ざっくり言うと
- 「反社」が催す宴会に出席したとされるオコエ瑠偉について週刊新潮が報じた
- ジャイアンツは身なりに厳しく、ピアスも指摘されると言っていたと出席者
- また、「タニマチ」に住居と食事の面倒を見てもらっていると話していたそう
当サイトではクッキーを使用しています。当サイトのブラウジングを続けることにより、当社のポリシーを受け入れたものと見なされます。詳しく見る
3年ぶりのV奪還を目指す「球界の盟主」巨人が新春早々、衝撃に見舞われている。昨年末に「現役ドラフト」で獲得したオコエ瑠偉外野手(25)が、あろうことか“反社”が催す宴会に出席。その現場では“傷害事件”も起きていたというのだからただ事ではない。
***
【証拠写真を見る】“反社”主催の宴会で笑顔を見せるオコエ瑠偉 バッティングフォームまで披露
昨年から球界に導入された「現役ドラフト」は、おもに出場機会に恵まれない中堅選手を救済する制度である。
「オコエは関東一高時代、俊足強肩で甲子園を沸かせ、2015年のドラフト外れ1位で楽天に入団しました。が、7年間の在籍中、度重なるケガもあって結局レギュラーに定着することなく、20年などは1軍出場がゼロに終わっています」
とは、スポーツ紙記者。同シーズン終了時には石井一久監督から、
〈考えがまだ甘い。そろそろ出てこないと彼の野球人生が苦しくなる〉
そう苦言を呈されている。
「昨季も1軍出場はわずか6試合。いよいよ崖っぷちに立たされたところで巨人が手を差し伸べた格好で、12月14日、無精ひげをそって臨んだ入団会見では『後がないという気持ちで頑張りたい』などと抱負を述べていました」(同)
とはいえ、私生活までは心機一転とはいかなかったようで、年末には以下の“事案”が発生していたのである──。
まずは、思わぬ形でオコエと遭遇した結果、本件に巻き込まれてしまった都内の男性自営業者(40)の話を聴こう。
「12月17日の20時ごろ、私は友人に誘われて東京・月島にあるもんじゃ焼き店を訪れました。古い知り合いである先輩が催す忘年会に参加するためです。かれこれ20年ほど前、私は建築会社で働いており、その頃、同じ現場で知り合ったのが、鳶(とび)の仕事に就いていた5歳年上の先輩でした」
この“先輩”を、仮に田中氏とすると、
「当時から田中さんは面倒見がよく、飲みにも連れて行ってくれました。その後は私も転職するなどし、以降は数年に1度、一緒に飲んだり遊んだりという関係が続いていました。その間、私の友人が田中さんと親しくしており、彼を介していつも誘ってくれていたのです」
それでも、
「友人からは、田中さんは鳶を辞めたのち、アウトローの人たちとの交流もあり、現在は住吉会系の三次団体に籍を置いていると聞かされていました」
そうした“転身”を裏付けるかのように、15年に都内で起きた恐喝事件では、暴力団関係者とともに田中氏(当時の肩書は「無職」)も共犯で逮捕されており、また十数年前に刊行されたアウトロー関連の雑誌には、10代の頃に新宿を拠点に「チーム」を結成した田中氏のインタビューが掲載されている。もっとも、この自営業者は、
「友人から『年末に田中さんが飲み会をするから来ないか』と誘われ、しばらく田中さんに会っていないこともあって参加したのです」
というのだ。
宴席の出席者は7〜8人で、終始入れ代わり立ち代わりといった状態。主催者の田中氏は、店主とも顔なじみの様子だったという。
「しばらくして、田中さんが『おい、オコエが来るってよ』と言うのです。実は私は野球に疎(うと)くてうまく反応できず、田中さんに『お前、オコエ知らねえのか』と突っ込まれてしまいました」
実際にオコエが21時過ぎに来店すると、宴席はがぜん沸き立ったという。
「もともと田中さんは何人かの巨人の選手と親しくしていると聞いていましたが、オコエ選手とも以前に何度か会っているような雰囲気でした。店内で巨人ファンにサインをせがまれたオコエ選手は気軽に応じていて、『ジャイアンツでサイン書くの初めてだよ』『やべえ、GIANTSのつづりが分からねえ』なんて、冗談ぽく口にしていました。私はオコエ選手が楽天から巨人に移ったことも知らなかったのですが、彼はどこから持ってきたのかバットを握り、打撃フォームまで見せてくれたのです」
求められるまま出席者とも写真撮影に応じ、
「野球を全く知らない私とも、一緒に写ってくれました。それをきっかけに私はオコエ選手の隣の席に移り、おかげでいろいろと話ができました。彼は透明なサングラスを首の裏側に引っ掛けていたので、『何これ?』と聞いたところ『やめてくださいよ』と苦笑いしていました。また、お互いに文字盤がダイヤで囲まれたデザインの腕時計をしており、『似てるね』『そっちもすごい時計じゃないですか』などと話が弾みました」
宴が盛り上がるにつれ、“ゲスト”の口も滑らかになっていったという。
