱うかというのは、状況を見ながらですね。

今のところ、ネットやSNSでのコメントは、体外受精の当事者だったり、不妊治療に興味を持っている人たちの書き込みが中心なので肯定的な意見が多いですが、賛否を巻き起こすテーマの場合、不妊治療当事者以外の人たちにどのような受け止められ方をするか正直わかりません。それはこれから不妊治療を始める人も同じ。

出産直後の夫婦間もスタート位置のずれがマラソン5周ぐらい違うように、不妊治療もパートナー同士のギャップが大きい。やはり子宮がある側の負担が大きくなるので、だからこそ、足並みを頑張ってそろえる努力は必要です。

――不妊治療は一般化してきても、男性不妊はまだ浸透していない中、男性誌で描くのはすごく意味があると感じます。

SNSでリプをくれる人は、ほぼ女性ですが、蓋を開けてみるとSNSで拡散された第1話へのリーチは男性が70%もあったんです。それを聞いて驚きました。

男性も「何をすればいいのか、ちゃんと教えてくれよ」と思っている人が実はたくさんいるんじゃないの?と。

家庭内で当事者同士話すと、つい感情が入ってしまうから「まあマンガでも読んで」と渡すのがいいのかなと。男性も本当は「ちゃんと知りたいし、協力したいし、足並みをそろえたいと思ってくれているのでは?」という期待もあります。

ですが、あくまでもマンガはエンターテイメントなので、教科書代わりに読むのではなく気軽に楽しく読んでもらいたいです。

また、私は女性の味方のつもりですけど、男性の敵になるつもりはありません。

「男性は何もやってない」って言いたいわけでも、分断をしたいわけでもないんです。 読んでいる男性を傷つけないように、その辺はちょっと抑えつつ描いていきたいと思っています。

「ほぼ新人のような気持ち」

――男性向けに描くのと、女性向けに描くのとではスタンスを変えているのでしょうか?

1話をスタートする時点で、スタンスを変えないとダメだと痛感しました。

私が今まで描いてきた女性誌は、やっぱり感情 、感覚を描くのがメインの主戦場だったのですが、週刊男性誌は、How Toモノとか、うんちくモノがとてもウケる。


今まではマンガ好きの人が読む雑誌に描いてきたし、ネタ回収を遠くにキャッチボールしても、ちゃんと読者さんが拾ってくれるという安心感があったのですが、今回は、今まで「読者さんは、これは読んでくれるだろう」と信じて投げてきたものは全然通用しないところに向けて描くんだなと思って、ほぼ新人のような気持ちです。

でも今回は男性向けというよりは、広く一般向け。家にあったら、おじいちゃん、おばあちゃんも読むかもしれないし、若い子どもも読むかもしれない。『スピリッツ』自体は、メイン読者が男性なので、監修しているクリニックも、お願いしている取材先も男性不妊に力を入れているところですし、女性の話も描くけれど、男性不妊も描きます。

――これまでのお話で、男性不妊、高齢出産、卵子凍結、精子凍結など、かなり深いテーマに切り込んでいます。この後、どういうテーマを描いていくのでしょうか。

胚培養士のドラマ、症例、お仕事紹介はもちろん、先ほどお話しした法整備の追いついてない部分を描けるのかどうかが、自分的には1つのハードルとしてあると思っています。

不妊治療は個人個人の治療経過や方針が違いすぎるので、全員に寄り添うことはできませんが、そこはマンガとして、エンタメとして楽しんでもらえればと思っています。

おかざき真里/高校時代からイラストや漫画誌へ投稿し、多摩美術大学卒業後、広告代理店の博報堂に入社。デザイナー、CMプランナーとして活躍しながら、1994年『ぶ〜け』(集英社)にて漫画家デビュー。CMディレクターと漫画家の二足のわらじで活動を続け、2000年、結婚を機に退社。『サプリ』『渋谷区円山町』『彼女が死んじゃった。』など映像化された作品も多数。現在『胚培養士ミズイロ』(週刊ビッグコミックスピリッツ/小学館)、『かしましめし』(フィール・ヤング/祥伝社)を連載中。


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(吉田 理栄子 : ライター/エディター)