先日勝点剥奪処分を言い渡されたユヴェントス。2006年にも同クラブはカルチョ・スキャンダルの影響で罰則を受け、歴史上初の2部降格を経験することになった。

今回は『Squawka』から「ユヴェントスが2部降格した時に退団した選手たちはどうなったか」をご紹介する。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

移籍先:インテル

移籍金:2100万ポンド(およそ33.69億円)

イブラヒモヴィッチは信じられないことに2005-06シーズンのセリエAで35試合に出場して7ゴール。当時最も優れた若手の一人であったが、明らかな不調であった。

しかし2006年夏にインテルへと移籍した後は117試合で66ゴールと復活。2009年には高額の移籍金とサミュエル・エトーというとてつもない条件でバルセロナに引き抜かれ、豊かな利益をもたらしている。

エメルソン

移籍先:レアル・マドリー

移籍金:1360万ポンド(およそ21.82億円)

ローマでファビオ・カペッロ監督の下大成功を収めたブラジル代表の守備的MF。ユヴェントスでもその師弟関係を継続し、そして2006年夏には恩師を追ってレアル・マドリーへ移籍していった。

スペインに渡った半年後にユヴェントスに戻る意向をほのめかすなど、カペッロ氏との関係は悪化したものの、その後復調。リーガ優勝にも貢献したが、全体的にはそれほどハイパフォーマンスではなく、1年でミランへと売却されている。

ジャンルカ・ザンブロッタ

移籍先:バルセロナ

移籍金:1200万ポンド(およそ19.25億円)

ユヴェントスで長くプレーしていたザンブロッタ。サイドハーフからサイドバックにコンバートされ、豊かなスタミナと戦術的知性で世界屈指の選手に成長した。降格後はバルセロナへと移籍することを決断している。

スペインでは2シーズンで58試合に出場したものの、バルセロナはこの2年間でなかなか成功できず、手にしたのはスーペルコパのタイトルだけだった。

パトリック・ヴィエラ

移籍先:インテル

移籍金:800万ポンド(およそ12.83億円)

イブラヒモヴィッチとともにインテルへ移籍したパトリック・ヴィエラ。かつてアーセナルで世界最高のボランチとして崇め奉られていた選手だったが、ユヴェントスを離れてからは怪我に悩まされた。

インテルでは4シーズンを過ごしたが67試合の出場に終わっており、ジョゼ・モウリーニョ監督の下で立場を大きく落とすことになった。

アドリアン・ムトゥ

移籍先:フィオレンティーナ

移籍金:680万ポンド(およそ10.91億円)

コカイン陽性でチェルシーを解雇され、フリーでユヴェントスに加入したアドリアン・ムトゥ。2005-06シーズンは主力としてプレーしたが、降格後に移籍したフィオレンティーナでキャリアの頂点を極めた。

2006-07シーズンには16ゴール、次年度は17ゴール。2010年に再びドーピング検査で陽性になるまで世界でも最も優れたアタッカーの一人として再ブレイクしていた。

ファビオ・カンナヴァーロ

移籍先:レアル・マドリー

移籍金:600万ポンド(およそ9.63億円)

イタリア代表のキャプテンとしてワールドカップ2006を制覇したカンナヴァーロ。ユヴェントスが降格処分を受けたあと、ファビオ・カペッロ監督の誘いによってエメルソンとともにレアル・マドリーへと移籍した。

スペインではなかなか本領発揮とはいかなかったものの、2回のリーガ優勝を達成するなどクラブとしての成功を経験し、そしてユヴェントスへと戻って欧州でのキャリアを終えることになった。

リリアン・テュラム

移籍先:バルセロナ

移籍金:400万ポンド(およそ6.42億円)

2001年からユヴェントスに所属していたフランス代表DFテュラム。鉄壁の右サイドバックとして活躍してきたが、降格処分を受けたことをきっかけにバルセロナへと移籍することを決断した。

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スペインに移ったあともそのディフェンス能力に陰りは見えず、バルセロナの最終ラインで役割を果たした。2008年にはパリ・サンジェルマンに移籍する手続きが行われていたが、心臓の奇形が見つかったことからそれが撤回され、引退している。息子はマルキュス・テュラム(ボルシアMG)、ケフラン・テュラム(ニース)。