「オコエ選手は、もともと移籍したかったみたいで、『ずっと移籍の交渉はしていたんです』と明かしながら『でもG(巨人)は厳しいですよ。ピアスなんかうるさいんです』と言うので、周りに『お前ピアス開けてるじゃん』と突っ込まれていました。私も酒が入った勢いで『夜遊びも結構するんですか』と尋ねると、『シーズン中は全然遊べないですよ。こうやって飲みに行くこともできません』と言うのです」
昨秋、一部で「本田真凛似の金髪女性と結婚」などと報じられてもいたのだが、
「プライベートについては『もう4年ぐらい彼女もいません』と言っていました。また彼には“タニマチ”がいて、ベイエリアのタワマンの最上階に住まわせてもらっているらしく、『その人が食事の面倒も見てくれているから、自分ではあまりお金を持ってないんですよ』とのことでした」
オコエはレモンやオレンジなどのサワー類を口にしながら、ゲームに負けたら飲む「テキーラ一気」にも参加し、瞬く間に空き瓶が並んでいったという。
「タバコも吸っていたので、“プロ野球選手でも吸うんだ”と驚いた記憶があります。私と、飲み会に誘った友人とオコエ選手とで3ショットを撮ったのが0時少し前。そこから先の記憶がないのですが……」
肝心の事件は、その後に起きていた。
自営業者が続ける。
「気が付いたら聖路加国際病院のベッドの上であごを縫われている最中でした。時刻は午前4時半ごろだったと思います。それからいったん眠って目を覚ますと、ベッドの傍らに月島署の警官が立っていました。警官は事件を疑っていたようで『この傷はどうしたの?』と何度も尋ねてきましたが、私は何しろ記憶が飛んでいたので、ひとまず『もんじゃ焼き店で転んだ』と言い続けた。警官は疑わしそうに無線で『かたくなに“転んだ”と供述中』と連絡を入れていました」
警官が引き揚げた後、
「私を飲み会に誘った友人に『俺は寄ってたかって殴られたの?』と聞くと、『田中さんが一人でやった。お前は血だらけだったよ』と。救急車はお店の人が呼んでくれたみたいです。その後、別の病院で手術を受けることになったのですが、友人から『田中さんが“手術代と入院費は負担する”と言っている』と聞かされました。でも、その時はあれこれ考えるゆとりもなく、特に返事はしませんでした」
転院先の病院も無事に退院し、年が明けると再び田中氏側から「メッセージ」が寄せられたという。
「それも友人づてで『オコエは関係ないだろ』『俺の逮捕で済むのならそうしてくれ』といった内容でした。ただ、軽く一発殴られた程度のケガではないので、返事をする気にはなれなかった。何が田中さんの気に障ったのかは分かりませんが、友人の話では私がオコエ選手になれなれしく話しかけていたこと、それから酔って田中さんに絡んだことが頭にきたらしい。“俺をいじりやがって”ということみたいですが、あまりに理不尽だと思いました」
自営業者は「右眼窩底骨折」「右頬骨骨折」「下顎骨骨折」などが認められて形成外科と歯科口腔外科を受診し、「通院期間は年単位になる可能性」ありと診断された。今後は、しかるべき刑事処分を求めて警察に被害届を出す意向だという。
そして、事件への“直接関与”がないとはいえ、日頃の不適切交際が露見してしまったのがオコエである。暴力団や反社会的勢力との交際は野球協約180条で厳しく禁じられており、違反すれば最低でも1年間の失格処分が科されることになる。そもそも、当の巨人がホームページ上で「暴力団等排除宣言」を掲げており、
〈暴力団および悪質な応援団等を、選手、監督、コーチらに接触させません〉
そう高らかに謳っているのだ。球団に質すと、
「本人(注・オコエ)がご質問にある店を訪ねたところ、知人から以前紹介されて1度会ったことのある『会長』と呼ばれる男性がいました。本人は5時間ほど滞在したのち、翌18日未明に店を出て帰宅しました」(読売巨人軍広報部)
オコエは、12月27日になって球界関係者から事件を知らされたとのことで、
「当球団として暴力事件について警察に情報提供した上で、当該店舗で本人と同席した『会長』と呼ばれていた男性の身元について相談しているところです」(同)
としながらも、一方で、
「本人が暴力団など反社会的勢力と交際していた事実もありませんし、本人もそのような認識は一切ありませんでした」(同)
などと“釈明”する。
球団の事情に詳しいジャーナリストが言う。
「今回のドラフトについて、原監督は“チームの補強ポイントを埋められる有力選手”だと評していますが、オコエはこれまで年俸以上の価格の高級車を買い、また自主トレ期間中に交際相手とハワイに行くなど、もっぱら野球以外で目立ってばかりでした。そんな行状が地域密着型のチームカラーにそぐわないと楽天は判断し、とにかく放出したかった。一方の巨人は、今季から新たに1軍打撃チーフコーチにデーブ大久保を迎えており、その下に預けて鍛え直す選手として、オコエはうってつけだったのです」
ここで両者の思惑が一致したというのだが、
「まずは巨人の流儀に従って無精ひげをそったものの、春季キャンプの第2クールくらいまでに体を絞り、ちゃらんぽらんな私生活も改めなければ、オコエの開幕1軍は絶望的だと思います」
1軍どころか、この有様では選手生命も絶たれかねないのだ。
「週刊新潮」2023年1月26日号 掲載