とうとう「田園都市線の顔」だった東急8500系が引退しました。一時は同社最多の400両が在籍しましたが、登場から半世紀ほどが経ち、新型車両へ置き替えられたのです。長寿だった理由は何でしょうか。

当時の最新技術を詰め込んだ車両

 2023年1月25日(水)、東急電鉄で最古参だった8500系電車が定期運行を終了しました。登場してから実に半世紀近く、大手の私鉄でこれほど長く使われたというのは、なかなか珍しいことです。

 最後まで残った編成(8637編成)こそ、東急電鉄のコーポレートカラーとは異なる「青い帯」を車体にまとっていましたが、本来のカラーリングである「銀色に赤」のイメージは、東急線や直通する各沿線の人に強い印象を残しているでしょう。東急8500系はどんな生涯だったのでしょうか。


東急田園都市線の主力だった8500系電車。この編成は、2020年3月に引退している(2011年6月、大藤碩哉撮影)。

 8500系は1975(昭和50)年、東横線などへ導入された8000系電車をマイナーチェンジし、新玉川線(現・渋谷〜二子玉川)と営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線の乗り入れ用として導入されました。車体はすべてステンレス製。加減速がひとつのハンドルで操作可能な「ワンハンドルマスコン」を備えたほか、ブレーキ装置には制動時に発電して電力を架線に戻す「回生ブレーキ」を採用するなど、当時の最先端技術を盛り込んだ車両でした。10両編成のうち8両を電動車としましたが、よくトンネルの奥から「ゴオオォォ…」という爆音が聞こえたのは、このせいです。

東横線で使われたことも

 ただ当初は4両編成でした。沿線人口の増加に伴い増結していき、10両編成となったのは1983(昭和58)年のこと。その間も、新玉川線が開通するまでは(当時の田園都市線だった)現・大井町線の区間を走行したほか、一部は東横線に転属するなど、東急電鉄の基幹路線で使われました。半蔵門線がまだ渋谷から半蔵門(東京都千代田区)までしか開通していなかったころは、8500系がピンチヒッターとして営団地下鉄に貸し出されたこともあります。


直通先の東武線を行く8500系(2017年7月、草町義和撮影)。

 以降も1991(平成3)年まで製造され、一時は東急電鉄最多を誇る400両が在籍。なお、このころには各路線へ散らばっていた8500系も専ら田園都市線用となっており、いよいよ「田園都市線の顔」たる地位を築こうとしていました。

 1990年代末からは一部編成でリニューアル工事も始まります。内装を更新したほか行先表示器のLED化、廃障装置の取り付けなどが行われました。2000年代に入ると、後継車両である5000系電車の導入や、2003(平成15)年に開始される東武線との直通運転を見据え、8500系はリニューアルするか廃車にするかで編成の運命が分かれることとなります。

販売された先頭車両はどこへ?

 結局、登場から四半世紀以上が経過していた初期編成に廃車が生じます。5両編成に分割され、大井町線に転属した編成もありました。ただ多くは東武線用の保安装置を搭載。半蔵門線を経由し埼玉県の久喜駅や南栗橋駅(いずれも久喜市)まで約100kmを直通する、ロングランナーとなったのでした。

 ちなみに2009(平成21)年3月を最後に10年ほど、8500系の廃車はストップします。設備投資計画で、2013(平成25)年からの東横線と東京メトロ副都心線の直通運転に備え、東横線への車両増備に注力したからでした。廃車が再開するのは2019年。すでに最新型2020系電車が登場していました。


長野電鉄へ譲渡された8500系。名乗る形式は同じ(画像:写真AC)。

 大井町線の8500系は、2019年4月をもって全編成が引退しましたが、田園都市線で2023年まで現役だった編成があることを考えると、長年にわたって製造されたことも大きいといえるでしょう。最初期の8601編成と、8642編成の中間に組み込まれた車両とでは、製造年にして16年の差があったのです。

 こうして東急電鉄からは引退した8500系ですが、全国、世界に目を向けると、長野電鉄、秩父鉄道、伊豆急行(編成の一部)、そしてクレタ・コミューター・インドネシアで譲渡された車両が現役です。なお東急電鉄は8500系の廃車に際して、一部の先頭車両を適切に保存できる人向けに販売したため、今後どこかで新たに見られるようになるかもしれません。